素直になって自分のかけがえのなさを感じてみよう

日々の棚卸

このHPの表題にもなっている『かけがえのない』という言葉は、私が好んで読むさる先生の本の題名にも使われています。その本の巻末に解説を記載されていた某芥川賞作家によれば、随分乱発されて軽く感じる言葉らしく、先生がこの言葉を使うとは、というような意味のことが書かれていました。

そのこともあってか、当初HPの題名にこの言葉を使うことをためらっていた時期がありました。使い古されていて、軽く感じられて、自分が思うよりずっと巷の言葉に埋もれてしまっている。しかもそれを、私も時々読書を楽しむ、かの芥川賞作家が言っている。

 

・・・・・さて、どうしたものか。

 

無理にこの言葉にこだわって、結果として名も知らない誰かが閲覧してくれた時に独りよがりなページだと受け止められてしまわないだろうかと、自信のなさがむくむくと頭をもたげてきたものです。もっと特徴があって、もっとインパクトがあって、もっと受けが良い言葉が思いつければよかったのかもしれません。

ですが、今の私には自分が生み育てようとしているこのHPの標題として、この言葉がしっくりとくるという感覚もまたありました。

その裏側には、ある種の反骨心みたいなものもあったのかもしれませんね。

あえて言葉にすれば、こんな感じなのかもしれません。

原家族が壊れたとき、母が壊れた時、父が自殺を選択したとき、妹が後を追って未遂を起こしたとき、私は都度何かを発信する衝動に駆られていました。発信する衝動と言えば前向きに聞こえるかもしれませんが、当時の状況を正確に言うと、どうしようもなく襲ってくる体の内側からの崩壊感と自我を破壊しようとする(ほんとは存在しない)外からの力に対抗しようとして、自分を保とうとする精一杯の対抗でした。

結果はと言えば、いつも書いているように、ほとんど何もすることができず、ただありもしない周囲の冷たい視線を敵視しながら、とことんまで自分を呪い、蔑んでいるばかりでした。

その時の発信しようとする行動へのアンチテーゼともいうべき自分の受け止め方、それは、『こんなことはよくあること』『ドラマや映画の中で語りつくされていること』(だから今更他者に向けて発信などしても意味がないこと)というものでした。その頃は今のようにカウンセリングの知識もなかったし、ネットワークの構築方法として理解していたものも(電子技術屋であったにもかかわらず)通り一遍の役に立たないもので、そんなことも言い訳に使っていたのかもしれません。

 

今は違います。

 

私の人生に起こったこと。

私の家族に起こったこと。

それは、他の誰が何と言おうと、とても哀しく、苦しく、甘美な色調などかけらもない、避けて通れるものなら誰もが避けて通りたい出来事でした。

それは、ドラマや映画の出来事でもなければ、他の誰かの話でもなく、私が生きる人生に起こった、私が背負わざるを得ない、私以外に背負う者のいない出来事でした。

今、当時の、誰も信用することができず孤立を選択しながら、どこかで人を求めていた自分に、伝えたい大切な何かを伝えられているかはわかりません。

しかし、繰り返しますが、よくあることかどうかなどとは関係なく、それは、私というこの世でたった一人の人間に起こった出来事だったのです。その時間の中で、もがき、苦しみ、一度はバラバラになった自我のピースをかき集めて一つ一つを受け入れ自分を構再構築してきたそのプロセスと、その間に培った私自身へのねぎらいと抱擁の感覚、そして望む未来を生きていくために必要な言葉、それが『かけがえのない自分』だったのです。

 

ただ一つの言葉ですが、そこまでして感じ入っている言葉なのであれば、とりあえずでも標題に入れよう、そんなことが言いたかったわけです(笑)

・・・長々とすいません。恥ずかしい限りですが、正直に載せておきます。

 

このブログを読んでくださっている皆さま。

そういうわけで、題名の方はともかく、今皆様を苦しめている(とご自分が受け止めている)何かについて、良くある話だから、どこかで何度も言われていることだから、などと馬鹿にしたりせず、自分の身に起こった出来事として、きちんと受け止めてください。その問題に“あなた”という個性が組み合わさったとき、それはよくある話などではなく、あなただけの立派な(では困るかもしれませんが)オリジナルの人生に続く扉となるかもしれないのです。あなたが今より“かけがえのない”自分を生きていくために乗り越えていく『ヒント』としてそこにあるのです。

 

素直になる。

これは表に出すことではなく、自分自身に問い続けて導く姿勢です。

素直になることは、難しい。

自分を正当化したり、

自分に嘘をついたり、

自分を鬱にしたり、

どうしても認めようとしない力が働きがちになることもあります。

最初は、どうしても耐えられない感情があるかどうかを知るだけで精一杯かもしれません。でもそうやって

怒り、

憎しみ、

恨み、

哀しみ、

苦痛、

こういった感情が自分を痛めつけているということは、とことんまで素直になって自分が求めているものを、世間とか決まり事を脇に置いてでも知っておく方が良い、ということを意味している、とわかってください。

 

自分を襲ってくる何かに耐えられずにやたらと自分を正当化することなく、一瞬一瞬の自分に寄り添うことを常に心がけていきましょう。