好きなこと、得意なことをしなさい。
よく言われます。
好きでもないことをしているから、
嫌なことをしているから、
言われたことだけをしているから、
うまくいかないし、
苦しいのだ、と。
あなたが生まれてからこれまでに
「楽しい」と思ったことは何ですか?
それを思い出してトライしてみなさい、
そこからワクワクを追いかけていけば、
きっと今より楽しい人生がありますよ。
私も時々、そうなのかな、と思います。
でも、微妙にずれているというか、
先走りすぎている気もするので、
以前に私の考えを、下記に書きました。
https://nakatanihidetaka.com/beforewakuwaku/
ワクワクという、
ドーパミンがたっぷり放出される生活。
これがきっかけとなって、
そこから自分にとっての納得いく生き方を
見つけ出すことがあります。
セミナーとかで、
何人もの講師さんたちがそう言っています。
今はジャンルを問わず、
そういった言及もなされているようです。
そういったアプローチは、
少なくとも、
愚痴だけ言って何もせず、
嫌々生きて仕事をしているよりは
ずっとましだし、
素敵なことだと思います。
ただ、
実際には好きなこと、
得意なことをやっても、
あるいはやろうとしても
思い通りにいかないどころか、
始めることさえ困難だったりすることも
またよくあったりします。
不思議ですね。
好きなことなのに、
得意なことなのに。
ワクワクするはずなんだけど、
なぜだか、
動けない。
動きたくない。
何か、動こうとする自分を阻むものがある。
動いているつもりなのに、
実は全く動いていない。
当然、結果はついてこない。
動く自分は、
実は、
突然発動するものではありません。
よく言われることは、
どんな結果も受け入れる準備が
できていることだ、
なんていうのがありますが、
それは覚悟というより、
あることの結果として
必然的に湧き上がってくることです。
そのあることとは何かといえば、
動くための土台ができていること、
あるいは、
再興していること
です。
それは、
身も心も弱り切った状態で、
小利口な状態で、
上澄みをかすめ取ろうとしている限り、
決して得られるものではありません。
これは、
いつも言っているように、
素の自分を認めるところまで
たどり着いているかということです。
好きなことがキーワードになりえるのは、
素の自分を思い出せる可能性が
あるからです。
実際には、
好きだけではどうしようもないことが、
好きなことを続けていく中にも
数多くありますが。
北野たけしさんの詩集
『僕は馬鹿になった』(祥伝社)の中に
『だまされるな』という詩があって。
その最後は、こう締められています。
「人間、生まれて、生きて、死ぬ、
それだけで、十分すごい」。
たけしさんを引用するのは
人によっては躊躇されるかもしれませんが、
彼は時々、物事の核心を
ズバリと突いてくることがあって、
それで救われる人が少なくないからこそ、
お笑い以外の分野でも
受け入れられているのかなと思います。
その彼にして、
バカになった、
と自らを言わしめている。
いえいえ、みんなバカです。
気を悪くした方、ごめんなさい。
でも、私たち、みんな、おバカさんです。
少なくともそんな要素を持っている。
そう考えてみてはいかがでしょうか。
どこの馬の骨ともわからないおやじに
バカ呼ばわりされて腹が立つ?
……
ほんとにすいません。
でもね、
それは、
それこそは、
実は、救いでもあると思います。
その受け止め方にこそ、
その感覚にこそ、
自分が生きていくうえで納得のいく、
そして望む類の優しさや強さが宿ります。
生きる力が湧いてくる土台を作ります。
素敵だと思いませんか?
そう、
だまされるな!
好きなこと?
楽しいこと?
それは、
自分の土台が固まって、
世の中という制限を受け入れて
生きていけるようになる中で、
そんなことを意識しなくなったときに、
気が付いたら携わっていることでしょ。
勝手にやり始めていることでしょ。
没頭していることでしょ。
まず、
好きなことも、
得意なことも
楽しいことも、
うまく見いだせない状態の自分を
きちんと受け止めて、
素の自分をそのまま感じ取り、
しっかりと受け入れましょう。
そして、その自分を土台として、
生きていけるように心がけましょう。
その過程で、必然的に
自分がやりたいことは見えてくるし、
その時には、
ワクワクとかドキドキの捉え方も変化する。
自分にとってそれらが意味することが
理屈抜きに感じられるようになります。
あわてない、あわてない。
ー今回の表紙画像ー
『散歩中のにゃんこ』
雨が上がって月が見えていたので、いそいそと写真を撮りに行ったら、彼女?と遭遇して思わずパチリ。お月さまの写真は明日以降。
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