迷いが生じたときには

日々の棚卸

うまくいくと思って始めた生き方で、

迷ってしまったり、

苦しみが続いたりすると、

自分がやっていることが

本当にそれでいいのか、

本心からやっているのか、

疑問が浮かぶことがあります。

つまり、

日常の物事が何もかもうまくいかない、

そんな気になってきたりするものです。

 

多くの場合は、

家事を含めた仕事か

人の関係の中に表れてくるもので、

要するに、

仕事の結果はついてくることなく、

人の関係はギスギスしたり、

よそよそしかったり、

お金が足りない気もしてきたりして、

そうこうするうちに、

今の生き方や、

今の考え方や、

今の感じ方、

つまり、自分の在り方や

果ては存在そのものまでをも

疑うようになってしまいます。

 

自分まで疑ってしまうのだから、

当然、

このまま続けても、

実は何も変わらないのでは?

というより、

うまくいくと思ったこと自体が

間違っていたのでは?

だから実は

悪い方向へ進んでしまっているのでは?

いや、もしかしたらもう、

行き詰ってしまっているのでは?

身動きが取れなくなっているのでは?

いやいや、それこそ既に

取り返しがつかない一歩手前まで

来てしまっているのでは?

と、五里霧中を勝手に妄想し、

それを自分の外側に投影し、

疑心暗鬼の世界を作り出して

世の中をとても

息苦しく感じてしまっています。

 

自分の生き方、

特に自分自身を疑うようになると、

ほんとに苦しいですよね。

自分の力を疑い、

可能性を疑い、

本来備わっているものまで疑い、

果ては、

恵まれている部分まで疑う。

 

本当に、二進も三進もいかず

何も見えずにあちこちに衝突しては

痛い思いを繰り返しているようなもの。

だから、

正しいことは何か、

を問うようになってしまいます。

繰り返しになるけれど、

自分の内側にある世界を外に投影して

恐れて

震えて

憤って

自分が想定した通り周囲が動かない現実を

そして自分自身も動けない現実を

何度も見るにつけ、

自分か、

他者か、

それ以外かはわからないけれど

何かがおかしい

自分が何かしたり、

言ったり、

感じたり

するたびに、そう感じて、

自分ではどうにも制御できない世界に

得体のしれない不安を抱き、

その中で自分が

することの

言うことの

感じることの基準を

自分の奥底にある想いではなく、

外側の何か正しいことに求めてしまう。

 

正しいという

とても抽象的な基準は何かを

欲していること。

それ自体は決して間違いではないけれど、

現実はと言えば、

「それでいいよ」という

自己承認の欲求から

すり替えて探しているもの。

だから、明確な答えは常に、

人の評価になる。

それがおかしいと感じて、

別の正しいことをまた探す。

 

杓子定規になる必要はないけれど、

最低限の法律は守りましょう。

できる程度に道徳は守りましょう。

でも、

あなたが生きる人生に、

あまり正しいことを

求めないようにしてください。

余程のこと以外、

正しいことなんてないから。

つまり、正解なんてないんです。

 

人は殺しちゃいけない。

自分だって殺さない方がいい。

暴力は振るわない。

自分の心と体を大切にする。

 

でもそういった

根源的な道徳に属する部分を除けば、

正しいと思っていること、

常識と思っていることは

かつてそうであったというだけのことで、

それさえもが

世の中のはやりすたりに過ぎなかったり

するわけなんです。

 

だから、やりたいことをやろう。

そういう声が聞こえてきます。

それもまた、間違ってはないけれど、

迷っているときには、

概してわからないものです。

だいたい、

必ずしもその時ちょうど

やりたいことがあるとも限らない。

 

どうするか。

自分がそうであり“たい”状態を

思い描いてみてください。

え?

できない?

わかない?

そんな精神状態にない?

そうでしょう。

こんな題材で話をしてきて、

突然そんなことを思い描けなんて

バカにしてるのか!

いえ、バカにしてなんていないです。

やってみてください。

できないのは、

苦痛に満ちた暗黒の世界から

いきなり

柔らかい陽光に満ちた美しい世界を

描こうとするからで、

そんなのは

もっともっと、ほんとにもっと

自分が自分を受け入れられるように

なったら

自然にわきでてくるのであって

まずは暗黒を支配する闇が取り払われて

ぼんやりと周囲が見通せたり

閉じ込められていた部屋に

気持ちのいい風がかすかに吹いてきたり、

香しい花の匂いが漂ってきたり

闇と思っていた天に星が瞬きだしたり

そんなところからなんです。

そんな内面的変化を

少しずつでも感じられるようになると、

今度はその次が欲しくなります。

というか自然に思い描くようになります。

そうやって少しずつ変わっていく

あなた自身の内的な宇宙が

やがてあなたの周囲に描かれるようになって

その時にはきっと、

あなたを取り巻く人々も、

あなたの部屋も

働き方も

人との接し方も

そして何よりあなた自身の気分が

変化しているはずです。

 

そういったことのとっかかりは

最初はおそらく

やりたいことではないかもしれません。

というか

いきなり、

やりたいこと見っけた、

とはならないものです。

話がそんな簡単なら

(話は簡単かもしれませんが)

誰もそんなに悩みはしない。

ごめんで済めば警察はいらない

のとおんなじです。

そして、あなたが

ちょっとだけ苦しんでいる人でも、

心に病を抱えている人でも、

程度の差はあれ

同じことなのです。

できることから試してみる、ということ。

ただし、何かしてすぐ

答えを求めないこと。

継続を試みること。

特に、

おかしくなりかけていると感じるのなら、

日々がどうしようもないと思うのなら、

自分を休めるフェーズを途中にいれながら

飽くことなく、

そんな小さな変化を求めてみてください。

あきらめないで。

 

時間を取って、

静けさを得て、

わかるところから、

明らかにしていきましょう。

 

自分を見失っていても、

やりようはあるものです。

妨げになるのは、

自分の外に責任をぶつけること。

自分でできる範囲でできることをして、

自分の中の声に耳を傾け、

明らかにしてください。

 

ー今回の表紙画像ー

『小松駅 夕景 (即位の礼初日) 』