私は釣りや魚取りが好きで、
子供の頃から近所の川で
よく遊んでいました。
そんな趣味だからでしょうか、
平安朝の貴族だったか、
江戸時代の良家の話だったかは
よく覚えていませんが、
部屋が水上に張り出していて、
そこから釣り糸を垂れている絵を見て、
なんと素晴らしい生活なんだと
思ったことがあります。
一方で、雨中や雨後の増水の威力を
身に染みて知っているので、
昔の屋敷がどのように設計されて
災害や破壊を防いでいたのか、
ちょっぴり知りたい気もします。
町はずれの川、
湾奥に開けた海、
山間の湖のほとり、
家の窓から釣り糸を垂れることができて、
そこが専用の釣り場にもなっていて、
というのは、
私にとってのささやかな憧れ、
ウォーターフロントの住環境です。
★
三浦半島から伊豆半島にかけて、
海の釣り場に一通り出向いたこともあってか、
無名ながら風光明媚な場所があちこちに
あるのだな、と感じています。
当HP表紙の写真もその一つ。
近所に住んでいる人からすれば
ごく見慣れた風景なのでしょうが、
視界が開け、海が見えると同時に、
空と緑が迫ってきて、
ほーっと思わずため息をつくような
素敵な風景があらわれるんですね。
いそいそとスマホを取り出して、
パチリとやります。
何というか、
水辺で遊ぶという趣味がもたらしてくれた、
もう一つの楽しみです。
★
とある海の公園を訪れた日のことです。
そこはかなり有名な場所なのですが、
少し南下して入り組んだ場所に
あまり知られていない釣り場があって、
その下見に足を運ぼうとしていた
ところでした。
駐車場に車を止めて、
しばらく海岸沿いの遊歩道から
海を眺めていると、
背後のベンチで話をする3人組の会話が
耳に入ってきました。
多少お酒が入っていたこともあってか、
一人が仕事上の苦労を滔々と語り、
後の二人が追随する、
という感じの会話でした。
少々鬱憤がたまっているんだろうな、
と思いつつ、
その場を立ち去ろうとしたときでした。
「ウォーターフロントの職場って夢だよね」
そう聞こえてきました。
続いて、
「50階建てのビルの窓から海を見ながらなら
気持ちよく働けるんだけどな」
釣り場の下見に行って戻ってくると、
3人組は既にいませんでした。
車に戻る道すがら、
頭の隅にこびりつくように残ったのは、
ウォーターフロントという言葉。
50階建てというのは置いておくとして、
海の見えるこぎれいなオフィスで働く、
という意味なら、
東京湾奥か横浜とみなとみらい、
あるいは海沿いの大きなホテルなどが
該当するでしょうか。
3人組で話をしていた彼は、きっと、
軽い気持ちでそう言っただけだと思います。
なので、その言葉を発した彼について
詮索・推測するつもりはありません。
ただ、時に真剣な気持ちで、
同じようなことを考えている人々を
私は知っているので、
次のようなことを考えてしまうんですね。
つまり、
環境は生活や仕事、そして心の状態に
影響をもたらすので、
もしかするとウォーターフロントの職場で
働くことは
能率を上げる可能性があるでしょう。
そういう環境に憧れるのは悪くないですが、
それを求める順序というか
優先順位は高くないと思うのです。
好きとか得意が仕事にできている人はともかく、
そうでない人が少なくない中で、
まず整えること、求めることは、
1.今の自分にこなせる仕事であること
2.生活と心身の健康が成り立つこと
3.ある程度人の関係がまともであること
ではないかと思うのです。
それらが安定して実現して、
職場の仕組みが先端的である、
給与が良い、
職場の周囲が美しい、
といったことに続くのではないでしょうか。
★
気が向いたときに、
海や川の気に入った場所に出かけて
気に入った風景を見ている身には、
ウォーターフロントの職場は
そんなに憧れるのかな、と
感じてしまいます。
まあ、バッグに端竿とルアーを忍ばせて
仕事帰りに一杯ならぬ一振りは
あってもいいかもしれないけれど、
それは別に
ウォーターフロンである必要はないし、
仕事帰りは結構疲労して、釣りをする
気分にはならない気もします。
ウォーターフロントという環境を
取り上げて話をしましたが、
豪奢なビルや有名なオフィス街、
名前の通った会社などに置き換えても
同じ話ですよね。
いえ、職場のみならず、
住環境でも同じではないかな。
そんなの当たり前だ、と言えて、
実行していて、
今の仕事や暮らしに満足しているなら、
何も言うことはありません。
あなたにとっての夢の環境って
描くことはできますか?
意外に、世の中の価値観に
浸食されていないでしょうか。
いや、それにしても良い釣り場を
見つけたもんだ…。
ー今回の表紙画像ー
『子供の日の川』
意外に人が少なかったな。。。今年は帰省中の人が多かったのかも。
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