家族と絆

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絆。

断ち切ることができない情緒を伴う

深いふかい関係。

 

私たちは皆、絆を持っています。

 

いえ、

 

私たちには、絆が存在する、

と言った方がいいかもしれません。

 

いずれにせよ、

そして、

好むと好まざるとにせよ、

 

絆のない方はいないと思います。

 

天涯孤独の方であっても、

誰も知り合いの居ない街を彷徨っていても、

何かに追い詰められていても、

 

遠く離れた所や、

思い出の中に、

“誰か”がいるのではないでしょうか。

 

ほんとうに、

こじれてしまえば、

これほど厄介なものもないけれど、

 

私たちが歩む人生の底流には

必ず存在している絆。

 

絆と聞いて、

まず最初に思い浮かべるのは

やはり生まれ育った家族のことでしょう。

 

父や母とのつながりや、

兄弟姉妹とのつながり、

結婚すれば伴侶や子供とのつながり。

 

義務とは異なる、

素の自分として長い時間を一緒に過ごす中で、

紡がれていく絆。

 

そう、家族はまさに、

その代表にして最も深いところにあるもの。

 

そんな家族の中で、

密かに行われている数々の

虐待、ハラスメントが

あちこちでささやかれています。

 

それは、

絆を傷つけ

絆を破壊し、

絆を不要で悪いものと

感じさせてしまうこともあります。

 

ちょうど、ある種の育ち方をした人が

お金を悪いもの、汚いものと

感じるように。

 

そんなものが絆だというなら、

私には必要ないと思うようになるのは

不思議ではありません。

 

そんなものは、

私の人生を歩むためのエネルギーを

与えてくれるどころか、

 

ただただ、私の人生を

生きづらくさせるだけだから。

 

絆を生きづらさと結び付けた話は

耳にしたことはありませんが、

 

絆が愛情や愛着と密接な関係に

あることを考えれば、

ごく自然な考えではないかと思います。

 

詰まるところ、

日常で繰り返し、そして恒常的に生じる

メンタルの行き詰まりや落ち込み、怒りは、

絆の傷つきとの関係で語ることが

できるものがあります。

 

 

絆は、感じるものです。

 

同時に、

 

理解するものでもある。

 

感じて、理解する。

 

情動と思考。

 

気づきが、感じることと理解することの

間に存在するのだと思います。

 

もしあなたが、今の人生に

どうしようもない生きづらさを感じて、

何とかしたいと思っているなら、

 

それを念頭において、

絆という視点から、人生を振り返って

みると良いかもしれません。

 

あなたがこれまでの人生を

生きてくる中で、

育ってくる中で、

生活する中で、

 

傍にいた“誰か”との間に、

確かにあったものは

何でしょうか。

 

気持ちが乱れているうちは、

 

そんなものはなかった、

あったかもしれないけど今は関係ない、

 

などと感じるかもしれません。

 

ただ、その感覚も含めて、

そう感じるほどの何かがあった、

ということです。

 

それを(願望も含めて)愛着、愛情と

呼ぶのであれば、

 

虐待やハラスメントと呼ばれる出来事は、

あなたの傍らにいた“誰か”との間に、

長くあったものが、

 

いつしか愛着、愛情とすり替えられて

そこに居座ってしまったのでしょう。

 

そしてそれは実は、

あなたの傍の“誰か” の人生にもまた

形を変えて起こり続けていたことで、

 

その歪みを昇華できずに、

あなたに対してぶつけられたこと

なのかもしれません。

 

そうやって、

“誰か”があなたに対して

『表現』し続けた末に、

 

その“誰か”とあなたとの間の絆もまた

歪み、不快と哀しみをもたらし、

傷ついてしまった。

 

…そう、傷ついてしまったのでしょう。

 

その傷は、

窓ガラスに大きく走った割れ目のように

世界をゆがませて見せ、

 

あなたの世界を見るセンサーをも

大きく狂わせてしまっていた。

 

あるいは、

機能しないフィルタとして、

あなたの感覚器官に取り付けられたままだ。

 

そして今あなたを、

 

仕事の中で、

友人や恋人関係の中で、

もちろん家族の中で、

 

時に誘惑し、

時に妄想させ、

なぜか気がつくと行き詰らせる状況に

あなた自身を置いてしまっている。

 

…もう、嫌だ…

 

もう、嫌だ!

 

そう思わせる。

 

 

あなたと世界を繋ぐ、

あなたの絆のもたらすものを

疑ってみる時がきているのかもしれません。

 

どこにいても、

何をしても、

誰といても、

 

なぜか、とても苦しい。

 

しかも、恒常的に。

 

公私にわたって、

いつも傷ついている自分を感じていて、

それが情けない。

 

もしそうであるならば…

 

過ぎ去りし時間の中で、

あなたと密に接していた“誰か”との関係を

今一度振り返ってみてください。

 

そんなこともうやったよ、と

面倒くさがらず、

 

そんなみっともないこと、と

いきがらず、

 

もう終わったことだからと

無理に達観しようとせず、

 

とにもかくにも、

もう一度振り返ってみてください。

 

もし恐怖や哀しみで動けないなら、

誰か専門家の手を借りれて

行ってみてください。

 

虐待やハラスメント

― 時に残忍な言葉や暴力、ネグレクトや

支配がもたらしたPTSDや疾患を通り超え、

 

その裏側に眠っていた感覚が

見つかるはずです。

 

なぜなら、あなたは今そうして

生きているのだから。

 

絆が歪み傷つき、

それが最も身近な家族との関係の中で

もたらされたものであるが故に、

 

つい目をそらしたくなってしまい、

その威力、大切さを放棄してしまって

いたのかもしれません。

 

でも、それを少しだけ脇に置いて

振り返ってみた時、

 

ここまであなたを生きながらえさせ、

それらを辛いと思わせるほどに

あなたらしさとなって潜んでいた

気持ちの良さや明るさの感覚が

見えてこないでしょうか。

 

そして自分自身が存在していることが

当たり前と感じられることが

蘇ってくるときが必ず来ます。

 

そのとき、

傷ついた絆は回復を見せ、

あなたと世界とのつながりは

あなたが希望を感じるものにかわるはずです。

 

 

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ー今回の表紙画像ー

『街の夕暮れ』

買い物帰りに西の空を見上げたらきれいな夕暮れの空が。。。