幸せを感じるということ~些細なことだけど、やることを減らしてみませんか

日々の棚卸

 

私たちは幸せであろうとして、

日々活動しています。

「そんなご大層なこと考えてません」

という人でも、

わざわざ苦しくなろうとして

生きている人はいないはず。

 

運動

仕事

人間関係

 

朝活で英会話の1章を終えて、

夕方の6時に料理教室に行って、

今日中にレポートを完成して、

ジムに行って、

自己啓発セミナーに通って、

これをやって、

あれを学んで…。

 

いつも時間はなくて、

忙しいと思いながら活動していて、

ルーチンワークになっているのもあるけれど、

ほんとうにやりたいことなのかの検証も忘れて、

どこか機械的になっていて、

実施すること自体が目的になってしまっている。

 

次第に削られ出すのが、

睡眠時間と

のんびりする時間と、

自分自身と対話する時間。

 

それでも一度回りだした習慣は

それが良かれと思って始めたことだけに、

なかなかやめる気にもならない。

 

やめてしまえば、

もとの〝不幸″な自分に戻ってしまう。

 

かといってこのまま続けるのは、

時間的にも、

体力的にも、

精神的にも、

やっぱりちょっと厳しい。

 

そう感じながら、

半ば惰性で継続するうち、

なんか違うな、

そう感じるようになったりして、

ついには、

どうも自分は幸せには縁がなさそうだと、

飛躍的に考えてしまう人さえいます。

 

以前にもお伝えしましたが、

幸せを感じられなくて

苦しんでいるということは、

かつて、幸せを感じていた記憶がある、

ということ。

 

そして、思い出していただければわかると思いますが、

幸せだということを

リアルタイムでは感じていなかったはず。

 

そんな暇もなかったからです。

そんな必要もなかったからです。

 

そんなことにいちいち振り返っている時間もないほど、

そこに集中していて

没頭していて、

それが『当然』のことだったからです。

 

人によっては

「そんなことわかってるよ」

そう言われるかもしれません。

 

没頭できるほど、自分も周囲も未来も

安定していないし、

信用できていないし、

不安につつまれているんだ、と。

 

そんな方には、思い出していただきたいのです。

新しいことではありません。

思い出すだけです。

 

思い立って新しいことを始めた時、

昔やっていたことをもう一度試してみようとしたとき、

気がついたら、

手元、足元、胸の鼓動、思考の回転、求める結果、

どれもが一挙手一投足、この瞬間、次の一手、

そういったものに囚われているはず。

 

囚われているというと

良くない言葉に聞こえるかもしれませんが、

その囚われの感覚は、

まるで魔法にかかったように、

没頭した時間を意味しています。

 

永遠とは、際限なく時間を刻む中に入っていくことだ、

という解釈があります。

幸せも同じ気がします。

 

際限なく物事の中に入り込み没頭する。

 

〝今ここ″と言われても、

そんな簡単にできるか、

と思ってしまう方、

時間に追われて行う活動を減らしてみて、

1つ1つを丁寧に実行してみる。

 

些細なことですが、そんな感覚を目指して

もう一度試してみてはいかがでしょう。

 

ー今回の表紙画像ー

『雨上がりの青空と雲』

街の公園から撮った空。森の中のぽつんと開いた空間みたい。