前回、父母の生家がある香川と鹿児島を
自家用車でまわってきたとお伝えしました。
父母とも兄弟姉妹が町を出て久しく、
親類縁者がいるわけではないのですが、
子供の頃に何度か訪れた思い出の場所を
どうしてももう一度訪ねてみたかった。
今回はその話です。
父の生家は香川県さぬき市の
はずれにあります。
片田舎という表現以上に山と田畑が
民家以上に広がっています。
さぬきには淡路島経由で入りました。
名神から
山陽道の三木ジャンクション経由で
入る予定だったのですが、
何を勘違いしたのか素通りしてしまい、
加古川、姫路という文字が出てきて、
どうも行き過ぎたんだと気付きました。
車にナビ付けとけばよかった。。。
インターを降り、地図を見るのですが、
よくわからない。
とりあえず近所のコンビニに車を止めて
バイトの女の子に近くの交番を教えてもらい、
いそいそと出向くことに。
我ながら迷子の子供みたいだと思いつつ、
某小学校の横にある交番を見つけ、
車をつけて中に入ると、
来客を知らせるチャイムが…。
今の交番ってこんなんなってんのや。。。
「それやったら…」
と出てきてくれた若い巡査は
突然入ってきたオヤジに丁寧に、
地図を取り出して教えてくれました。
「南下すると国道2号、これ無料の高速やけど
そこに当たるから、それにのって神戸の方へ
行ってみてください」
何て親切な、と感動しながら頭を下げ、
説明通りに走ると、
やがて伊川谷JCTの表示が見えてくる。
夕暮れの淡路島の景色を眺めながら
四国に入るドライブの予定は消え、
ひたすら暗闇をヘッドライトを頼りに走り、
到着したときには、当初の予定を
2時間ほどオーバーしていました。
翌日、父の生家がある場所へ
車を走らせました。
朧な記憶の風景と変わらず、
県道沿いに小さな民家が並び、
その向こうはひたすら山と田んぼの風景。
父の生家は、
昔から近所で電気店を営んでいた方が
倉庫に利用していると聞いていましたが、
行ってみると確かに、昔のくすんだ
木造の家屋が小奇麗になっていて、
高い位置にある窓から
電気製品の箱らしき絵柄が見えていました。
あたりはどうなんだろうと、
ちょっとだけ歩いてみたのですが、
ほとんど人には出会いません。
昔は必ず子供が遊んでいた記憶があって
今よりもう少しは
賑やかだった記憶があるのですが、
たまにすれ違うのはお年寄りばかりで、
昔よりさらに過疎が進んだ感じです。
経を読むんだと
祖母に毎朝連れていかれて閉口していた
千体仏が奉られている家屋も既にありません。
凄まじい暑さの中に佇みながら、
自分で予想していた以上に
寂しさを覚えました。
その昔、本州と四国の行き来には
船(フェリー)を使うしかありませんでしたが、
今は3本の橋が架かっています。
裏を返せば、孤島度合いが昔はもっと
強かったことになります。
こういう場所で生まれ育つということについて
思いを巡らせたのですが、
自分のような街中育ちとは異なり、
共同体が根付きに根付いた場所で
自我を育んだ父は、
本当はそんなひっそりとした場所が
好きだったのかなと感じました。
★
父の生家に別れを告げ、
瀬戸大橋を通って山陽道に戻り、
関門海峡を渡って九州の地へ。
ノンストップで運転を続け、
今度は道に迷うこともなく、
夕方には鹿児島に入りました。
母の生家の阿久根は
鹿児島の西端にある海沿いの町で
父の生家に比べると開けています。
訪れたのは指折り数える程度ですが、
それでも祖母が入院したときのお見舞いに
何度がきていて、
その時に街中を走り回った記憶が
鮮やかによみがえります。
最初に書いた通り、
祖母が逝去した後はその地に親類もなく、
通りから生家跡を眺めるくらいですが、
町が開けていることと、
国道沿いで商店街が並んでいること、
JR本線の駅がドンと構えているせいか、
到着したときには、
そこそこ賑やかな感じがして、
昔から変わりないなと思いました。
東シナ海に面しているため、
20時近くまで明るさが残っているのも
その感じを助長していたのかもしれません。
人の関係はそれなりにオープンな印象で、
私が子供の頃の母もまたそんな感じで
この街で生まれ育ったからかなと思いました。
ホテルに到着して一休み後、
やはり子供の頃に釣りに連れていってもらった
近所の港の夕景を楽しみながら、
知っている人が誰もいない地に佇んで
思いを馳せている自分が
なんだか不思議な気がしました。
★
父も母も今はこの世になく、
かつてそれぞれの地で子供だった私を
見守ってくれた叔父や叔母もまた
既に過去の人です。
何かのきっかけから衝突が始まると
父母は自分たちで解決を図ることができず、
私が泣きながら仲介を行っていました。
悔しさと、哀しさと、やりきれなさとが混じった
二度と味わいたくない気持ちを
何度も味わった家族でしたが、
そんな彼らの恩恵を受けて、
五体満足の体で西南の端まで
お金の心配をすることもなく車を運転して、
感慨にふけることができています。
今は他界したり町を出て行ったりした
当時この町で面倒を見ていただいた方々が
対次に思い出されました。
そして、ふと、
「あ、俺生きてるんだな」
そう感じたのは、
まだ何でもできる、少なくとも試すことができる
そんな感覚だったでしょうか。
他の誰かになる必要は毛頭なくて、
自分なりの生い立ちと
その中に存在する多くの幸福感や楽しさ
悔しさ憤り、そういったものを自分の一部として、
同時に自分が持っているルーツを感じて
生きていければ、
きっと結果として自分にとって悪くない場所に
たどり着いて充実して生きられるだろう、
そう感じさせてくれた旅でした。
今、生きていて、
身体が機能していることの有難さを
しっかり感じ取ることは、
そのまま自分の現在の立ち位置と、
どこへ向かいたいかを確認する
ことになると私は考えます。
ふと思いついて出かけた旅でしたが、
そんな示唆を自分にもたらしてくれました。
また報告します。
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ー今回の表紙画像ー
『瀬戸大橋上より』
関門橋上より。
夕方到着。
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