思い詰めないで

 

今ある日常が、

 

抜け殻のように感じられたり、

何をするにも不安に苛まれていたり、

まるではかったようにヤル気が失せたり、

 

そんな状態である時、

考えてみてほしいことがあります。

 

その感覚は何かを基準にして

今の状態と状況を比較して、

生じたものではないでしょうか。

 

湧き上がってくる感情も

包まれてしまう感覚も

それ自体に罪はありません。

 

人は必要のないことは行わないように、

無意識まで含めた時、

不要な感覚は湧き上がってこないはず。

 

そこに注目して

なぜそんな状態にあるのかを

見ていきましょう。

 

 

かつて、

充実した時間を

もったことはあるでしょうか。

 

家族のこと、

仕事や勉強のこと、

恋愛のこと、

将来のこと、

 

そういったことに纏わる

様々な不安要素や負の感情を忘却し、

何かに没頭し続けて、

 

気がついたら日が暮れていたり、

就寝時間をとうに超えていたり、

そういったことです。

 

あるいは、

 

ある目的のため、

特に誰かを助けるためだったり、

何としてもレアチャンスをつかむために

 

必死に歯を食いしばって頑張ったり、

神経を研ぎ澄ませて臨んだり、

つらい時間を気合で過ごしたり、

 

といったことはあるでしょうか。

 

そして、その結果…、

 

夢にまで見た目的は達せられなかった、

 

または、

 

達成したつもりだったけれども

実際には、

望んだとおりの結果が得られなかった、

 

そういった経験はあるでしょうか。

 

もしあなたが、

そんな一連の哀しい過去の

経験者であるならば、

 

もしかすると、

最初に書いたように、

 

今ある日常が

 

抜け殻のように感じられたり、

何をするにも不安に苛まれていたり、

まるではかったようにヤル気が失せたり、

 

感じているのではないでしょうか。

 

なぜなら、そんな経験をした身には、

『普通』の時間さえもが

苦痛になるからです。

 

苦痛とは、

 

例えば、

 

自分がそこにいることを

否定的に感じたり、

 

自分がやっていることに

意味を感じなかったり、

 

自分がそうしていることが

不幸を招くと思い込んでいたり、

 

ということを意味します。

 

それらの苦痛に苛まれている人の中には、

 

そう感じている世界の外側に出て、

どうしようもない勘違いに

気づいてはいる人もいれば、

 

外側があることに気づかず、

もがいている人もいます。

 

いずれにしても

一つだけ確実に言えることは、

 

充実や没頭という楽しさ、

必死の頑張りという悲壮感の状態から

零れ落ちて、

 

そんな形の苦痛を感じる世界に

入り込んでしまうと、

 

今ある日常が

どうしようもなく不安と恐怖に

包まれているように感じることです。

 

実は、

 

それは元に戻っただけ、

つまり楽しさや悲壮感に行く前の

自分が当たり前に存在すること自体が

当たり前で、

 

疑うことなく自分自身の感覚を信じて

生きていた頃に戻っただけ、

 

なのかもしれませんが、

 

そんな解釈は難しくなっている

のかもしれません。

 

なぜなら、

 

二重の意味で自分に内在しているはずの

パワーを感じられなくなっているからです。

 

どんなパワーかというと、

 

自分が日常に当たり前に存在していることを

当たり前に受け入れる力と、

 

何かをやることによって望む未来に

向かっていくという希望を感じる力

 

です。

 

繰り返しになりますが、

 

とても、ホントにとても

大きな勘違いというか

思い違いがもたらした錯覚です。

 

言うなれば、

 

自分の今の状態を“正当化”するために、

 

そのままの世界を見て感じて、

ということをせずに、

 

世界の構成の方を歪めて見てしまっている

ということです。

 

それが先に挙げたように、

 

ヤル気があるわけでもなく、

 

使命感を持っているわけでもなく、

自信喪失状態で、

 

嫌気と怖れに塗れた時間になっている、

状態をもたらしています。

 

そう、見方が逆なのですね。

 

その感覚を持つことによって、

辛い経験を固定化し、

 

固定化した経験に見合うように

世界を歪めて見ている。

 

でも、考えてみてください。

 

それは裏を返せば、

自分がどうでありたいかを

示していることになるのです。

 

確かに、混乱しているでしょう。

 

何せ、

 

抜け殻のように感じられたり、

何をするにも不安に苛まれていたり、

まるではかったようにヤル気が失せたり、

 

となっているわけですから。

 

ホントは、

 

どうしたらいいか、

分からなくなっているだけで、

たいていはどうにかなるものなんです。

 

世界は歪めてみる必要なんてないし、

あなたがした経験はそれが全てではない、

 

あなたが経験するに至る

それまでの取り組みは

決して無駄ではなかったはずです。

 

一つだけ気にすることがあるとすると、

 

そこには、

あなたをそう感じさせるトリックが

仕組まれていて、

 

そのトリックは、

あなたの取り組みを完遂した結果、

誰か、何かが良くなるという、

『レトリック』を

組んでしまっていたことです。

 

本来つながりがあるとも限らない、

“取組”と“得たい結果”の間を

勝手につながっているものと

考えてしまったことです。

 

無理もないかもしれません。

 

それほどに切望したことなのですから。

 

だからこそ

没頭したし、必死に取り組んだのですよね。

 

 

いかがでしょう。

 

そろそろ思い違いに

気づいたのではないでしょうか。

 

もしそうであるならば、

 

望む結果を得られなかった

あなたの取り組みの時間と

あなた自身とを

許してあげませんか。

 

そしてそんな時間を生きたあなた自身を、

 

哀しいけれど確かな人生の

1ページの歩みとして

静かな誇りとともに、

 

受入れ、一体化しませんか。

 

実はそれこそが

本来の望みだったのではないでしょうか。

 

 

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ー今回の表紙画像ー

『品川旧海岸通り』

所用で品川へ行ってきた。