原風景の感覚にも通じるアンカリング。アンカー(錨=Anchor)を降ろすこと。いわゆる船の係留のことです。この言葉は心理学の用語の前に、行動経済学の用語として用いられており、ググるといろいろと出てきます。先行する何らかの情報をその人が持つことで判断が客観的でなくなり、重みづけされて行われること、という意味です。
コーチングの世界では条件付けとして、あるポーズを行ったり、ちょっとした刺激によって高いパフォーマンスを得ることを狙って使われたりします。ポーズとしては、ラグビー日本代表の五郎丸さんのものが有名だと思います。そんな御大層なものでなくても、例えば試合の時には右足からグランドに入る、とか、試験の前日にはカツを食べるなど、必ずしも科学的な根拠があるわけではなく、言わばゲン担ぎといっていいものも含まれます。
刺激の方は、例えばパブロフの犬が有名で、ベルを鳴らすと食事の時間であることを反応漬けられた犬が自然に唾液を流すようになる、というものです。
これは、心理カウンセリングの場合にも当てはめることが可能で、体感的、情緒的情動の要素が強く働きます。
いささかおこがましいお話ですが、これまでにも何度かお話ししてきました、かけがえのない自分を生きるために必要な“原風景を蘇らせる”こととは、情動のアンカリングをその一部に組み込んで、より洗練したもの、と私は考えています。
それは、
これからを生きる私たちにとって大切であった時間とそうでないものを選別し、
大切なものは心象風景やメロディなどを媒介して私たちの体感・情動にしっかりと組み込み、いつもそこにあるようにすること、
そうでないものは、
あるものはしっかりと儀式のもとに終了させ、
あるものはやはりそこにいた自分を感じ取って自らの一部に組み込み、
あるものは徹底して対峙した後に過去に戻ってもらう
つまり、自分の許容を超える哀しい、あるいは苦しい出来事を今の自分がきちんと包み込んで、当時の自分と一緒になって適切な時間と空間に位置付けるようにするのです。
もっとも、これまで記憶の底に眠っていたり、目の前にあってもそれと気づかなかった数々のシーンを情動の中に組み入れる行為は、アンカリングという手法では語れない領域の大切さを示しています。ですので、アンカリングが可能な状態まで心と体の状態を整えていくことこそが必要ではあるのですが、そうなっていることを前提としてお話すれば、このアンカリングという手法を、思い出した折、何かに気づいた折に常に行い、できればどこかにその結果をメモするなり、ファイリングするなりしておいて、それらが意味すること、伝えてくるメッセージを落ち着いたときに感じ取るようにすることで、混乱し、不全感に苛まれた自分が一体化して恢復がもたらされると思います。
おそらく2つ3つできたところでコツをつかめば、アンカリングの対象はその後いくつも出てくるのではないかと思います。それほどに、自分の人生に対して愛着を感じ取ることが可能な感覚がきっと誰の中にも眠っているはずです。
ただ、気を付けなければいけないことは、アンカリングとは手法として用いなくとも自然に行われるものでもあり、自分を貶めたり、世の中の見方を暗くしたりする感覚をアンカーしているケースも多々あるということです。
カウンセラーの資格取得のため、セミナーやクリニックに通っているときに私が見聞きした、クライアントさんや受講生の話の中には、こんなことがアンカリングされてしまっていれば、それは確かに生きているのがつらいだろう、人のことが信じられなくなるだろう、というシーン・感情が多くありました。あまり詳細を申し上げるわけにはいきませんが、やりきれなくなってしまような話をいくつも耳にすることになったものです。父親から毎晩殴打され続ける少年時代を過ごして暴力沙汰を日常的に起こすようになった方、性的被害で相談した公的機関でも奇異の目で扱われて二重のトラウマに苦しむ方、父の自殺した姿を目撃して人との適切な距離がわからなくなってしまった方、等々。それぞれの方が、個々人が抱える感覚の“歪み”を自覚し、それと対峙して必死に自分を生きなおそうとしておられました。それは私にとっては、ともすれば他者より大変な人生を歩んだなどと比較していた自分の甘さともども、彼らの取り組みに頭が下がる貴重な時間でもありました。
私が心理カウンセリングを学んだ動機は、自分と肉親のためでしたが、同時に自分と同じように過去が引きずる現在の生きづらさ、行き詰まり感を抱えてうまく対応できていない方々に何かサポートできないかと考えたからでもあります。
カウンセリングという領域は、単に専門的な知見を吸収しただけでは対処が難しい勘所、他分野の知見との融合、そしてリカバリー(恢復)のプロセスの経験(と失敗)などがあることが望ましいというのが私の考えで、なかなか学習しただけで対応できるものではないように思います。それは、かつて私自身が受けた心療内科や心理カウンセリングなどで切に感じたことでした。ただ、私に対応してくれたそれらのお医者さんやセラピストさんの名誉のために申し上げておきますが、皆さん掛値なく真剣に対応してくれたこともあわせて付記させていただきます。少なくともプロとして、一生懸命に対応してくれたことが私の中にアンカリングされていたからこそ、この領域から足を遠ざけずに済んだというのはあるのも事実です。
ちょっと偉そうに言ってしまいましたが、かくいう私自身も、自分を磨く必要性を日々痛感しております。そういったクライアント時の経験を踏まえてリカバリストの専門家という位置に立つことで、かつて当事者だったからこそ可能になる対応という選択肢をクライアントの皆様にご提供できるのではないかと考えています。
肉体的な病気の投薬が体の自然治癒の補助でしかないのと同じように、カウンセラーができることもまた最後は心の治癒のサポートにはなるとは思います。サポートにはなるとは思いますが、そのきっかけがあったからこそクライアントの情動のベクトルが方向転換したり、ぐらぐらの土台を安定させる感覚を与えられたりといったこともまた可能になるはずです。
アンカリングという手法は、カウンセリングのツール・How toです。しかし、それがその人らしさへのつなげる効用を少しでも感じ取っていただければと思います。
ー今回の表紙画像ー
『アンカリング?』
最近のコメント