あなたが今いるのはどんな場所でしょうか。
居心地はいかがでしょうか。
家庭、会社、学校、友人関係。
仮に居心地が良くなかったとして、
それでも自分の居場所の一つだと感じて、
そこに居ようとしているでしょうか。
あからさまな心身の暴力があるなら、
しっかり逃げましょう。
はっきりと距離を取りましょう。
間違いなく、
そこはいない方がいい場所です。
あるいはもし、
居づらいとか、
どうも居たくない、というなら、
遠ざかることを実行するのもいいでしょう。
相性や運といったものもあるでしょう。
ただ、ともかくも
それで良い変化を感じられないなら、
もしかすると、
今いる場所、家庭、職場、友達の中、
そこには居づらさの原因は
ないのかもしれません。
★
そこに居よう、そこに続けよう、
とする力というものがあります。
それは、しがみ付く力とは関係ありません。
卑屈になって居続けることでもなければ、
嫌みや頑なになって、
意地で居続けることでもありません。
自分にとっての究極の居場所というのは
心の中であり、体の中にあります。
それに従ってその時々の状況を
適切に判断することができて、
居場所とそうでない場所を見分け、
居場所とするための言動を自然に
行うことができます。
ですが、居づらさの感覚は往々にして、
心の中が整っていない状態で生じる
人の関係の軋轢の中で芽生えます。
最初は、居づらいからということを理由に、
その場所を離れようとはしないでしょう。
自分は間違ったことはしていない、とか、
そこにいる権利があるはずだ、とか、
理由をつけるかもしれないし、
もう単に意地になって
そこに居ようとするかもしれません。
そしてある時どこかで、
無理にそこに居続ける必要はない、
あなたには居場所があるよ、
という考え方を知って、
さっさとその場所を去っていく。
気がつくと、
あっちから出ていき、
こっちから出ていき、
新しい場所を尋ねたと思っては出ていき、
行く場所がなくなっていたり、
居場所を感じられなくなっていたり、
時には引きこもってしまっていたり。。。
深呼吸をして、
少し落ち着いて、
一つの自分に気づくことはないでしょうか。
もともとは、
そこに行くことを選択した自分、
そこに居ようとした自分、
そこに居続けようとした自分のことです。
それが
仕事であれ、
家庭であれ、
友人の中であれ、
いわんや他の関係の場所であれ、
そこに居る、
今のあなた自身に隠れた目的が
あるのではないでしょうか。
それは、自分の選択した場所の中で
そこに居る人々人と過ごす、
ということです。
えっ、と思われるかもしれません。
ことに職場などでは、
お金を稼ぎに行っているのだから、
そこの人々といることは目的ではない、
と考えがちです。
ただ、表の目的を理由にして、
人とつながる働きかけや受け止め方、
感情の選択の優先度を下げているとするなら、
それは、実はおそらく問題です。
根幹には、家族を始めとする人々との
深い関係性の中で生じた深い傷、不信が
横たわっているのかもしれません。
そういった体験が長く尾を引いて、
今に影響しているなら、
それを繰り返し表現する場を持つことで
居場所を見出す第一歩になることがあります。
魂の傷、不信は、
それが直接表出てしまわなくても、
受け止め方に影響します。
それが原因で人と距離を取ってしまい、
居づらくなるなら、対処しましょう。
私たちは常に居場所を欲しています。
それは人であるなら正常な感覚で、
その力学を利用して、
様々な関係性が存在しています。
そして、居場所を欲するとき、
明示的にエゴを出して
関係性をおかしくすることはないとしても、
受け止め方をマイナスに選択し続けて、
居場所を感じられなくしてしまうことは、
あるものです。
居場所を感じられずにいる時、
自分と他者を断絶する方向へ
気持ちが向かっていることもあるでしょう。
そう受け止めることは、
とても受け入れがたいかもしれないけれど、
あなた自身が選択しています。
悔しい、哀しい、忘れがたい経験の
末に選択したことだとしても、
いつしか心の力学の癖になっています。
修正するのは自分しかいません。
ー今回の表紙画像ー
『真夏の川のほとり』
暑さに負けて涼みに行ったけど、やっぱり暑かった。
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