絶望する権利と責任

日々の棚卸

自分がやりたいことを見つけて新たな人生を踏み出すために、生まれてからこれまでの生活 - 主な出来事やその時の感情など - を振り返る方法があります。心理カウンセリング以外にもコーチングや起業セミナーなどでも行われていると思います。

私は中学1年生の時に引っ越しをして○○県から××県に移住して、そこで凄まじいいじめにあってひきこもりになりました。そのまま20年近くが過ぎ、今に至ります。人生はお先真っ暗です。

私は大学2年生の時に大失恋をしました。相手が二股をかけていました。金輪際男性を信用できません。

私は37歳の時にリストラにあいました。貯金がほとんどなく、障害を患っているため、とても苦しい思いをしました。私のような人間は生きていてはいけないと言われているように感じました。

私は……。

 

このように、過去に自分が追い詰められたり苦しんだこと、大きな転換となった出来事を挙げて、その時の周囲の状況(親の対処、学校の先生や会社の同僚の反応など)、自分が持った感情(途方に暮れた、泣いてばかりいた、焦って駆けずり回っていた、何も感じなかったなど)を具体的に取り出し、そこから今に至るまでに自分がどうやってきたか、あるいはこなかったか、などをできる範囲で振り返り、今後自分がどう生きていきたいか、何にチャレンジしたいか、といったことを抽出するヒントを得ようとします。いわゆる人生の棚卸し作業ですね。

もともと、自分の人生がうまくいっていないと感じている人が行う作業であることが多いため、明るい話は少なく、あったとしても後日談で暗転したという落ちがついていたりしますが、かつての私を含めて皆が自分をあきらめることなく、“次”のステージへ向かおうと真摯に取り組んでいます。

そして、その過程で多くの人が一度は“絶望”を感じていた(いる)ことをあらためて言葉にします。

 

絶望を感じる状況は人によって様々です。ある人が別の人に起こった出来事を見れば、そこまで絶望するほどのことなのか?と感じるかもしれません。ですが、当人にとってはそう感じられないから絶望なんですよね。

そこから、自分に起こった出来事をどう受け止め、どう咀嚼・昇華し、次の行動に移していくか、が未来の自分によって問われていると私が気づくまでには、何度も挫けそうになったものです。

 

フランツ=カフカという絶望の名人は「ぼくは自分に果てしなく絶望する権利がある」と言ったそうです。19世紀のチェコに裕福なユダヤ商人の子として生を受けた彼が、有名な『変身』を書いたのは1915年のこと。第1次世界大戦の最中で、ヨーロッパも戦場になっていた頃のことです。

40歳で息を引き取るまで、彼が終生この“絶望”の感情から抜け出ることはなかったといいます。

性格や時代背景などがあるにしても、彼が今の時代を生きる私たちよりは厳しい状況にあったとしても不思議ではなかったと思います。ことに人の関係(しがらみ・しきたり)や自由の制限、社会的に望まれる生き様などの硬直性は、なかなか想像しづらいものがあったのではないでしょうか。

彼は自分のことを、「完璧に無能」と言っていたともいいます。この言葉が何だか彼が抱える感情のすべてを象徴しているよう。何というか、つらかったろうな、という通り一遍の言葉では表現しきれないような深く暗く果てしない闇を抱えていたのかな、と想像します。

こんなふうに自分を捉えざるを得なかった彼のことを思うと、何だかとても哀しい。そんな彼だからこと、名作を残すことができたのかもしれませんが。

 

場末の一介のカウンセラーが彼のことを批評・評価するのはおこがましい限りですが、もう少しハードルを低くして生きることはできなかったのだろうかと思ったりもします。実際には、一つ一つのハードルの問題というよりも、根源的な生きる感覚についてのやりきれなさや己の存在の根底に感じる不確定な感覚みたいなものを、絶望という感覚によって自己治療していたのかなと考えたりもしました。

いずれにしても、曲がりなりにも、半官半民の機関でサラリーマンをしながらこんな作品を執筆できる人が、“完璧”に無能なはずがない。

朝起きて仕事に行くこと、自活していること、持論を展開すること、これらを取るだけでも“普通に考えれば”とても立派なことだと思うし、現代の価値観からすれば、しっかり社会人をしていると言えます。

 

以前、マンホールチルドレンの話をしたことがあります。物心ついた頃からそういった場所に住み着いている子供たちは、哀しみや怒りを心の奥底にしまい込み、絶望するだけの余裕がありませんし、そもそも自分の奥底の感情に気づくこともないでしょう。

https://nakatanihidetaka.com/happiness/

どこかで無意識に絶望の状況と比較する“何か”を彼も内在化していたような気がします。

 

絶望という感情は、とても苦しいものです。

これがどんな類のものであれ、陥った人は身動きすることができないほど、何もかもをあきらめようとしてしまう。

その人にとっては、その時に考えられるだけのことを考え抜き、あるものは実行してきた末に陥った感覚でしょう。決して、目的を大きく持ち過ぎたため、とか、真剣さが足りなかった、などということでもないでしょう。

ただ、一つだけ言えることは、自分がコントロールできると思った何か、コントロールしなければいけないと感じていた何か、自分とともにあると信じていた何かが、どう考え抜いたところで、自分の範疇の外にある、自分にはどうしようもできないと感じたとき、その感覚に陥るように思います。

 

絶望する権利の中には、絶望してしまうほどの希望なり夢なりを内在化させてくれた、これまでの時間や想いが含まれていると私は考えています。だからこそ、それらを守ろうとしたり、個人的な夢を見たり、そういった生き方をしようと無意識のうちに試みるのだと思います。

不思議じゃないですか?:

絶望を覗いてみたら、希望の欠片が眠っているなんて。

 

ごめんなさい。

これはあくまで私の見方です。

全ての人には絶望する権利がある。

理由はいらない。

ただ、その人はその瞬間から、絶望を脱して自分の道を見つける責任(という言葉が厳しければ『可能性』)もあわせて持つことになる、とも言えないでしょうか。私たちが抱える感情の真のメッセージが、私たち自身を傷つけることはないと思います。絶望の感覚は、痛く苦しくともすれば無気力をもたらしますが、慌てず寄り添い続けると、そこに絶望が見せてくれる“どう生きたらよいか”の大切なメッセージが浮かび上がってくると思うのです。

 

大好きな父と母がおかしくなって、原家族が壊れ、どうしてよいかわからなくなった頃のことが、今も鮮明に蘇ります。あの時の絶望は文字通り、体の機能を止めてしまいそうになるほど、精神的だけではなく肉体的にも苦痛とそれを通り越した無感覚に包まれた時期でした。長い時間をかけて闇の中を彷徨いながら、その状況に絶望できるほどの何かを与えられていたのだという感覚が蘇ったとき、絶望さえもが未来を生きるためのプレゼントであったようにさえ思えます。

今、生きていてよかったと心の底から感じています。

ー今回の表紙画像ー

『川を渡る雲』