人生を生きるか死ぬかでやるからおかしなことになった

日々の棚卸

 

今まで何十年かの人生を生きてきて、

あなたにはどんなイベントが

あったでしょうか。

 

いえいえ、私はとても平凡な、ごく普通の

人生を歩んできたもので、

実際これといったこともありませんでした、

という方もおられるとは思います。

 

まあ、普通というものが

どういうものかはともかくとして、

巷には多くのイベントがあります。

 

例を挙げると、

枚挙に苫がありませんが…。

 

幼稚園入園卒園、

小学校入学卒業、

中学校入学卒業、

高校学卒業、

大学入学卒業

 

部活動の

レギュラー獲得、

地区大会突破、

 

七五三、成人式、

 

結婚、

マイホーム購入、

銀婚式、金婚式

 

就職、昇進、

お正月、お花見、

 

自動車免許取得、

各資格取得

…。

 

思いつくままに

ざっと考えただけでも

こんな感じで出てきます。

 

イベントだから、

コンサートやクリスマスパーティ

ハロウィンや舞台鑑賞もあるでしょう。

 

親の実家に帰省したり、

家族と一緒に買い物に出かけたり

町のお祭りに参加したり、

 

友達と釣りやハイキングに出かけたり、

一緒に図書館で勉強したり、

旅行に出かけたり、

 

といったものだって、もちろん、

立派な?イベントですよね。

 

イベントとは出来事ですので、

日々の生活、進路選定の中で起こる

全てのことを指すと考えてもいいかもしれません。

 

そう考えると、

朝ごはんに何を食べて、

その日はどんな服を着て、

何をやってといったものだって、

もちろんイベントになります。

 

こうやってみてくると、

イベントとは、日々を生きることそのもの

といってもいいのかもしれませんね。

 

 

イベントの中には、

世の中の評価を勝ち取る類のものが

いくつもあります。

 

大学受験やお受験はもちろん、

会社の就職や昇進試験、

各種の資格試験などは

その典型だと思います。

 

不思議なことに、

よほど目的意識をもっていつ人を除けば、

子供の頃からそんなものに憧れている人は

稀なはずなのですが、

 

その年齢になると、

(特に街に暮らす)多くの人が

特定数の椅子を求めて

しのぎを削り合います。

 

かく言う私もその一人だったもので、

マンガや映画や本など、

あらゆるメディアを通して、

その不毛さをかみ締めていたにもかかわらず、

 

結局はそのプロセスに乗って、

やりたいとか好きとは無縁の分野を

選択してしまっていました。

 

今から振り返れば、多分に運もあって、

世の中的には一流と呼ばれる学校に

ストレートで入り、

 

世の中の不況を意に会することのない

優良経営によって反映していた

一流と呼ばれる会社に入り、

 

自分が何を求めて

どう生きようとしているかもわからないまま、

見えない何かにあがいているうちに、

 

その原動力となっていたにも関わらす、

そう気づくことができないうちに、

父母と原家族が壊れていきました。

 

自分にとっての幸せとは、

父母のコンプレックスを取り除き、

原家族が幸せになることであり、

 

自分がイベントを選択して得た結果によって

世の中の評価を得ることで

実現できるかもしれないという

 

明後日の方向に向けた活動をしていたことを

今は健気だったなと感じるとともに、

 

その選択や取り組み方自体が

自分自身の人生にも色濃く反映されて

長く暗い時間に留まり続けたと思います。

 

自分軸ではなかったと言えばそれまでですが、

 

得体の知れない何かに

追い詰められたていた状況では

そんな余裕も俯瞰した視点も

期待するのは難しかったこともあって、

 

文字通り、

日々起こる、あるいは選択するイベントを

結果を求めて生か死かという感じで

取り組んでいました。

 

そしてその取り組み方は、

結果が出てしまったこともあってか、

誰も幸せにできなかったという敗北感とともに、

 

その後長く私自身の生き方として

根付いてしまったものだと気づくまでには

随分時間がかかってしまいました。

 

本来なら、そこには

2つのことが必要だったのでしょう。

 

自分が本音で何をやりたいのか、

どんな人生を生きたいのか。

 

そしてそれによって

世の中にどう貢献したいのか。

 

親の混乱に絡めとられている間は

そんなところに意識が行くことは

まずありえません。

 

ティーンエイジの多感な少年に

そんなところまで意識を伸ばすことを

求めるのは酷というものかもしれません。

 

ただ、そういった考え方、生き方は、

年齢とは関係なく、体得できていれば、

実践する可能性もあったかもしれません。

 

そしてそれこそが

もう一つ大きな意味で大切な人々を

救う結果につながったのかもしれません。

 

大学に合格して実家を離れる時、

私の頭の中には、次の言葉が

リフレインされていました。

 

「これは家族を捨てて逃げるんじゃない、

決して親を捨てるわけじゃないんだ」

 

…そんな大げさに考えなくても

良かったのに…

 

哀しくて滑稽でやりきれなくて、

今ならそう思います。

 

そんな切羽詰まった気持は

機動力とパワーを生んでいたのは

確かですが、

 

結果として、

大元が崩れた時のダメージもまた、

はかりしれなかったのも事実です。

 

 

私のことを書きましたが、

これはあらゆる人にとって

生き方、取り組み方へも通ずるとすれば、

 

回り道とならないような

生き方へとつなげていただければと思います。

 

真剣になることは

生死をかけて切った張ったという前提で

物事に取り組むことでは断じてありません。

 

そんなのお前だけだと、と言うならば、

私としては素直に

「それならOKだよ」

と言えるのですが。

 

ともかくも、

短期的には自分を追い込んで結果を求めることも

あるのかもしれませんが、

そこには自己との対話が入り込む余地がありません。

 

当然ながら結果を出す自分だけが

自らの中の本当の自分と勘違いして根付き、

本来自分として生きていく上で最も大切な

それ以外の自分が切り捨てられた状態を

うまくいった人生とできるはずがありません。

 

そんなことをお伝えしたかった。

 

 

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ー今回の表紙画像ー

『近所の街の夕暮れ』