家族の想いをつなぐためのもう一人の必要性

書評

 

原家族がおかしくなり、崩壊が始まった頃、

父を、少し経ってから母を

忌み嫌うようになった時期がありました。

 

多感な十代の後半、高校生の頃には

母親が毎晩のように涙する姿を見て、

父親に腹を立てていました。

 

常に不機嫌で何かに腹を立てていて、

常に何かに文句を言い、

妻(母)のあらゆる言動を批判し、

時に残酷な言葉を浴びせる、

 

家族に不快をこれ見よがしに見せつける

そんな父親は不要だから、

家に金だけ入れてどこかへ行ってしまえ、

 

真剣にそう思っていました。

 

本当に、

母親がかわいそうで仕方がありませんでした。

 

子供の頃には怖れていた父が何か言うと、

ちょうどそういう年齢でもあったのでしょうが、

あからさまに反抗の態度を取りました。

 

それが親に向かって言う言葉か、

そう投げつけられると、

内心に多大な罪悪感を感じながらも、

 

うるせぇ、お前がそんなこと言えるのか

と切り返していました。

 

自分ができることは、

 

母親の味方になること、そして

救われない親が引け目を感じないよう、

運動でも勉強でも何でも、

とにかく成功と言われる部類に入ること、

 

そう思っていました。

 

傍から見れば明らかにおかしな理屈ですが、

少年だった当時の私は

真剣にそう考えていたのです。

 

その後、一人暮らしを始めてしばらくして、

父が家を出ていき、

家族の形が崩れました。

 

それと前後して、母は、

毎晩のように電話をしてきては

何時間もの間、

 

いかに夫(父)がひどいことをしているかを

泣きわめきながら、

これでもかと伝えてきました。

 

その内容は聴いているだけでも

胸が苦しくなる一方で、

そうなるまで対処しようとしたようにも見えず、

ただ相手を罵って自らの不幸を嘆く

そんな母に憤りを覚えるようになりました。

 

なぜ息子をこれほど苦しめるんだ、

これ以上何をすればいいと言うんだ、

自分たち自身でできることは何かしたのか、

 

そう感じるようになっていました。

 

既に、父に対しても母に対しても、

心の中は批判の嵐が吹き荒れていました。

 

父と母が“一般の親”と比較して

子供に対していかに異常で卑怯か、

 

そのために自分がどれほど生きづらい

人生を歩んでいるか、

 

それにもかかわらず、

二人のためにどれほど頑張ってきたか、

 

それなのに、あなたたちは…。

 

……

 

…確かに、

その通りだったのかもしれません。

 

当時の私が理を唱えて

親に対して突き付けた批判の数々は、

確かにある意味での正論なのかもしれない…

 

単なる正当化なんかでは決してないはず、

それくらいいろいろな角度から考えて、

筋を通しているはず…

 

単に父母に甘えた批判なんかではないはず…

 

だから、

自分の主張は、

その通りのはず、

なのかもしれないけれど…

 

気がつくと、

自分が親の批判した部分をそっくりそのまま

体現したような人間になっていました。

 

彼らへの批判は形を変えて

日常と接する感覚にフィルタとなって

あらわれます。

 

学校や会社で自分に投げかけられる

言葉や態度への解釈は、

それが自分の意に添わなければ、

たとえ相手なりの親切でも腹を立て、

 

誰かを助ける歓びよりも

自分が施される側にあることが大切で、

 

物事の解釈なんて何通りもあるはずなのに、

 

自分で自分の機嫌を取ることも

自分で自分を褒めることも、

自分で自分の日常を充実しようと試みることも、

 

意識の隅にすら思い浮かぶことなく、

 

子供の頃にはできていた楽しむことや

いつしか没頭した取り組みや、

熱中した遊びさえも見失った日々が

 

常態となっていました。

 

 

精神医学用語ではないかもしれませんが、

心の治療に使われる

”家族伝搬“という言葉があります。

 

家族特有の価値、つまり、

もののみかたや考え方、

人の関係の在り方などが

 

