その時の自分に嘘はなかったという受け入れが、新しい自分を形作る

日々の棚卸

 

望み通りとは言わないまでも、

今よりずっと良くなった自分を

想定してみてください。

こんなに納得する生き方をしている、

こんなに好きな仕事に就いている、

こんなに自分に合う働き方になった。

なんでも結構です。

 

何かイメージできますか。

 

例えば仕事をしていて、

あまりに何もできなかったり、

叱責を受けてばかりだったり、

仕事自体が手につかなかったり、

全くやる気が出なかったり、

そんな状態は忘れてしまうほど

過去のものになった、

ずっと良くなった感じ。

 

イメージできるということは、

実現できる可能性があるということ。

イメージできないときは、

そこに受け入れる余地のある自分が

まだ見放されているということです。

 

さて、もう一度。

何かイメージできましたか。

 

イメージできたとして、

実際の仕事の状況と、

どのくらいかけ離れているでしょうか。

実際の生活とはどうでしょう。

そして、それはなぜ?

 

怒鳴りつけてくる上司に毎日怯えて

身も心も委縮しながらその場に居続けたり、

どう工夫しても興味の湧かない仕事を

そのまま続けて抑鬱的になっていたり、

自分の欲する目標とつながる当てのない

働き方を続けていたり、

その間も、

自分の内心とは裏腹の

言葉や

声音や

態度や

表情や

行動を

周囲に見せたりし続けるうち、

どうにも職場の居心地が悪く

感じるようになってしまう。

本音とは異なる表現をする自分に

それなりに納得していればいいのだけど、

そう折り合いをつけられるわけでもなく、

自分で自分が情けなくなったり、

無理をしてそうしている自分に

辟易してしまったり、

何より、

これからもこのままこうやって

生きていかなければいけないのかと思って、

益々鬱傾向がひどくなったりして、

その間に、

仮面の奥で本音が窒息しかかっている。

心と体が徐々に固まって

動かなくなっていくのを

感じることさえある。

 

私はそんな時期、

つまり、本音と外面の乖離に

自分で折り合いがつけられていなかった時期、

そんな自分のことを、

嘘をつき続けていて、

だから苦しんでいるのだと

昼も夜も悩んでいました。

本当は、

時間配分や優先順位を見直したり、

自分に対する思い込みを解いたりして

働き方を変えるなり、

職を変えるなり、

自分との接し方を変えるなり、

できることはいくらでもあったのですが、

そうすることを

どこかで逃げる行為と思っていて、

一方その裏側では

どこに行っても、

何をやっても同じ、

今が変わるはずなんてない、

というあきらめとともに、

自信の欠如もあって

自らが変化に向けて動くことを

ずっと拒んでいました。

 

要するにまだ、

自分自身を丸ごと

受け入れ切れていなかったが故に

湧き上がってきた感覚ですね。

それもまた否定する必要はない

通過点ではあるのだけれど、

長くとどまっていい場所ではない。

 

凡人である私は、当然ですが、

一つ一つ経験して学んで

洞察して世界を広げていきました。

それはきっと皆さんも同じですよね。

 

その時々で求めるものが

誰の中にもあったと思います。

子供の頃、

少年少女の頃、

学生の頃、

社会人になって間もない頃、

中堅になって、シニアになって…。

どの時期にも、その求めることと

現実の立ち居振る舞いの間に

誰もがギャップを持っていたはずで、

そこの見方によって

心に疲労が蓄積されてしまい、

動けなくなる人もいれば、

まあそんなもんだ、

この場ではとりあえずそう振舞うことで

やり過ごしながら、

自分の求めるものに向けて

活動していけばいい、

という人もいます。

 

何が言いたいかというと、

その時々にあったはずの

想い、求めていたことに

嘘がなかったのと同じように、

現実の立ち居振る舞いが例え

当時の自分にとって受け入れがたいほど

格好悪かったり、

惨めに感じたり、

そんな自分もまた、

嘘ではなかったということです。

 

人によっては、これこそ本当に

受け入れがたい

受け止め方かもしれません。

でも、きっと

その時の私たちそれぞれの

精一杯だったはずです。

時におびえて、

時にええ格好して、

時に怒りに任せて、

時に媚びて、

時に無気力で、

時にひきこもって、

時に……。

どれもこれも、

自ら選択した行為です。

断罪は厳禁。

でも、理由はどうあれ自分でそうしたこと。

 

これを認められるかどうかで、

その後の自分の生き方が

変わってきます。

それはまず、端的に、

働き方と人の関係に変化を及ぼすはずです。

 

ー今回の表紙画像ー

『自家製筑前煮』

これもときどき無性に食べたくなる。