負の感情との付き合い方

日々の棚卸

 

負の感情…

 

その範囲は人それぞれ、

微妙に異なるかと思いますが、

誰もが持っている感情であることは確か。

 

そして、

 

怒り、妬み、羨み、苛立ち、憤り、悔しさ、

嘘、哀しさ、焦燥感、怖さ、後悔、無力感、麻痺、

……

 

そんな言葉の総称になるのかと思います。

 

本来ひとくくりにして接することは

ありませんが、

 

総じて、

味わわなくて済むものなら、

決して味わいたくない、

 

そういった感情のことでしょう。

 

そんな感情に、自分を占領されてしまうと、

心の(時には体の)痛みとなって

のたうち回る羽目になります。

 

その状態が長く続いたり、

逃げようがないと思い込むほどに、

負の度合いはますます強まり、

 

時には、

暴走したり麻痺したりして、

自分で自分がわからなくなってしまい、

 

いつしか、

メンタル疾患の道へまっしぐら、

ということも、ままあります。

 

メンタル疾患というのは

大げさだと思われる方も

おられるかもしれませんが、

 

実際に、少なくない数の人が、

この流れに沿って、

メンタルをやられています。

 

鬱病の一部はそんなところからも

生まれているのではないでしょうか。

 

 

感情は、あるいは心の動きは、

胸だったり、鼻の奥だったり、と、

場所は問いませんが、

 

私たち、人の体の反応として

あらわれることはご存知の通りです。

 

心とか精神とか魂とか言うけれど、

それが何がしかの形で、

 

私たちの行動に、勢いを与えたり、

反対に、生き方を縮ませたり、

時に理解しがたい奇妙な行動に駆り立てたり

 

するわけです。

 

何が言いたいかと言うと、

感情とはそれ自体が“エネルギー”だと

いうことです。

 

当然のことながら、

負の感情もまたこれしかり。

 

エネルギーだからこそ、

 

それが

自分の存在を批判する形の爆弾となって

内側で暴れていたり、

 

内壁のあちこちに取り付いて、

そこから染み込んだりして、

 

これまであなたが曲がりなりにも

構築してきたあなたの存在のありようを

批判しているように感じるのだから、

 

それは苦しくて痛いでしょう。

 

この対処方法としては、

まず何より、

 

心の底にくぐもっていた

それらの感情をしっかりと認め、

浮上させてあげる必要があります。

 

ただし、浮上させると言っても、

その感情の通りに行動しろ、

ということではありませんよ。

 

それは赤ん坊だけに許されること。

 

もっとも、世の中には、

少なくない数のいい年をした輩が

 

表面上は大人の言葉を使って、

パプーバブーとやっていますが。。。

 

それはさておき、

そんな負の感情に苛まれているあなたにも

今からできることはあります。

 

例えば、次のようなことを

試してみてはいかがでしょう。

 

⓪先にも述べた通り、何よりもまず、

負の感情もまた感情の一種であると知ること。

 

本来自分に備わっているパワーの根源が

自分を攻撃するエラーを起こして、

内側を傷つけているものです

 

①その感情の存在を否認することなく、

あたかも一個の人格であるかのように

としっかりと認めてあげること。

 

一言心の中で、

「そうだったんだね」と

寄り添うことです。

 

②-1.その感情を自分の一部と認めて、

一緒に寄り添いながら、

自分を責めるのを中断すること

 

本当は中断ではなく、

終了と表現することが適切なのですが、

そう書いてしまうと、

 

終了できませんと言われる方が出てきて、

この先へ進めないと推測されるので、

ひとまず中断としました。

 

②-2.相手の責任にして

相手の非を上げつらって

非難することも行わないこと

 

例えば、

 

自分が行った仕事が相手の罵声で批判され、

傷ついた自分がいる時に、

相手に意識が奪われていると、

 

非難や仕返しの思惑で頭が占められ、

その局面を打開するあなた本来の力が

削がれてしまいます。

 

②-1と②-2はセットです。

 

③負の感情で傷ついた自分と“一緒に”

どうしたらよくなるかを“決め”

必ず『実行』すること!

 

あなたへの非難、

大切な人に起こった悲劇などは、

 

例え、それが一時的に自分を苦しめたとしても

あなたの本来の価値を

損ねるものではありません。

 

④非難や批判、悲嘆、苛立ち、焦りなどの形で

自分の内側に宿されてしまったエネルギーの

もっとも奥深い部分を、

 

心の表層まで持ち上げるイメージを描き、

その上にある部分はそのまま、

正のエネルギーに変える。

 

傷ついたあなたに寄り添う、

もう一人のあなたが

勇気づけるように、

 

「誰が何と言おうと、

自分なりにやれることをやっていこうよ」

 

「大丈夫、私なら、何とかできるよ」

 

「できるこしかできないのだから、

今できることをやっていこうよ

言いたい奴には言わせておこう」

 

「うまくいかなかったとしても

世界が終わるわけじゃないし、

自分の価値がそれで決まるわけじゃない」

 

「助けてくれた人々に感謝して、

できることをやっていけば、

他にも生きる場所ができるよ」

 

「自分を苦しめる存在のために、

自分を守ってくれたり大切にしてくれた

存在をぞんざいに扱わないように生きようよ」

 

「どうしてもダメなら少し休もうよ。

自分を守るのは自分なのだから」

 

負の感情の外的な要因をもたらす

他者がいるとするなら、

 

仕事にせよ、

家庭の不和にせよ、

友人づきあいにせよ、

 

その人々もたいていは、

あなたをそこまで追い込むことが

本意ではない場合がほとんどです。

 

 

負の感情は、しっかりと認めて

受け止めてあげれば、

あなたの『味方』になってくれます。

 

あなたに備わった感情、

あなたの中にある感情、

時にはずっと長く一緒にいた感情は、

 

あなたを責めたり、

他の誰かを責めたりしないようにすれば、

 

本当の意味で

あなた自身を痛めつけることなんて

まずありえません。

 

なぜなら、それらの感情は

ある意味であなたを守るために

そこにいてくれるからです。

 

周囲に合わせざるを得ない、

そう感じていた自分自身が、

 

その感情を不都合と決めつけ、

見ないことにしてしまった結果、

 

それでもあなた自身を生き延びさせるために

そこにいてくれている存在であると

気づいてください。

 

こう書いていて思いだされるのは、

ギリシャ神話のプロクルーステースの話です。

 

どこだったかの強盗の名前ですが、

通りかかる旅人に向けて、

休んでいきなとか何とか声をかけ、

 

寝台に寝かしつけて

寝台からはみ出た足を切り落とし、

寝台の長さに足りない背丈を強引に伸ばし、

 

相手を死に至らしめていた、

というお話ですが、

 

何だか、あなたがあなたに

やっていることと、

似ていると思いませんか。

 

そんな生き方はもうやめにしましょう。

 

ー今回の表紙画像ー

『近所の公民館のお花』

え?さくら?最近、ピンク色の花を見かけると、ぱしゃりとやってしまう。。。