毎日そこにいなければならない場所に、
あなたの感情を振り回す人はいますか。
例えば、
やたらと権威を振りかざしたり、
正論を御旗に怒鳴り声を張り上げたり、
黙って睨みつけてきたり…
典型的なのは会社であれば、
上司だったり同僚だったり、
共同で仕事をする他部門の偉い人でしょうか。
これが単発なら、
事故と開き直ることもできますが、
こういったことが毎日のように続くと、
仮に自らの失策が招いたものだとしても
辛いですよね。
そんなことが続くことで、
今度は心の萎縮が始まって
それがますます失策を招く悪循環に。
ただ、昨今は日本国の法律により、
サービス残業の抑制とともに
パワーハラスメントという形で、
あなたが辛いと感じるそういった今の人々は
度を超えたところで葬られる傾向も
出てきました。
めでたいことです。
これが家庭で
夫(や妻)が繰り返し行うことなら
モラハラで離婚の理由にもなるでしょう。
情報通信のリアルタイム性、
スマホを始めとする携帯端末が
社会の隅々まで行き渡ったこともあり、
ルールが存在しなかったり、
モラルの形骸化が招いていた状況に
辛く苦しんでいる人々の声をあぶりだし、
失われた30年と言われながらも
世界的に見れば豊かな日本という国のあり方が
国際的に問われるようになってきた中で
徐々に根付いてきたスタンダートが、
まだまだではあるにしても
少しずつ事態を改善してきました。
だから、
家にいても会社にいても、
そこに大きな理不尽さを感じるなら、
まず距離を置くようにしてみてください。
そんなこと、
『絶対無理!』、
ということはないはずです。
難しいかもしれませんが、
相手と距離を置く、
誰かに相談して対処方法を考える、
その場所にいるのをやめる、
などは、
率先して実践することをお勧めします。
自分の魂を削ったり、
生きるエネルギーを削がれる場所にいることは
未来が閉ざされかねないことだから。
食べていかなきゃ、
の前に、
自分の心と身体を守らなきゃ、
ではないでしょうか。
★
先述の例は、
自分は悪くない、ということを
人を責める形で表現している、
とも言えます。
しかし反対に、
どんなことをしでかしても
しでかさなくても、
常に自分以外の誰かが悪いといって
ひたすら何もしなくなる、
ということを地で行く人もまたいます。
何か失策を起こした時、
自分は常に被害者で、
非があると指摘されたらもう終わり、
自分がそうなるまでに
なぜ教えてくれなかったのか、
なぜ誰か代わりにやろうとしなかったのか、
世の中はおかしいし、周囲はひどい、
自分はかわいそうだ、
そんなことを公然と言い放って
周囲がやらなくてもいいフォローで
時間を取られる羽目に。
そして周囲がどれほど困っているか、
どうやったらよいかを指導すると
そこに揶揄や批判を感じ取り、
なんでそんな言い方するの
ボク真面目に考えてるでしょ、
なんかみんなおかしいよ、
などなどなど。
実は、上述の話は、とある会社に勤める
知人から聞いたもので、
じゃ、上司に言って叱ってもらえば?
と言ったら、
上司にだけは徹底的に平身低頭する
というコメディ漫画に出てくるような
態度の人だとか。
眉根にしわを寄せて
教えてくれた彼には申し訳ないけれど、
可愛い例だなあと思って聞いていました。
実際のところ、
世の中には目も当てられないケースを
ひたすら自分を正当化して
人のせいにする人がいて、
それが上司や親だったりすると
やはり手に負えなくなります。
わずかでも批判の臭いをかぎ取れば、
切れる、黙る、無視する、何もしなくなる、
虎視眈々と仕返しの機会を伺う
などとなると、
例えその人自身が口火を切った
ことではなかったとしとも
振り回されかねません。
今はこういう人の方が厄介なのかも
しれませんね。
伴侶が実はそういう人の場合、
意外に共依存(Co-Dependency)に陥ったり
していることもあるかもしれません。
こんな場合でも、前半の例と同じように、
相手と距離を置く、
誰かに相談して対処方法を考える、
その場所にいるのをやめる、
ことができればいいのですが、
長い目で見れば明らかに人生が蝕まれるのですが、
自分が我慢して自分で動く分には
当座の弊害は小さいため、
コミュニケーションの成立はあきらめながら
自分のすべきことをこなし続ける人は
少なくないように思います。
その人のことが大切であるかどうか以前に、
自分を活かす環境こそが、
自分のみならず大切な人が変わる
きっかけとなり得ることを
知ってください。
他人と過去は変えられない、
変えられるのは自分と未来、
という有名な言葉を思い出して、
自分が良く生きられるように活用しましょう。
★
二種類の困った人の例を紹介しました。
ここで取り上げた事例を含め、
良くも悪くも私たちは常に望み通りに
生きられるわけではありません。
むしろ望み通りという方が
少ないと思います。
ことに他者(の思惑)が絡むことで、
その割合はさらに低下します。
そんなとき、
感情をむやみに波立たせるのではなく
平安の祈りを思い出してください。
神様、お与えください。
自分に変えられないものを
受け入れる落ち着きを。
変えられるものを
変える勇気を。
そして二つのものを
見分ける賢さを。
私たちは間違い探しをするために
人と接しているわけではありませんが
全てを理解しているわけでもありません。
平安の祈りを思い出し、
自分の違和感に気づき、
目先の出来事に囚われることなく、
大きな流れに身を任せてみてください。
ー今回の表紙画像ー
『手作り唐揚げ』
暑くなってきて、ビールで一杯。。。
最近のコメント