何かを切実に求めていて、
でもどうすれば得られるのか
わからないとき、
理屈で考えてうまくいくことは
あまりありません。
まず、ありません。
特に、
大きく飛躍を願ったり、
未経験の分野に飛び込んだり、
どうしたらよいかわからないけれど
生き方を大きく変えたいとき、
理屈はほんとうに
役に立たないものです。
少し正確に言うならば、
確かに調べることは必要だけど、
その時の自分の頭の中でこねくり回す
理屈では役に立たない、
と言った方がいいかもしれません。
ちょっと厳しい言い方になって
しまったかもしれませんね。
ごめんなさい。
★
誰もが本音で求めていることは、
たいていの場合、
理屈に沿った何かではないことが
実は普通です。
世の評価を求めて知識を吸収し、
行動して、
その結果構成された、
自分が求めていることの理屈は、
誰もが知り、
誰もが求め、
誰もが実践しています。
誰も彼もが競争相手で、
どこかで仕入れた楽ちん情報や
どこかで聞かされた好きの例に対して
現実のパイは思ったより小さく、
自分の中に湧きあがるはずの火は
思ったよりちょろ火で、
何よりなんだが惹かれない。
結局のところ、
その目標は大方の人にとって
フェイクだったりします。
…。
世の中を変えるのは、
若者、馬鹿者、よそ者と
言われますが、
この三者に共通しているのは、
以下の通り。
無知でその自覚もあること、
求めるものがあること、
スピリットがあること。
ここでいう世の中を変えるとは、
例えば村や町や学校や組織など、
時に閉塞的になりがちな共同体を
大きく変化させる力のことですが、
これは実は、
私たち個人の人生についても
そのまま当てはめることができます。
そして、ここから2つのことが
言えると思います。
私たちは行き詰って変化したいとき、
往々にして
失敗と叱責・嘲笑を恐れますよね。
特に、叱責・嘲笑は、
よくよく心の中を掘り下げていけば、
その場で受けたことがトリガーとなって、
その感覚を植え付けるに至った
二度と触れたくない当時の感覚を
彷彿とさせるため、
考える以上に体が反応しがちになります。
従って、まずそこには目が向かない。
そして、
フェイクの目標と
見当たらない意義のもとでは、
評価されることにしか
自分の行動や判断、チャレンジの
基準がありません。
評価する相手とはつまり、
自分の出来を判断する相手や
決まりのことです。
それが会社の階層であれ、
個人事業の規模や売り上げであれ、
賞の獲得数であれ、
つまり、
相手が人であれ、
資格であれ、
何であれ、
認めてもらうこと自体が
目標になった時、
行動は
人的な評価と人的な怖れとによって
制約され、
縮こまり、
固くなり、
びくついた心と身体とともに
動く羽目に陥ってしまう、
ということです。
そのプロセスにはもはや、
夢も希望もなく、
目標を達成できなければ
無力感に苛まれ、
目標を達成したとしても
すぐに次の目標ばかりが視界に入り、
徐々に心が渇いていきます。
何より、
人生も日常も暗くなってしまいます。
これでは、
日々が苦しくなるのは当然ですよね。
その結果というか、
何をどうしたらいいかが、
わからなくなってしまいます。
理屈が全てになっているから。
本来焦点を当てるべきところから、
目を背けたままだから。
行き詰った今の自分を形成するに至った
その理屈で今を変えようとするのだから、
良い考えなど浮かぶはずもありません。
★
前々回、
祈ることについて書きました。
それとつながってもいるのですが、
自らの消耗と見通しを歪ませるような
人(自分も含む)を責める行為や考え方をやめ、
自分が求める自分の本音を洗い出し、
思いの丈を
声に出すこと、
文字に出すこと、
つまり自分以外の誰かに向けて、
自分の思いの丈を
表現してみることを
理屈をこねくり回す代わりに
やってみてはいかがでしょう。
きっと最初は照れくさいし、
想いが叶うことなどない、
と感じるでしょう。
でも、
肝心なことは、
そこにはないんです。
自分の基準、土台、現在位置が定まり、
自分のルーツとのつながりが復活し、
そこから、
叶えたいこと、
身の丈に合った、
そして自分の存在そのものが求めることが
明確になり、
世間の価値観や
ネームバリューへの渇望が減り、
自分の人生において
さして大切でも重要でもない
誰かの評価に怯えてそれていた
本来の道へ自然に戻ることが
起こるわけです。
そのためには、
正直に自分に問うこと。
なぜそんな生き方をしているのか、
なぜ苦しいのか、
なぜそれを望むのか、
なぜ心が・体が動かないのか、
その痛みの元は何なのか、
どうしたかったのか、
どうなってほしかったのか、
どんな関係を求めていたのか、
どんな形が欲しかったのか、
どうでありたかったのか……。
繰り返しくりかえし、
真摯に、正直に、自分と向き合い、
思いの丈を自分と人に表現する中で、
かつて見向きもしなかった情報が集まり、
新しい時間が醸成され、
表層的に求めていた
世の中の評価の切望への残り香は薄れ、
ある種の諦念とともに
本音の中の本音がにじみ出すように
湧きあがってくるでしょう。
そして、
その本音に向かって
気がつくと歩き出しているんですね。
そして、
既に思いが叶いつつあることにも
気づくことができます。
そこには理屈はありません。
無理に今の生活を逃げ出す必要は
ないことにも気づきます。
なぜなら、
この歩みのさなかに、
時間の流れも割合も自然に
変わってくることを感じられるから。
恐れる必要がないことも気づきます。
自分が本音で求めることは
誰かに褒めてもらったり
誰かに評価してもらったり
することではなくなっているから。
自分の時間を取り戻したことになります。
これだから人生は捨てたものじゃ
ないんですよね。
誰も、何も、諦めることなんてないんです。
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ー今回の表紙画像ー
『川沿いのさくら道』
久々に川に行くと、川沿いの桜が咲きだしていて、多くの人々が散歩がてら訪れていた。
まだ5~6分咲きだけど、
きれいだな。
日が陰ると、遠くの山並みに雲がかかって、雄大だった。

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