自分が変わるということは?

日々の棚卸

今回は、少しずつ自分を取り戻すことが理解できるようになってきたけれど、まだ自分の中の感情に振り回されている方に読んでいただきたい内容だ。自分の感情を振り回す(と思い込んでいる)周囲を変えようとすることより、自分自身の変化の必要性を感じる段階にある方、という意味だ。

 

変わる必要がなければ変わろうとする必要はない。当たり前のことだ。
では、変わるということはどういうことなんだろう、なぜ変わるのだろう、変わる必要はあるのだろうか。そんなことを考えてみた。

 

私たちは日々変化している
細胞も刻々と入れ替わっている
人や情報に影響を受けている。
細かく、しかし確実に変わっている。

毎日飲んだくれてようが、気に入らないことを思い出しては人を悪く見ようが、小さなミスに自分の存在を消してしまいたいと思おうが、夫が・妻ががあんなのじゃなかったらもう少しまともな人生だったと言おうが、その間に体も心もたゆまなく変化している。
何より、記憶さえ長い時間の間に微小な変化を続け、その時々の自分に都合のよい形になっている。

 

辛い記憶を抱えている方の中には、そんなはずはない、という人もいるだろう。
こんな現実があったんだぞ!
お前などに分かるものか!

 

確かに、もしかするとあなたの今の荒れ狂った状況や哀しみにつぶされそうになっている感覚は私には理解できない類のものなのかもしれない。しかし、言えることは、記憶は確実に変化している、ということだ。曖昧になり、細部が思い出せなくなるというのはその典型だし、異論はないだろう。

 

変化しない(させない)もの、それは体に生じた感覚・胸に芽生えた感情を記憶させておこうという『意識』だ。
そして、感覚・感情がその時点の自分に耐えられないほどひどい場合には、記憶は意識とは別の場所にある『無意識』の働きにゆだねられる。実際には、双方を1つの出来事に対して私たちはうまく使い分けている。

 

余談的になるが、何というか、後者(無意識)を全く手が届かない状態と勘違いしている人は多い。
そうではない。目の前にあっても、普通に思い出せても、それが自分にとっての変化のきっかけだと受け止めさせないようにしようとしている。それが無意識の働きによるものだ。裏を返せば、ダイレクトにはともかく間接的には十分手が届くものなのだ。

その意識・無意識によって変化させないようにする働きが何故行われるかというと、それこそはその人にとって今後二度とそんな苦しい目に合わないために記憶しておくべき出来事だからだ。
だが、自分を守るための機能が、必要な変化を妨げてもいる。
このパラドックスは厄介だよね。

 

自分を苦しませないための記憶が、自分を苦しみから解放させる変化を妨げる。その記憶をもとにした日々の出来事の見方、受け止め方によって、私たちは自分を苦しめる感情の元となる周囲の人や仕組みに感情を害し、それらを変えようと躍起になる。怒ったり、泣いたり、ふさぎこんだり、いかにも冷静そうに働きかけたり。そして、人によっては何度も試みた末に、その試みに対する周囲の反応や自分の立場が追い込まれたりすることなどから、どうもおかしいな、と感づいて(まだ気づくというほど理屈では整理されていない)次第にその試みを放棄するようになる。放棄しない人はやがて孤立したり、依存症になったり、場合によってはお上の御用なんてこともあるようですが。

 

この時点で、鬱っぽくなったり引きこもりだしたりするのは、それまで外に向いていた批判の感情が自らに向けられるようになるからだ。というより、もともと自分に向いていた批判の感情が顕在化すると理解してよい。
ここから病院通いが始まったり、長い期間社会から遠ざかる生活に入ったり、望まない独りぼっちの日々が訪れたりするわけで、ある部分でそうなりながらも、心のどこかでやっぱりこのままはおかしい、と感じた人たちが、他の方法を模索して自らの変化(と明確に言葉になっていなくとも)をゆっくりと求めるようになる。

 

私たちが変わるのは、端的に言えば、変わらないと生きていけない、少なくとも自分が漠然と思い描く幸せを生きていくことができない、と思うからだ。変えたいと思うのは、同僚の嘲笑や目一杯働いても生活苦など直接自分を苦しめること、病気がちの母や引きこもりの息子に父の暴力など、第三者が見ても確かに「そりゃおかしいだろ」「気の毒だね」と言いたくなる出来事だ。しかし、対象相手に文句を言ったり、直接働きかけたりしたところで、おいそれと状況を変えることはできない。自分以外の世界を変えることができればそれに越したことはないが、その選択肢が存在しないことを否応なく感じた時、自らの変化を選択せざるを得なくなる。
まとめるとこんな感じだと思う。
何で変わらなくてはいけないのか、と言えば、すでに行き詰ってその理由もはっきりしているにもかかわらず、今のままでは打つ手がないからだ。
何で変わろうとするかと言えば、大切な誰かを生かす、自分自身を生ききる、そんな可能性が今のままでは見出せないからだ。

では、どう変わればいいのだろう。
目の前の問題を解決することを放棄するところからスタートするというと、ちょっと変に聞こえるかもしれない。だが、「変わる」前、抱えていた問題は1つではないだろうし、仮に一つだったとしても前述のように、既に解決する方法を見出せていないだろうから、これはもうその問題から何とか遠ざかる方法を模索しなければ仕方がない。遠ざからないと解決どころか自分がおかしくなってしまいそうだ、ということだ。だが、問題は基本的に日常生活の中に組み込まれているものだから、物理的に遠ざけることも難しい、ということになって、ひとまず放棄が妥当となるのだ。

 

