一つ一つを大切に

日々の棚卸

 

仕事上の失敗を当てこすりされたり

同僚から軽んじて扱われたり

上司から罵声を浴びせられたりして

 

苛ついたり鬱々としていたにもかかわらず、

 

料理に没頭していたり、

ジョギングでランナーズハイになったり、

気の置けない友人と長話をしているうちに、

 

気がついたら気分が良くなっていて、

 

何だか妙に気持ちが落ち着いたり、

気分を暗転させていた出来事も

たいしたことではないように感じられたり

といったことがあると思います。

 

こんなことがあると、

ああ、人生は捨てたもんじゃないなあ、

なんて思ったりしますね。

 

反対に、

 

家事をこなしていたり、

夕飯の買い物をしている最中だったり、

そんな時に不意に、

今日あった嫌な出来事を思い出してしまい、

 

文字通り混乱し、

腹が立ち、落ち込み、といった

味わいたくない感情に襲われた経験も

あるかと思います。

 

前者の方が後者よりよいのは

誰にとっても同じでしょう。

 

でも、後者は起こる時には起こりえるし、

起こった後に生じる感情を

往々にして引きずって

 

その『停滞』に苦しんでいることが

少なくないのではないでしょうか。

 

 

停滞…

 

そんなときには、

残念ながら…

こんなことをしていたりする

…のかも…しれません。

 

あの出来事は、

 

あの人のあの言葉がおかしい、

あの態度が悪い、

あんな狡猾なやり方は卑怯だ、

 

などなどなど…、

 

考えられうる限りの理屈をつけて

自分の味方になっている

…のではなく、

 

『停滞』を続けることを

強化してしまっています。

 

怒りだったり、

落ち込みだったりといった

 

感情の是非を

問うているわけではないことに

注意して次を読んでください。

 

自分の中に湧き上がってくる感情には

責任はありません。

感情が湧いてくることそのものは

制御しようがないからです。

 

ですが、どんな、というか、

何を思考しているかについては

きちんと受け止める必要があります。

 

感情というものを勘違いしないように

ここでしっかりと定義します。

 

感情とは、言葉ではありません。

感情とは、思考でもありません。

 

ですので、

 

腹が立つ、憎い、哀しい、辛いと

表現している時、

それは既に思考の領域になっている、

 

ということです。

 

では、感情とは何か、というと、

 

それは

 

『体の反応』のことです。

 

胸が苦しくなる、

肌がざわつく、

体が震えだす、

胃が痛くなる、

 

などなど、

これら体の反応こそが

私たちが感情といっているものを

指しています。

 

ですので、これらの反応には

責任はないということです。

 

 

胸が躍るような楽しい時や、

体中の細胞が湧きたつように嬉しい、

というような体の反応は誰にとっても

喜ばしいけれど、

 

その反対に、

 

怒りに包まれた反応が長く続いたり

自分を批判し続けたりしていると、

やがて体に症状となってあらわれる。

 

例えば癌だったり、

例えば原因不明の発熱だったり、

例えば発疹だったり。

 

病は気からというのは

別に比喩でもなんでもなくて、

 

感情、つまり身体の苦しい反応を

そのまま続けていることによって

体がおかしくなってしまうこと。

 

感情という体の反応が常態化して

それに対処するために

体が起こす活動。

 

湧き上がる感情=体の反応自体には

責任はないと言ったけれど、

それを継続させる思考回路には、

 

自分が何とかする必要があるのです!

 

ここ十年くらいで、

巷にも広がった考え方に、

 

あなたが相手に腹を立てている間、

相手は何も感じていない、

あなたが腹を立てて苦しんでいるだけ、

 

というのがあります。

 

しかし、

もっと大切なことがあって、

 

腹を立てたり、

苛ついたり、

落ち込んだりを

 

定常的に続けているということが、

自分を虐めているということです。

 

自助グループなどでは

感情を害している時、

一番傷つけているのは自分だ、

という視点から、

自分を慈しむことの必要性を説いています。

 

先に、

情とは体の反応のことだと述べましたが、

 

怒りにせよ、

苛立ちにせよ、

落ち込みにせよ、

 

そういった本来味わいたくない感情に

継続的に囚われ続けていると、

 

体のあちこちが痛くなってきたり、

しないでしょうか。

 

整形外科やら、

整体やらに通うけれども、

なんかあまり良くならない…。

 

全身が痛いということはないと思いますが、

何か特定の部位だったり、

特定の原因不明の症状が

生じるということです。

 

そんなとき、

なぜ自分だけが、とするのは

受け止め方が本末転倒です。

 

何か体をひねったり、

無茶したわけでもないのに生じる

その痛み、その症状、

 

それらは体が教えてくれている、

人生からのメッセージではないでしょうか。

 

もっと自分を丁寧に扱ってよ、

もっと今を大切に生きようよ、

せっかく与えられた人生を

もっと自分に寄り添ってよ、

 

そんな声です。

 

 

きっと辛いことや哀しいことが起きて

苦しんだのだと思います。

 

昨日はそうだったかもしれません。

明日も同じだろうと

思い詰めてしまうのかもしれません。

 

不快なことや哀しいことがあって、

それが常態化して

その状態化した日常に合わせるために、

 

自分の中に都合の良い思考を発生させ、

それを継続することで

常態化した日常から受けるダメージを

最小限にしようとしていたのかもしれません。

 

でもそれは、

短期的にはともかく、

長期的には明らかに

心と身体をおかしくしてしまいます。

 

昨日は確かに辛く哀しい時間だった

かもしれません。

 

でも今はそうではないはずです。

今、

例えばこのブログを読んでいる瞬間は、

何かが起こっているわけではない。

 

あなたが何かを

“継続して”起こそうとしない限り、

 

今、

あなたを苦しめる何かは

あなたの内側意外には

起こっていないはず。

 

何かが起こっている以外の時間は

怒りや落ち込みの“思考”から

離れましょう。

 

なぜって、

もったいないからです。

 

その時間を、

気持ちよくも楽しくもできる、

そんな可能性だってあるはずです。

 

何かが起こっている以外の時間は、

気持ちよく過ごすための時間なんです。

 

一つ一つを大切に。

明日が変わります。

 

 

MDL(My DeBr Life)の概要を知りたい方はこちらへお越しください

https://nBkBtBnihidetBkB.com/meeting/

 

個人の相談はこちらへどうぞ

https://nBkBtBnihidetBkB.com/business/

 

 

ー今回の表紙画像ー

『雨上がりの川から太陽をのぞむ』