世代を介して伝搬する、

というものです。

 

有名なところでは、

アルコール依存症の親を持つ子供は

男性の1/2がアルコール依存症になり、

女性の1/4がアルコール依存症の夫を持つ

と言う統計があります。

 

これは、アルコールを飲むことを

問題にしているのではなく、

飲み方の方に焦点を当てているわけで、

 

いえ、飲むことも問題になってしまって

いるのですが、それよりも、

 

アルコールという“モノ”を用いて、

当座の苦しみや怒りを発散して、

と言うことを繰り返しながら、

 

その元となっている自分自身を鞭打ち、

同時に根本にある問題、

つまり飲酒が常態化するに至った

その人の在り方、世界観と向き合わない

生き方を問うているわけです。

 

アルコール以外にも薬物や食べ物も

依存の対象となりますし、

 

“モノ”以外にも

買い物やセックスなどの行為への依存、

あるいは恋人や会社への依存などもありますが、

 

根底にあるのは、

凄まじいまでの深刻な自己不信であり、

自己批判であることが多いものです。

 

自己への批判が鋭く、大きいほど、

自分で耐えることが難しくなり、

それが他の誰かへの批判と共に

依存に陥るメカニズムを形成しています。

 

 

長い年月の末にたどり着いたのは、

 

自分を守ってくれるはずの

父と母と言う存在は崩れることがあるということ、

彼ら自身の生き方での限界を

受け入れるということで、

 

それは自分が全く同じような状態になったことを

気づかされる羽目になったが故に

認めざるを得なかったことでもありました。

 

批判していたのは

自分の中への不信がそうさせていたし、

 

彼らなりのやり方で

ここまで自分を育ててくれたことへの嬉しさが

自然に湧きあがるとともに、

 

十分な恩返しができなかったこと、

特に自ら人生を終わらせてしまった父には

その欠片さえも伝えられなかったこと、

 

忌み嫌い、批判し続けてばかりで、

本当に何もしてあげられなかったことへの

悔いが胸の中に残りました。

 

批判しながら自分自身が苦しんでいたのは

明らかに家族伝搬の一つで

そういう運命だったのかなと

自嘲気味になってもいました。

 

それを徐々に変えていくことができたのは、

同じような境遇の方々の中で、

何度も話すことができたからで、

 

彼らの価値と血を引き継いだ自分が

幸せに生きることは、

 

父母にとっての願いでもあるものと

直感的に感じられるまでになりました。

 

なので、当時話を聞いてくれた人々に

とても感謝しています。

 

きっと、できる人は一人でもできるのでしょうが、

私にはそれができなかった。

 

それがもう一人の誰かにただ、

聞いてもらうだけで

まるで当然のことのように皮膚感覚に

明かりがともるように

ゆっくりと染みわたってきたのです。

 

親との間で失った自分と世界への信頼を

取り戻すためには、

もう一人の誰か、決して批判批評したりせず、

ただ聞いてくれる誰か、

話しが終われば静かに語り合うことできる誰か

そんな存在が必要だったのだと感じた

瞬間でもありました。

 

私たちは一人よがりになることがあります。

例外はないと思います。

 

追い詰められ、

自己不信を世の中に投影している時、

それを埋めるように、何かを自分の価値で

コントロールしたいと思うようになります。

 

それによって本来の痛みから

目をそらすことができるからです。

 

それを疑似的にでも実践しようとして、

様々な依存症に陥りながら、

 

もっとも向き合う必要がある

自分への不実に対しては

蓋をする行為を繰り返してしまいます。

 

真摯に、正直に、できることを

もう一人の誰かに語ること、

 

それは、

あなたという人間の奥深くに宿った哀しみを

あなたの過去に返しながら、

 

その哀しみを背負ってまで生きてきてくれた

あなた自身への感謝を根付かせます。

 

それはやがて生きる勇気となり、

あなた自身を躍動させるようになるはずです。

 

 

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ー今回の表紙画像ー

『酢豚定食』

酢豚なんて、一体いつ以来だろう。