『だから言ったのに』に耳を貸さない ~ 恐れずに意見を求め、そして自分で決めよう

日々の棚卸

 

何かをする必要に迫られて、

あるいは何かがしたくて、

経験者からアドバイスを受ける。

誰しもが経験していると思います。

 

何もかも決めるのは自分だから、

誰とも相談しない。

そう言う方もいます。

 

私自身は、今は自分のことで

誰かに相談することはあまりありません。

もちろん必要に応じて

プロの専門家の意見を

求めることはありますが

あまり決め事に悩むことが

なくなりました。

 

そんな私ですが、

その昔は、周囲にアドバイスを

頻繁に求めていました。

学生時代の先輩だったり、

長い付き合いの友人だったり、

身近な年長者だったり。

 

必要に応じてアドバイスを受けることは

とても大切だと思います。

具体的に何か

身になることがなかったとしても、

その時は誰かの意見を聞くことで

安心を得ることもできるからです。

多少なりとも迷いが消えることもあります。

何より、追い込まれているときなど、

仮に解が得られなくても、

閉塞感が薄らぎ、楽になります。

 

アドバイスを求める例は多種多様、

ちょっとしたことから、

一世一代のことまで

本当に数えきれないほど

あると思います。

免許を取って、

初めてのドライブで気を付けること、

今の仕事をやめて新天地を求める時の心得、

好きな人に告白するとき、

催しに参加したらよいか迷っている時、

結婚や離婚を決めるとき…。

 

ずっと昔の若い頃の個人的な経験では、

受けたアドバイスが正しいことも

間違っていることもありましたが、

相談の内容が重くなるほど、

相談を持ち掛ける相手が、

経験したかとか、知っているか、

ということよりも、

その人がどう生きようとしているか、

どう生きてきたかが、

自分にとって重きを置ける

アドバイスだったかどうかと

大きく関係していたように思います。

 

そう言ったアドバイスを受ける中で、

言われることがあります。

「これは絶対やっておけ」

「これは間違ってもやっちゃだめだ」

要するに、指示に近いことですね。

 

他にも、

「ちゃんと今後の待遇のことを考えて、

仕事を選ばなきゃだめだぞ」

「そんな夢のようなことばかり追いかけると、

後で後悔するよ」

「そこは我慢するところだろ」

「そんなことすると痛い目見るぞ」

 

どれも制限を設けてくれる

立派なアドバイスです。

アドバイスとは、

進む方向があまりに漠然としすぎて

何を基準にどうしたらよいかが

わからないからこそ

有効になることですからね。

 

ですが、そのアドバイスが

自分の望み、希望と

相反する場合が出てきます。

相談がちょっとしたことで、

少し他の考えも聞いてみよう、

という程度なら、

特に何の問題もないのですが、

これが、

転職するとか、結婚するとか、

そう言ったことの場合、

自分が半ば決めかかっていたことで

あわよくば背中を押してもらおうと

目論んでいたことに対して

ブレーキを掛けてきたり、

その反対だったりすると、

アドバイスを受けた人が

例え絶大な信頼をおいている人で

あったとしても、

自分の中で折り合いをつけることは

なかなか難しいものです。

せっかく受けた貴重なアドバイス。

それも理屈の上ではとても納得できる。

…でも、傾きかけた自分の想いとは

相容れない…。

どうにも感覚的にしっくりとこない。。。

 

暴走していないと自負があるのであれば、

自分の想いを実行してみてはいかがでしょうか。

 

躊躇があるから、

自分に自信がないから、

痛い目を見るのは嫌だから、

アドバイスを受けた。

例えそうだとしても、結局、

最後に結果を引き受けるのは

自分自身です。

選択が良い結果を望むのは

誰しも変わりはないと思います。

しかし、目先の果実を得るために、

下手に工作するよりも、

自分で選択して

自分で結果の責任を取ることほど、

貴重な経験を会得し、

しかも自分で決めたという

自負と自信を得るものはありません。

もちろん結果として

アドバイスと正反対の選択になるとしても、

手痛い失敗に終わって

後から「だから言ったのに」と

言われることがあるとしても、

自分の想いに従って選択したことが

失敗に終わっても、

その経験は決して無駄にはなりません。

 

私たちは、ともすれば

ハウツーを欲し、

ハウツーを実行することで、

なぜか自分の想いまで

遂げられるような錯覚に陥りがちです。

 

それは、嘘です!

ほとんどあり得ない、と言ってもいい。

 

ハウツーがあるとしたら、

それは自分のみに有効なもの。

それはもう、ハウツーとは言いません。

 

生きるのは私たち自身で、

人生の主人公もまた私たちです。

アドバイスはアドバイス。

 

誰でもたどり着けることに

とても時間がかかったとしても、

人より遅かったとしても、

そこにはあなただけが

身に沁みて体得し、感じ取り、

学び取ることができたことが

あると思うのです。

専門家の揶揄やしたり顔に

耳を貸す必要はありません。

自分で決めて、

自分で動き、

自分で結果を引き受ける。

 

これまでだってそうだったでしょう。

たくさん痛い目を見て、

たくさん嫌な思いをして、

たくさん爪はじきにされて、

それでもまだどこかで

自分の想い、

内側から湧き出てくる大切な想いを

信じている。

そう考えれば、無駄なことなど何もない。

何だか当たり前の結論になって

しまいましたが、

無駄のない人生なら、

面白いことに時間を費やせるように、

動いていけるといいですよね。

 

『面白きこともなき世をおもしろく』

と締めくくらせていただきます。

 

お読みいただきありがとうございました。

 

ー今回の表紙画像ー

『梅の花』

習い事に行ってる敷地の駐車場より。

今年の冬は暖かかったなぁ。