自分を変える、というところにたどり着くと、今度は何をどう変えればいいのか模索するようになる。いろんなことはつながっているから、どこからメスを入れるか迷うのだ。いろんなことはつながっているということは、言い換えればどこからメスを入れてもいいということでもあり、実際目に見えるところから自分を変えようとする場合が多い。服装、話し方、表情、振る舞い、あるいは起床時間や食事、運動といった生活態度など、外的に変える要素は多くある。

ここでは、その最たるもの、実践を最優先すべきものとして、感情の表出方法を上げたい。自分の世界観が変わらない=自分の自分に対する受け止め方が変わらないうちから、湧き出てくる感情だけ変えることはまず無理だ。しかし、それをどう表現するか(しないか)は自ら選択できる。胸の中に渦巻く、決して味わいたくはない感情を否定することなく、その一方で自分や外部への放出は徹底して自分の利益になるようにすることだ。いつもニコニコ笑っているだけなら、短い時間ピシッと自己を主張する、いつもピリピリして過ごしているならわざとらしかろうが何だろうが、外面良雄・良子さんを装ってみる。避けるべきは感情の赴くままのダダモレだ。もちろん自分に自信がついてきたらそれでもいいかもしれないが、その時には感情に苛まれていないだろう。ともかく、表現する際には、きちんと、しっかり、意識して仮面をかぶるのだ。

そんな嘘は付けない、それは卑怯だ、というこなかれ。

そもそも、そんなことに嘘もほんともない。

自分を守るために必要なことなのだ。

 

きついだろうと思う。
(本来はフェイクの)感情を喚起させる目の前の対象に対して、仮面をかぶることは自分を欺くように感じられて許しがたいことと感じる向きは非常に多いと思う。
しかし、ここでいう「仮面をかぶる」とは、いつどんな時もただニコニコとしていろ、という意味ではない。感情に振り回される自分がいること、そしてその勢いに任せて放出される感情は自分にも他者にも何に対しても決して良い結果を生まないことを理解したうえで、出し方をできる範囲で制御するのだ。怒るなら、わめき散らしたり暴力をふるったり、恨みの涙を流したりするのではなく、短い時間、凛とした姿勢ではっきりと、伝えたいことを言って、その場を去るようにするのだ。
最初は難しい、というか、まずできない。
だから、工夫する。できるだけそういう場面を減らすように振舞い方を変える、とか、相手に自分の都合を期待しない、とか。逆説的だが、相手が自分の期待に添わない言動をしてその結果傷ついた自分がどうしようもなくなるということは、まだ自分の中に自分をかけがえのない大切な存在だ、と感じられる受け止め方が弱いということだ。だから、心理学の世界では癒しとか優しい言葉をかけるとか休めなどと言うのだ。それを否定するつもりはないが、自然治癒を待っていては人生が終わってしまいかねないのもこの領域の話だ。
だから、外面的な“慣れ”を自らに演出しながら、その一方で徹底的に自分自身を受け入れることを繰り返し試みるのだ。その方法の一部はこれまでにも書いたし、これからも手を変え品を変え表現していくつもりだ。

 

自分を変えるために1つ大切なことを述べておきたい。

自分を変えるということの本質は、筋肉を鍛える、とか、仕事ができるようになる、とか、収入を他者よりたくさん得る、とか言ったことではない。自分の中にずっとある自分だけの様々なピースを一つ一つ思い出し、感動とともに自らに統合していくことだ。
そして、やたらに制限の大きな「決まりごと」を自分の中でゆるめることだ。
つまり、変えるとは、ないものをあるものにして、ないものをあるものにする、ということではない。もともとあったのにないようにしていたものを元に戻し、あたかも自分のものと思い込まされていたものを適切な制約までゆるめるのだ。

 

 

「あーちゃん」

終の棲家と定めたあばら家で、母は飼っていた老猫の名を呼び、ひざ上に引き寄せた。

町から遠く離れた田舎の冬の早い夕暮れが終わろうとしていた。テレビがついていなければ部屋の中は暗闇に近い状態になっているはずだ。絞った音声から、スプラトリー諸島に基地を建設する中国軍に対して、周辺諸国が「侵略」だと講義をしている声が映像とともに流れてきた。
「お母さん、お兄ちゃんとお姉ちゃんに侵入してしまいました」
母の言葉は、それまでなら口にすることのなかった類の反省とも後悔ともつかぬ調子だった。決しておどけたわけではないだろうが、歯の抜けた口から出てくる言葉は記憶にあるそれと異なり、“しまり”がなくなっていた。
既に昇華していたはずの久しく感じたことがなかった罪悪感が胸にうずいた。
「侵略しちゃいました」
もう一度そういう母の言葉を、私は何も言わずにただ聞いていた。
かつて、母が半狂乱になりながら、夫への憎しみを、自分の不幸を私にぶつけ続けてきたころの面影は消えていた。高校生のころ、そうやって私の部屋に来た母親の不憫を感じて抱きしめた息子を、もう一度期待する様子も感じられなかった。
ずっと前に送った心理の本に書かれていた、いくつかの考え方を言葉にしていることは容易に想像がついた。

母と再会して少しした頃の出来事だった。
軟化した私の接し方も影響していたかもしれないが、曲がりなりにも生んでくれてありがとうと伝えて後のことだった。
ここまでくるのに、20年の歳月を要した。

これは私と母のちょっと昔の物語だ。人によっては、母の代わりに父だったり、妻や夫、兄弟姉妹、息子や娘など、様々な立場の人が思い浮かぶだろう。

相手がだれであれ、大切な方との間のつながりを再構築するために、こんな長い時間がかからないことを切に願う