街の夜のノイズ

日々の棚卸

とある夜更け、路上で発せられた爆音が部屋まで届き、久しぶりに思い出したことがありました。

国道を暴走族らしきバイクの群が通り過ぎているらしく、音は改造したマフラーから響いてきたようです。

数日忙しい日々が重なり熱っぽかったので、早く寝ようともたもたするうち、そんな時間になっての出来事ででした。

部屋まで届いた音が思いのほか耳に残ったのは、めったに暴走車が通らない場所だからというのもあるけれど、それだけではありませんでした。

 

記憶に残る原風景には、心象的なものもあれば、肖像画、風景画といった静止画、あるいは昔よく耳にしたメロディや人の声に動物の鳴き声などもあります。五感の内の他の3つ、味覚や触覚、嗅覚は、本能的な領域にまたがる部分が増えるからなのか、より人との具体的な感情のやり取りや触れ合った関係の中に生じることが多いようです。

これまで心象風景として何度か視覚的なものを取り上げてきたので、ここでは音について私個人の経験から例を挙げてみようと思います。

 

原家族が暮らしていたアパートは、今の部屋と同じように国道から一本入ったところにある集合住宅でした。双方とも日中の交通量は概して多い方ですが、国道の幅が大きく異なります。今暮らしている場所のすぐ近くを走る国道は片側一車線で、季節的に渋滞することはありますが驚くほど交通量が多いというわけではありません。一方、原家族が暮らしていた場所の近くのそれは片側4車線ということもあって、当然交通量は桁違い、暮らしていた当時、家の近所にいる限りにおいては、昼も夜も車の走り抜ける音が自然に耳に入ってくる環境でした。

 

余談ですが、家の前は草ぼうぼうの駐車場で、置いてある車の半分は打ち捨てられたスクラップのような廃車でした。隣近所のチビ連とそんな廃車の中に潜り込んで遊んだものですが、時々そこまで傷んでいない車に乗り込んでみたらクラクションは鳴るし、イグニッションキーがつけられたままになっていて、後からやってきた運ちゃんが「何やってんだ」と叱られたこともありました。何というか、大らかな時代でしたね。

 

話を戻します。

私の友人の一人は生まれてからずっと私鉄沿線に暮らしていたせいか、電車が通過するときの音や揺れは眠りの妨げにならないそうです。中学生の頃、彼の家に泊まりにいったのですが、明け方になると始発を皮切りに電車が通過するたび揺れる部屋と電車の音とで、結局目が覚めてしまいました。横では友人がいびきと歯ぎしりの二重奏を奏でて悠々と眠っている始末。こいつは大物だな、と当時、ひそかにそう思ったものです。

一方、学生時代、独り暮らしの私の部屋はアパートの1階にあり、すぐ目の前の道路は裏手の大通りのちょっとした抜け道になっていました。そこに今度は前述の友人が泊まりに来た時のこと。夜中、明け方と通り過ぎる車の音に、彼は結局ほとんど眠れなかったそうで、朝、もそもそと起き上がった私に「この部屋うるさい」と枯れた声でぼそっとつぶやいていました。

 

音はそれが日常にとけこんで続くとき、慣れ親しんだ振動となって皮膚感覚に染み渡り、私たちの体と脳に記憶されます。

それは、

乗り物の音だったり、

隣近所にある工場から流れてくる金属音だったり、

年配の人などは記憶にあるのだろうけれど

豆腐売りが流す安物のラッパのような音や

屋台ラーメンのチャルメラの音、

今もあるのかわかりませんが

竿竹や焼き芋などの拡声器から流れる(おじさんの)声

なども子供の頃に定期的に聞こえてきていたのなら、きっと同じように記憶の底に根付いていると思います。それはきっと、その音や声だけはなく、その時の自分がいた場所や自分に対する感じ方ともつながって私たちの心を構成する一部になっています。

 

