やりたいことを見つけるということ

日々の棚卸

 

第二次大戦前後、日本の労働者の大多数は

農業に従事していたそうです。

 

詳しいデータは手元にありませんが、

半数近くに達していたといいます。

 

漁業や林業などと合わせると、

大多数の国民が第一次産業に従事していた、

ということになります。

 

世襲制と解釈する方もいますが、

裏を返せば他に選択肢がなかった、

とも言えると思います。

 

翻って、21世紀現在の日本では、

別の意味で、

大幅に偏った数値がみられます。

 

どういうことかというと、

大多数の日本人、おそらく8割以上が

サラリーパーソン、

 

つまり、

 

雇用されている立場で働いている、

ということです。

 

最初に申し上げますが、

良いとか悪いという意味ではありません。

 

ただ、現実の数値として、

大多数の日本人はサラリーパーソンである、

というデータがあるということです。

 

 

やりたいことを仕事にしよう、

やりたいことをやっていかないと

幸せにならない、

 

そう言われてきました。

 

だから、バブルがはじけるまでは、

良い大学から良い会社へ、

そう言われていました。

 

そう考えたところで、待てよ、と

ここ数年お聞きした話からすると、

失われた30年の間どころか、

 

実はいまだに、同じこと、

つまり良い大学から良い会社、

という考えが跋扈しているようです。

 

正確に言えば、本音ではおかしいなと

多くの人が気づいているはずなのに、

まだそういう考えで社会が動いている、

 

ということでしょうか。

 

日本の自治体の教育制度が

今もまだ、集団で働く工員や会社員を

念頭に置いているためなのかもしれません。

 

実際、アメリカやカナダといった国では、

サラリーパーソンと自営業は

半々だと言われています。

 

このブログを読まれているあなたも、

やはりサラリーパーソンでしょうか。

 

 

やりたいことっていったい何でしょうね。

 

私が発信しているこのメディアも

人によっては何でそんなことしてるの?

と思われるかもしれません。

 

少なくとも自分はそんなこと、間違っても

やりたいことじゃないよ、と。

 

それほどにやりたいことは

人によって異なっていて、

 

それ以前に自分のやりたいことを

明確にわかっている人自体が

多くないのでは、と私は考えています。

 

特に、働くこと、仕事ということになると、

ホントはやってみればいいんだけど

ちょっと試してみるということができない、

 

そういう方が少なくないと思います。

 

思うに、

“やりたいこと”という表現は、

実は結構抽象的です。

 

ちょっと考えるだけで、

 

何をやりたいのか、の他に

 

どんな分野か、

どんなやり方か、

どのくらいの期間か、

誰とやりたいのか、

誰のためにやりたいのか、

どうやりたいか、

いつまでにやりたいか、

どのくらいうまくやりたいか、

携わっていればいいのか、

大規模なことなのか、

 

などということに思い至ります。

 

一方で、

 

うまくいくことがやりたいことなのか

と問われればおそらくNoという人は

いないでしょう。

 

だから、やってみなくちゃわからない、

という人もいます。

 

ある意味そうかもしれません。

 

ですが、自分との本音の対話ができず、

やりたいことの感覚がつかめないからこそ

躊躇しているこの状況では、

 

偶然やりたいことに行き当たるような

可能性もなくはありませんが、

 

それを察知できなかったり、

 

それより多いのは

「やっぱり無駄だった(ダメだった)」と

予定調和の感情を持ち出す結果ではないでしょうか。

 

ここで、自分自身との関係性が出てきます。

 

自分を知り、

自分の欲動を知り、

自分の直感を信じることができるようになると、

 

そんな結果を持ち出さなくて済む方向に

物事が動き出し、

理屈を超えて何かを選択するようになります。

 

自己とのつながりの欠如から

迷いが生じている場合、

試した結果は芳しくないでしょう。

 

では、自己とのつながりとは何でしょう。

 

それは、

これまでに培ったあらゆる自分という存在、

 

そして

自分がつながった人々や環境

 

そういったものへの愛着を感じる

感覚のことではないでしょうか。

 

その感覚をもとに湧き出でる発想や、

そこから生じる行動のパワーは、

 

ただ何となく成功したい、とか、

成功者なる人が言ってるから、といったものとは

そもそものモチベーションが異なります。

 

やりたいことをやろう、と言われ、

そういう人々が口にするやりたいことを

自分にとってのやりたいことと勘違いして、

 

明後日の方向に踏み出していると、

いつまでたってもやりたいことをやっている

という実感とは巡り合えません。

 

おそらく口にしている当人も

彼・彼女が言っているやりたいことの手前に、

整っている前提条件があるはずなのです。

 

生活が十分成り立っている、

心の安全が保たれている、

家族が十分つながっている、

 

などなどのことです。

 

それを自分なりに見つけて

自分を満たしていくことを優先したとき、

 

それが傍から見てどう思われようとも、

 

確実に自分は変わっていき、

結果として、やりたいことのヒントを

感じられるようになると思うのです。

 

よく、

そうしないではいられないことをしろ、

と言われます。

 

そのとおりですが、これは結果論です。

 

その感覚を作動させるためには、

 

自分を満たし、

かつ、

追い込む必要があります。

 

満たすと、追い込まれます。

 

逆説的ですが、そうできています。

 

まずは、自分を満たすこと。

自分を満たすとは、

自分を嫌わず一体化すること、

 

そして愛着を取り戻すこと、

(心の原風景を蘇らせることはまさにその一つ)

 

それから、

愛着に基づいた行動をとれるようになること。

 

焦らず行きましょう。

 

ー今回の表紙画像ー

『摩天楼に埋もれたクリスマスツリー?』

サントリーホールのエントランスにデコレートされていた。ツリーの上を見上げるとビル群が。。。

渡辺貞夫さんの「Tokyo Dating」に行ってきました。やっぱ、いい~。