なぜ、今がこんなに嫌なのか、
なぜ、今がこれほど苦しいのか、
そしてそこから逃げ出したくなるのか、
そう感じていたりするでしょうか。
そこそこ気晴らしができることもあって、
何とか生活ができて、
自分の気質とあってるとは言い難いけど、
金銭面にしろ、
精神面にしろ、
人の関係にしろ、
ぜいたくを言わなければ
何とか食べていくことはできる…。
それでも、気がつくと
自分の中に静かに渦巻き、
ともすれば自分を苦しめる、
不平、不満、不愉快、不快、不実、
そういったものに絡めとられてか、
ある種の真実を察知してか、
あるいはもっと具体的な痛みを伴ってか、
どうしようもなく、
“そこ”にいることが
苦しくて仕方がなくなる、
そんな感じが、
日々続いていたりするでしょうか。
今の生活が、嫌だ、
この場所が、嫌だ、
取り巻く環境が、嫌だ、
そして、
そこから出て行きたい、と願い、
今の生活から、
今の場所から、
今の取り巻きから、
出て行くんだ、という逃避行の感覚を
思いめぐらせてはいたりするでしょうか。
★
嫌っている時間、場所、人から
遠ざかりたいという感覚は
私たち誰もが持っています。
一方、大人である私たちは、
どのようにして大人になったかとは別に、
選択の自由を持っていて、
今のあなたもまた、
その自由を行使して、
そこにいます。
…もしかすると(もしかしなくても)、
ここが一番受け入れがたいところかも
知れませんね。
なぜって、
自分が望んだのではなく、
とかく、ああしろ、こうしろ、と
あたかもそれしか選択肢がないかのように、
社会に出るまで育照られた感じがして、
それでいて自由に選べるなんて言われても、
鎖につながれたサーカスのゾウよろしく、
見える風景は固定されたまま、
という気持ちがあるでしょうから。
ですが、それを、
恨んだり、悲しんだりしたところで
無為な時間が過ぎるだけ。
嫌だいやだという気持ち、
どうにも受け付けない感覚を
否認するのはよくありませんが
その感覚を正当化し、基準として、
だから出て行ってやる、と
出て行った先では、
きっとまた、形を変えて、
同じような状況に陥ることになります。
なぜなら、
過去からくる時間の流れのままに
生きているからです。
別の言葉で言えば、
あなたがどう思っていようと、
過去の世界にしがみ付いていると
言えなくもありません。
今の世界“観”が正しい
=自分が正しい
=自分または他の誰か、つまり人が悪い、
と人を責めているうちは
変わらない、ということです。
★
何をするか、どう考えるか、ということは
これまでに何度も申し上げているので
割愛しますが、
諸々の試みを続け、
自らの世界観が無意識のうちに
徐々に変わってきた結果、
気がつくと“そこ”にいても
苦痛にならなくなっている、
そんな状態になります。
“そこ”が自分にとって必ずしも
最良の場所というわけではないけれど、
ひとまず居場所のようなものができるからです。
居場所は、ベースキャンプと考えても
いいかもしれません。
居場所といっても、
そこにいると落ち着く、とか、
他に何かを求めなくなる、というのではなく、
日々の生活をそれなりにこなしつつ、
楽しみや興味から、他のことに目を向ける
“余力”がでてくるという感じでしょうか。
実際に、日常が変化してきて、
気がつくと新しいことに手を出したり、
もう一度始めたりしているうちに、
今度は『もう1つの』居場所が
できてきます。
そんな“居場所”が、心の中だったり、
会社や固定化された人の関係の外側に
いくつかできてくるうちに、
嫌だいやだと言っていた感覚は
薄れていってしまいます。
そんなことを感じているのが
面倒くさくなるからです。
同時に、いくつかある居場所に
引き寄せられるように、
没頭するあなたができてくるかもしれません。
その時にはもう、
救われたい、とか、逃げ出したい、
といった感覚もまた、
薄らいでいるでしょう。
何が起こっているかと言うと、
それまで過去からの時間の流れに
沿って今を構築してきた生き方が、
今と未来をつなぐ流れを意識した
生き方に変わってきた、
ということになります。
いきなり大仰な未来を描いて、
そこからの流れにのる、
というのもいいかもしれませんが、
私たちは例外なく“今”を生きているので、
起点は今であり、
その中で自分を再構築していくとき、
必然的に過去からの流れとは異なる
未来が生じることになり、
それを新しい流れとすることで、
自らがしっくりとくる素敵な未来を
想い描けるようになるのだと思います。
そんな発想のもとに、
とりあえず、嫌だという感情は脇に置いて
未来を構想してみてください。
嫌だという感情を脇に置いて、というのが
過去からくる流れから岸辺に身を寄せる
ポイントです。
★
今苦しんでいるあなたが、
多少なりとも幸せな人生を
歩めるようになることは、
私たちの世界にとって、
救いになるのだと思います。
つまり、あなたを取り巻く他の人々、
特にあなたの大切な人々にとって、
そうなります。
そしてそんな救いは至る所で見られる。
もう少し言えば、本当は皆救われていて、
それを見たくないだけなのかもしれません。
そんな世の中を生きている、
そう想い描いてみてください。
ー今回の表紙画像ー
『我が家のウナくん』
あちこちで梅の花が咲いてます。
下から撮ろうとカメラを空に向けるとと電線ばかりで、ちょっと興ざめだけど。。。
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