自分の人生を好転させるために、
自分がやりたいことをやろう、
と言われ続けて久しいと思います。
できることなら、
やりたいことを仕事にして、とも。
21世紀に入ってからは、
特に耳にするようになりました。
同時に、
やりたいことがわからない、という声も
それまでより顕在化してきました。
★
実際のところ、年齢が幾つだったとしても、
あるいはどんな境遇にあったとしても、
やりたいこと、少なくともやろうとすることは
あると思います。
その中にはもちろん、
何もしたくない、引きこもっていたい、
というやりたいことも含めて、ですが。
やりたいこと、試してみたいこと…
例えば、
これまで身近なこと、お花や英会話などを
趣味で続けてきたけれど、
思い切って乗馬に挑戦してみたい、
とか、
学生時代はそこそこ運動していたけれど、
社会人になってから仕事にかまけて
駅の階段の上り下りくらいしかしていないから、
今度ジムに通ってみよう、
といったこともあるかもしれません。
個人的な趣味やエクササイズばかりではなく、
思い切って転職して、
新しい自分を試してみよう、
とか、
この商品開発プロジェクトリーダーとして、
これまでの経験と技術を総動員して
良いものにしよう、
といった仕事のこと、
もうすぐ子供が生まれるから
マイホームを持とう、といった、
家族のこともあるでしょう。
他にも、ごく個人的なことから、
社会にインパクトを与えるような試みまで
人それぞれ、様々なケースがあると思います。
★
でも、なぜか、どうしても、
一歩が踏み出せなかったり、
踏み出した、はいいけれど
何か障害があるわけでもないのに、
なぜかそれ以上先へ進められない、
となることがあるとするなら、
それはいったいなぜなのでしょう。
一つ例を挙げてみましょう。
自炊の習慣のないふたりがいるとします。
共に、一人暮らしです。
仮にAさんとBさんとしましょう。
実家にいた頃から、料理は母親任せで、
自分で作ったのはカップラーメンくらい。
三十代も半ばで、運動不足もたたり、
健康診断の結果に食生活が
影響を及ぼすようになってきました。
健康にいい料理を一つマスターしてみよう。
家飲み酒の粋なつまみも
つくれるようになるかもしれないし。
ちょっとしたそんな取らぬ狸も働いて、
まずはやってみよう、と決めました。
まずは、何を作ろう、から。
AさんもBさんも悶々としながら
自分が食べたい料理を妄想します。
(健康のためはもうどこかに
飛んでいってしまってるとして。。。)
そうだ、
パスタでも作ってみよう、と考え、
料理道具をそろえます。
家にあるのは小さな鍋とまな板と包丁くらい。
パスタをゆでられる大きさの鍋と
フライパンが必要です。
菜箸かパスタ用トングもいりますね。
素材も用意します。
アサリのボンゴレを作るなら、
ニンニクとアサリと白ワインとバター、
お好みでタマネギ、彩りにピーマンが
あってもいいかもしれません。
今は料理の本を購入しなくても、
インターネット上にいろんなレシピを
見つけることができます。
Web上で作り方に一通り目を通して
何となくイメージは尽きました。
ここまでは、
知識を仕入れる作業です。
次は、実際に道具と素材を買いに
出かけるお買い物。
このあたりからAさんとBさんの進捗に
差が出るようになりました。
端的に、
Aさんはさくさくと準備が進むのですが、
Bさんはなかなか進みません。
休みの日くらい寝ていたい、
お金も時間もそんなにない、
うまくいくとは限らない、
といった理由を、
何かわからないけれど、
胸の奥のわだかまりのような感覚と共に
自分の中でつけてしまっています。
Aさんが最初に作ったボンゴレは、
とてもしょっぱい味になりました。
性格的に大雑把なこともあって、
レシピの中の調味料を適当に解釈して、
バターやアサリに含まれる塩分以外に
塩をいれてしまったようです。
Aさんは『しょっぱ・・・』と言いながら
それでも自分で作ったパスタを
ビールとともに堪能しました。
翻ってBさんは、
ようやく道具はそろえたのですが、
やはり、そこから先へ進めません。
素材を手にしてもまたそれを元に戻し、
そのまま放置といったことを何度か繰り返し
挙句、作ることをやめてしまいました。
子供の頃に、台所で野菜を触る度、
母親から何度も叩かれた記憶と
調理道具を触ると父親から殴られた
記憶がよみがえっていました。
どちらも、
子供が触ると危険だからという理由でしたが、
対応は少々荒っぽ過ぎたようです。
実際には、
まるで気に入らない何かの憂さを
はらそうとするような行為だったと
子ども心に感じていました。
中の悪い両親の仲裁と共に、
台所の後片付けと洗い物はBさんの
担当になっていました。
しかし、結局両親は別れ、
その間Bさんが必死になって
仲を取り持っていたことも
そのためにしてきたことにも
感謝はありませんでした。
料理を覚えて、
おいしく作れるようになったとしても
また、がっかり、それもどうしようもなく
落ち込む結果が待っているに違いない、
そんな見えない未来への諦念が
Bさんの胸に去来します。
★
では、もうそうやって
何もやらない方がいいのでしょうか。
私はそうは思いません。
以下のような文言をご存知でしょうか。
『私は、幸せになることや楽しむことを
恐れない』
最初この言葉を聞いた時、
突っ込み甘いぞ、というか、
腹を立てたことを覚えています。
怖れているのは、
幸せになることじゃない。
楽しむことでもない。
それが壊れたこと、
それももっとも根幹となる
肉親や家族が原因となって起こったことを
もしかするともう一度感じるかもしれない、
そういうことを怖れているんだ、と。
心に穿たれた大きな穴や
深く刻まれた傷の凄まじい痛みと
誰にも理解してもらえない苦しみが
体の感覚や胸の疼きとなって甦り、
これで何がいいというんだ、
という気持ちになる。
経験したことのない人しかわからない
凄まじい恐怖感とも通じる。
それをこそ、
怖れているんだ、と。
…
で、だから、やらない?
そうではないんですよね。
怖れていることを自分なりに理解し、
できることなら信頼できる場所で語り、
怖れている自分をしっかり抱きしめる。
そしてそれはその時に起こった、
哀しい出来ことだったかもしれないけれど、
今はそうではない。
最初は想起してしまうかもしれないけれど、
そんな気持ちもまとめて語っているうちに
楽しむことと過去が分離されていきます。
過去にとらわれて、
本来楽しいはずのことまで敬遠するのは
あまりに人生の幸せを制限してしまいます。
終わったことが蘇るのは、
それほど辛く苦しいことだったのだから
仕方がありません。
精一杯、自分に寄り添い続けることです。
でもそのために、
今楽しめることが馬鹿らしいとか、
また哀しい出来事が起こるかもしれない、
という可能性の理由で
やらない、とするのはあまりにもったいない。
人生は短いし、あなたの人生はあなたのもの。
ゆっくりとでいい。
やってみましょ。
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ー今回の表紙画像ー
『白餅黒餅』

あちらに行くとたいてい購入する赤福餅。
本日行ってみたら、こんなのがあったから買ってみた。
へえ。
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