家族がおかしくなったとき、もう済んだことだと放っておいた、父と母の罵り合う声の記憶が何度も脳裏に蘇ってきたことがあります。

夜眠る時、その声が聞こえてくると、私はいつも布団の中で怯えていました。5歳とか6歳とかそのくらいの年齢でした。

両親は普段から、そんな険悪な感じでいることが多かったのですが、自分が眠りについた後もそれが行われいるのだという思い込みが続くうち、幼いままに苦しくてなり、眠るという自然の摂理を営むことができないでいることも多々ありました。

 

眠りにつくときの感覚。寝付けない夜遅く、静まり返った町の国道を車が走り去っていくエンジン音は、そんな両親の怒鳴り声と結びついていて、同時に幼い私が眠りに落ちるときの子守歌でもありました。

不思議だなとなぜか子供心に思ったのは、昼間あれだけ多くの車が行きかう国道が、自分が眠る夜遅くになるととても静かになって、そこを思い出したように車が通り過ぎていくことでした。恢復するにつれ、車が国道を走り抜け、遠ざかっていく音は、意識を安らかな眠りに誘う音に落ち着きましたが、そこにたどり着くまでは眠りを妨げる違和感を耳に残したものでした。

 

車が通り過ぎていく音に始まり、自分の中に眠っていた数々の音たち - 冬の木枯らしが木々や屋根を揺らす音、プールの嬌声、釣りに出かけた川の流れる音、しんと静まり返った町の音、初めてつき合った女性とキスをするときにかかっていたメロディ、に物を作る鍋の音、いつも通学で通るパチンコ店の音とアナウンス、大好きだった女の子の笑い声、夏休みのテレビから流れてくる高校野球の解説や金属バットがボールをはじく音、油セミとニイニイゼミのなき声、大好きだった友人たちとのバカ騒ぎの声、大好きだった父や母の笑い声。。。

 

どん底に落ちていた頃、私はそれらの音を思い出すことに耐えられませんでした。甘ったるくて、嘘くさくて、楽しそうで、まるで汚い音でも聞くようにあからさまに忌み嫌っていたものです。きっと、自分が今いる場所、それも意に反して自分で選択している場所と、その頃自分がいた場所や信じていたこととのギャップに耐えられなかったのでしょう。これから自分が納得をもって人生を生きていくためには、その頃の自分が信じていたものをたとえ形は変わったとしてももう一度信じる必要があって、それが再び破綻したときに味わうかもしれない恐怖とショックまでをも連想すると、とてもそこに戻ることはできない、そう感じていましたから。

 

だから、今同じような場所にいる方に伝えたい。

今はあきらめていてもいい。無理だよ、キモイよ、そんなこともう忘れちゃったよ。

それでもいい。

だけど、ほんの少し、わずかな時間でも構わないから次のことを試みてほしい。

 

蘇る、優しい思い出に耐えよう。嘘だ、と言わずに(言ってもいいから)少しそのまま味わってみよう。正確には、それがまた壊れてしまう恐怖の連想に耐え、しっかりとその想いに恐れずに浸ってみよう。幸せの予感に心を開こう。

信じることは、感じ続けられるということなんだ。

それは、まごうことなきリアルだから。

それが嘘だというのなら、今襲ってくる哀しい・苦しい記憶もまた嘘だよ。

ゆっくりでいい。半信半疑からでいい。

 

それでも渋々ながら認めるようになったとき、

実は今、自分の脚でどこにだって歩いて行けることに気づくのです。

 

車のエグゾーストノイズが遠ざかっていく記憶は、もう私をに違和感を問いかけてくることもなくなりました。あの頃の、ただ眠りについた子供の記憶に帰っていったのです。

 

今も大型車が荷台を揺らしながら、国道を走りすぎていく音が聞こえてきました。

人によっては、Noisyな環境にまゆを顰めることもあるでしょう。

ですが、私にとっては、ちょっと大きな車が通り過ぎて行ったという昔からなじみのある音、それ以上でもそれ以下でもありません。

 

過去を一つ一つ根付かせていったとき、今とこれからをもう一度見つなおすことができます。

 

ー今回の表紙画像ー

『名古屋市街夜半 - 国道』