なかったことにしないで

日々の棚卸

 

充実とか肯定という感覚の中には

心の土台が安定しているという

感じがあります。

 

それは、

 

働いている時か、

子どもと一緒にいる時か、

好きな趣味に入れ込んでいる時か、

 

とは別の次元のもので、

おそらくはもっと前提にあるもので、

 

自分が何をしているか、

どんな方法を取っているか、

以前の根本的な在り様です。

 

つまり、

 

今選択していること以前に整えておく

ことが望ましくて、

 

そうでないと、

 

やりたいことを仕事にしている、

大切な子供と一緒にいる時間を持っている、

好きな趣味を持っている、

 

といったことを実現していたとしても、

 

なぜだかエネルギーが湧かず、

というより、

エネルギーが蓄積されず、

 

何をしていても、

どこか虚ろだったり、

違和感を感じ続けたり、

微妙に苛立っていたりします。

 

それだけなら、

ちょっとした感情の“揺れ”程度に

聞こえるかもしれませんが、

 

それは真冬に感じる

なかなか治らない肉離れや

なかなか接がない骨折の痛みのように、

 

常に不快な感じを感覚の根底に伝え続け、

その歪みの蓄積と痛みが

心身を疲弊させます。

 

どうしようもなく辛い、苦しいとしても、

今はそこにフォーカスしたくない、

という自覚があるならいいのですが、

 

もう終わったことだから、とか、

考えてもきっと意味がないから、とか、

そういうのはどうでもいいから、とか、

 

要するに自分の土台を築いている

“痛み”“哀しみ”の部分から

目をそらしたまま、

 

触れなければたいしたことじゃない、

と『勘違い』していると、

 

あなたとあなたの大切な人々の人生を

徐々に蝕んでいくかもしれません。

 

幼い頃に受けた親からのひどい仕打ち、

ぶつけられた心ない言葉、

教師や上司に正当化された陰湿な差別、

 

直接自分に対してではなくても、

家庭や学校で繰り返し暴力行為を見たり、

人を悪く言うばかりで何もしない親といたり、

 

といったことは、

一度や二度ならともかく、たいていは

繰り返しくりかえし経験し、見聞きさせられ、

 

そうするうちに、

あなたの中で大切な何かを窒息させて

しまっていないでしょうか。

 

 

起こったことは

なかったことにはできないので、

 

その傷が形を変えて、

苛立ちや不全感や絶望感に

繋がっているのであれば、

 

それは対処が必要なことです。

 

本当ならその時どうしたらよかったか、

何をしていればよかった、

そういったことを想定してみるとともに、

あなた自身を抱きしめることはできます。

 

繰り返すと、

 

過ぎたことをなかったことにはできない、

終わったことを取り返すことはできない、

時間を遡ることはできない、

 

でも、

 

そこで見失ったり手放してしまった、

自分に大切な部分をもう一度

見出して受け入れることはできます。

 

世にメディアが氾濫し、

真偽定かでない情報が蔓延し、

社会の評価軸で何をしたらよいかが謳われ、

 

なぜか堂々巡りの混乱の日々が続いている、

ということになっているなら、

一歩引いて考えてみてください。

 

何某かの理由で、

当たり前にあると思っていたものが崩れると、

 

私たちは混乱してパニックに陥り、

幾ばくかの時間の後、

その出来事に蓋をしてしまいがちです。

 

その方が当座の精神衛生上よいから、

と考える人は少なくありません。

 

アルコールやタバコが体に悪いと知りながら、

それを我慢する方がストレスだからと

摂取してしまう理屈と同じです。

 

継続と蓄積こそが最大の影響を招くことは

言わずもがなで、

なかったことにすることを続けることで、

 

土台に住み着いた腐敗し続ける痛みまでを

なかったことにすることはできません。

 

決して自分の中にいる、

哀しみ苦しみ怒る自分が

いなくなったわけではないんです。

 

自分の一部を切り離すことで、

その痛みを当座感じなくさせているけれど、

 

返す刀で、生きる力、気概、未来の夢、

そして大切な周囲の人々をも勇気づける力が

衰えた状態になってしまってもいます。

 

どうしても今すぐ向き合えないなら、

それはそれで仕方ないと思います。

 

未だ、感情の嵐が吹き荒れているなら、

その真っ最中に取り組む必要はありません。

 

だから、

深呼吸して、心と身体をリラックスして、

落ち着くことができたなら、

 

『その時の自分』になってみることを

試みてください。

 

その時本当はどうなってほしかったか、

どうしたかったか、

何がどうなることを願っていたか、

 

そういったことが身体の感覚を通して

よみがえってくるはずです。

 

 

さて、

一部の方はここまで述べてきたことは

 

もしかすると、

想像、あるいは推測はできていた

かもしれません。

 

そして実践しない理由として、

それを思い出したらどうなるんだ、と

反発を感じているかもしれません。

 

歴史にIFはない、といいます。

 

それを持ち出して、

起こってしまったことを持ち出して、

変えられないことを思い出して、

何をどうするというのだ、

 

と言われるかもしれません。

 

ですが、

 

そこに自分の想いを馳せ、

その時の自分に精一杯寄り添って、

もし、こうであったらと思えることを

“繰り返し”想い描いてみるのです。

 

確かに現実はそうはならなかった。

 

でも、だから、なかったことにしていると、

また同じことが形を変えて起こりえます。

少なくとも起こることを拒絶できません。

 

だから、

 

起こったことをしっかりと受け止めて、

そうならなくて済むために、

 

あるいはそうなったとしても

自分を保っていられるように

 

今からでも精一杯自分に寄り添って、

どうするのが最適だったかを一緒に感じ取り、

もう一つの歴史にするんです。

 

今度はそうならない現実を生きる知恵と気力が

新しい人生を切り開くことになります。

 

新しい年が始まります。

どうか今年が皆様にとって良い一年となりますように。

 

本年も宜しくお願い致します。

 

 

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ー今回の表紙画像ー

『横須賀港より空をのぞむ』

空と雲を見ていると、人間ってちっぽけだな、と釣りの間に思ってしまいました。