他人は自分が意識するほど、
こちらのことを見ていないし、
気にもしていない。
その通りだと思います。
同じかどうかはわかりませんが、
往々にして自分で認識する自分と、
他者から見える自分は、
大きく乖離しているものです。
会社勤めをしていると、
つい目の前の評価指標に対して、
それが他者が自分を見るすべてであるように
感じてしまう人も少なくありません。
実際には、
半期や1年の業務評価では
さして良い成績がついているわけでもなく、
時に「もっと頑張らないと」と言われ、
あるいはもっと厳しい言葉を
(時にはきつい表現で)
上司から投げつけられたりして、
きっと他の人々からもできない奴と
思われているだろうと思っていたら、
周囲と話をしてみるとそうでもない。
「こんなところがうまいよね」とか、
「こういうところが丁寧ですよね」
「この問題が出たらいつもお聞きする
ようにしてるんです」と頼られていたり、
といったように、
見てくれている人はいて、
評価してくれている人がいたりします。
もちろん、その反対の方もおられます。
自分ではそこそこうまくやっていると
思っていたら、
ある時上司から全くいけてないことを
ぼそりと告げられて落ち込む
などということもあるでしょう。
(私は若い頃、プレゼンの仕方について
そんな経験がありました)。
ともかくも、自分の見え方、受け止められ方
というのは、ほんとうにわからないものです。
×××に見える。
×××に入る言葉として、
いくつもの言葉があげられると思います。
別に仕事のことにかかわらず、
もっと一般的にどう思われるかという意味で
いろいろな言葉が当てはまるでしょう。
格好よく見える、
怒りっぽく見える、
頭がよく見える、
犯罪を起こしそうに見える、
惨めに見える、
太って見える、
やせて見える、
陰険そうに見える、
優しそうに見える、
リッチに見える、
人から褒められ続けてきたように見える、
いつも意地悪ばかりしていたように見える、
友達いなさそうに見える、……。
書いていても思うのですが、
ほんとにどうでもいいことばかりです。
自分が自分を見失い、
自分を疑い、
時に忌み嫌っていると、
こんなところにはまり込んでしまいます。
人の見方は、自分の認識とは
全く関係ないことが多いものです。
自分がイケてると思っていると、
「何だ、ただのアホだ」
なんて思われていたり、
ちょっと理屈っぽいかなと
思っていたりすると、
周囲からは
インテリジェンスがあるように見える。
物事はどちらから見るかによって、
解釈が180度変わります。
それをいちいち気にしている時間は
あまりにもったいない。
仕事がうまくこなせない、
新しい仕事をしてみたい、と
思っているとき、
何をしようと悩んでいる間に、
小さく始めてみませんか。
自分のやりたいことがわからないなら、
思い付きで構わないので、
簡単に始めてみませんか。
ことにそれが働くことである場合、
自分にしかわからないものです。
それらは皆、誰が何をどう言うかとは
関係ないものです。
そんなことにかかずらわっているより、
自分がしたいことを見つけるための
日々のトライアル、
納得する人生を送るための行動をはじめ、
そして続けることに注力してみませんか。
それを見つけようとしていれば、
あるいは見つけたそれに没頭していれば、
人が自分をどう見るかなんて、
気にならなくなります。
動くのはある意味確かに怖いものです。
面倒くさいというとき、
実はこの怖さ、結果を恐れる気持ちを
カモフラージュしている場合さえある。
でも、No Pain, No Gain!
試すことなくして、結果は得られません。
だから、時間と金銭のダメージが
日々の生活に響かないように気を付けて、
まず動くことを最優先にしてみてください。
自分が納得する働き方、生き方をするために
とても大切なことは、
自分が何を求めているかを
しっかりと熟考することですが、
それはイコール動かない、
ということではありません。
熟考は動きながらできます。
動くということは何も
アグレッシブに外交的になる
ということでもありません。
自分のペースで、
自分の性癖に沿って、
時には寝っ転がりながら、
静かでも、ゆっくりとでも、
試すことを続けるということです。
よく聞く話でしょうか。
そうかもしれません。
でも、実践ありき。
少しずつでいいと思うのです。
動けるときに、
動ける範囲でいい、
動いていきましょう。
ー今回の表紙画像ー
『冬の山並み』
昨日はよく晴れていたな。うっすらと富士山も見える。
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