望んだつもりはないにもかかわらず、
気がつくと“その気持ち”に
注目してしまっている人がいます。
もっとも、当人からすれば、
注目ではなく、囚われている、
と言いたくなると思います。
“その気持ち”とは、
起こった出来事に生じた、
気分が悪くなる感情で、
それが繰り返し脳をハックしている状態です。
起こった出来事はともかく、
感情は選択しているはずなのだけれど、
残念ながら、
選択をコントロールできていません。
引き寄せの法則ではありませんが、
残酷な気持ち、
腹立たしい気持ち、
怖れる気持ちに
クローズアップし続けていると、
現実になります。
それも、何もこんな時に、
という状況で。
クローズアップする出来事として、
本来は感じたくないはずのことを
なぜ繰り返し選択してしまうのか、
不思議ですよね。
会社の上司から怒鳴られたり、
重箱の隅をつつくようなミスを
批判され続けたり、
あるいはもっと小さなこと、
例えば、
同僚のちょっとした一言が
いつまでも脳裏を過り続けて苛立ったり、
電車の中で見知らぬ人と肩が当たって
そこに小さな悪意があることを想定する
ロジックを組み立てようとしたり、
と言ったことで、
貴重な時間が過ぎていくと、
もはや、困ったな、では済まされません。
★
湧き上がってくる感情を選択している、
そう述べましたが、
湧き上がる感情に責任を感じても仕方ありません。
感情は理屈だけでどうにかしようとしても
できるわけではないのもまた事実。
でも、素晴らしい。
ここ、つまり
感情に囚われた状態に気付くことは、
こうやって読んでいると当然に思えますが、
実は意外に簡単ではないのです。
だいたい、その不快な感情にハックされると、
自分自身か他人のせいにして、
状況をニュートラルに見る余裕がなくなります。
そして、頭の中は虜のごとく、“その気持ち”で
しめられている。
でも、“その気持ち”で感情が支配されている、
そのことに気づいたなら、
不快と言い訳の嵐の世界から
脱出するところまであと少しです。
★
先に、クローズアップし続けると
現実になりうる、といいました。
もう少し表現を変えて正確に言うと、
自分の内側で対流させ続けていると、
クローズアップした“その気持ち”が
現実になる。
ではどうするか。
あまり華麗なこと、スマートな答えを
期待しないでください。。。
とても地味で、実行し続けられれば
確実に効果はあると思う。
頭の中、心の中でひたすらクローズアップ
し続けるのではなく、
その感覚を何度も外に出す、
つまり表現し続けることです。
それは外に出し続けているうち、
湿ってねとねと絡みついていたはずが、
やがて乾いて干からびてきます。
表現する、あるいは外に出すということは、
“その気持ち”としっかり向き合うことが
求められます。
しっかり向き合うとは、
誰かのせいにしたり、
自分を責め続ける感情を脇に置いて、
“その気持ち”が生じる過程と
あなた自身の感情の大元にある想いを
常に見つめ続け、認めることです。
そして表現するとは
書くことと、声に出して伝えること。
後者はできれば、
揶揄や嘲笑はもちろん、批判や賞賛をしない、
安全な場であることが望ましい。
私たちは、複数ある真実の中から、
自分が信じるものを現実と認識するように、
繰り返し自らに根付かせるよう
プログラムされています。
それ、つまり自分が信じることが、例え、
駄目になるような、
一人孤独になるような、
自分本来の感覚と切り離すような、
そんな根付かし方だったとしても、です。
なぜなら、そう学んできたから。
親だけじゃなく、
学校だけじゃなく、
共同体の要素が希薄化する社会全体に
そんな空気が漂っているから。
少なくとも、あなたはそうだったでしょう。
花粉症のように、
その空気に感染しにくい人もいれば、
しやすい人もいます。
一般的には現実たりえない経験をして
そうなったのかもしれないし、
空気へ感染しやすい気質だったのかも
しれません。
でも、そこに自分自身をしっかり認められれば、
いっとき感染しても、
自分の想いに戻ることができます。
残念ながらこの症状は、
通常の病と異なり日常生活に影響が出るまで
時間がかかる。
そして影響が出始めると、
そこから盛り返すのは厄介です。
でも不可能ではないし、
そうなったからこそ自分の大切な想い、
大切な人々に気づき、
新しい出会いだって起こります。
怖れることなく、
自分の奥底にある感覚としっかり向き合い、
自分が本音で求めていたことを
知ることからはじめていきましょう。
ー今回の表紙画像ー
『某センター駐車場からの青空』
遮るもののない青空と大きな雲に吸い込まれるような気持になった。眼下に広がる家並みを見ると、ささやかでちっぽけで、でも一つ一つの家にはそれぞれの暮らしと想いがつまっているんだなあ。…と、夏の終わりの残暑の中で、ちょっとおセンチ。
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