無人島でたった一人で暮らすことを
想像してみてください。
当然というべきか、
電気もガスも水道もなくて、
スマホも繋がりません。
よほどのことがない限り、
あり得ないシチュエーションですが、
人との関係には悩まなくて済みそうです?
いえ、悩まなくて済むかと言うと、
実はそうでもないのですが…。
★
普通に?暮らす限り、
私たちは必ずどこかの人の集団に
属することになります。
家族と会社の2つは
多くの人に当てはまるでしょう。
町内会やPTA、ママ友、なども。
パート・アルバイト、ボランティア、
なんかもありますね。
人によっては、
趣味のサークルや習い事なども
そうかもしれません。
ネットでつながった
オンラインの知り合いも
今は多くの人が持っていると思います。
人の集団に属していると、
人によっては、とても居づらさを
感じるようになることがあります。
それが本当に、
特定の集団に対する感じ方の時もあれば、
どんな集団にいてもそう感じる人もいます。
それらの感じ方の中には、
本当にその集団が原因で
そう感じることもあれば
馬が合わなくてそう感じることもあるし、
自分が抱える過去を投影して、
そう感じてしまうこともあります。
そこから抜け出すのが簡単ではない集団で
起こることが多いようです。
お金(生活費を稼ぐ)で縛られるか、
場所(生活空間)で縛られるか、
ですね。
だから、多くの方にとっての
人の関係の悩み事もまた、
そこに帰結します。
そう考えると、
家族は一番『そこ』から抜け出したい、
居づらさを感じやすいとなりますが、
そこに自分がいることが当たり前という、
ある種の存在理由が肯定されていて、
幻想に包まれやすいため、
居づらさを感じる閾値は、
他より高いかもしれません。
ともかくも、
その居づらさが我慢できる程度だったり、
『そこ』に何か代えがたい生き甲斐や
特別な親しみを感じていたり、
ということであれば、
おそらくは
『そこ』に留まり続ける選択をします。
でも、どうしても
『そこ』にいたくない、いられない、
というほどの居づらさを
感じるようになってしまったあなたは、
きっとどうしたらよいか、困惑するでしょう。
それが特に、どこに行っても
同じような感じがした経験を持つほど、
迷いは大きくなるのではないでしょうか。
人の性癖というか気質は当然ですが様々で、
移り気、陽気、我慢強い、没頭しやすい、
衝動的、優柔不断、せっかちだったり、
考え込みやすい、
自分を気持ちよく保つのが苦手だったり、
悪い方に考えやすかったりなど
本当に多々あります。
これ、つまり性癖というか気質は、
集団としてもおよその傾向として
持ち得るものだと思います。
だから、
相性が合わなかったりなどということは
必ずあるものですが、
その程度にもよるものの、
合わなかったからといって「はい、さよなら」と
踏ん切りをつけられないからこそ、
『そこ』に居づらさを感じるとも言えます。
私たちの性癖は何の素養とも関係なく
身につくものもあるのですが、
後天的に学習してしまうことが
多くを占めます。
学校教育、洗脳教育、詰め込み教育、
などの学習と同じですね。
ですので、
その居づらさを感じる感性を
醸成させたことについては、
あなたが生まれてから社会に出るまでの
多感な時期に一緒にいた家族の影響が
間違いなくあることはいうまでもありません。
先に、後天的な学習と言いましたが、
これは教科書から漢字を覚えたり、
算数の計算を解くという学習ではなく、
もっと肌感覚的なものと捉えてください。
影響は大きく2つあります。
1つは、『そこ』にいる苦しさを感じ取ること。
つまり、
あなたが所属する人々との関係の中で、
そう感じるような関係を
“自ら”構築しがちということです。
もう1つは、直上の話と繋がりますが、
苦しい時に自分を良く保つ癖と術を
身に着けることを学んでいない、というか、
最初から概念すらないということ。
これは、当然と言えば当然で、
そうならないような、それができないような、
関係の家族があって、
両親もまたそんなことを考えたこともなくて、
その中に身を置いていたからなんですよね。
これは別に、あなたのいた家族が悪だとか
そういうことを言っているのではありません。
ただ、ないものがあった、ということです。
そう考えてくると、
最初に述べた無人島で暮らす人もまた、
その人自身というもう一人の人との関係に
思い悩むことは十分にあり得るわけです。
★
あなたが『そこ』に居づらさを感じていて、
出ようかどうか迷っているなら、
次のようにしてみてはいかがでしょう。
物理的、精神的に暴力を受けている場合は、
しかるべき場所に相談して、
『そこ』から遠ざかることを事を実行する。
これはもう最優先だと思います。
でも、もしそうでないのなら、
ひとまずそこにいることにする、と
決めた上で、
自分にできることを進めていってみるのです。
進めながら、
自分の過去を投影していないか
自分を観察してみるのです。
え、そんなこと?
と思われたかもしれません。
しかし、考えてみてください。
迷いながら苦しみながら、
『そこ』に留まっている、
しかも『そこ』には、
歓びも使命感も高揚感も存在しない、
というのは、
限りなく中途半端で、
しかもそれをよしとできない状態になっています。
ならば、その感覚がどこまで本物なのか
見極める必要があると思いませんか。
もし、自身の過去を投影して
居づらさを感じているのなら、
問題をその集団に帰結させる話ではなく、
あなた自身の過去との和解が最初です。
『そこ』が生活費を稼ぐ場所なら、
『そこ』の中で混乱させる相手から
距離を置きつつ、
あるいは、長時間労働を回避しつつ、
『そこ』に居続けながら、
まず自分を整えてみてください。
もちろんそれなりに貯金があって、
しばらく働かなくていい方は
その限りではありません。
『そこ』が生活費を稼ぐ以外の場所なら、
少し控えめにしてみるのも手だと思います。
最低限の接触にとどめながら、
ご自身の問題を掘り下げることに
時間を使ってみてください。
でも、
もし『そこ』があなたの過去の投影の結果、
居づらい場所になったわけではないことが
明確になったならば、
あなたが思い切って、
新しい場所を求める時が来た、
ということです。
その時には、おぼろげながらでも、
胸の内にある新しい場所に向かう時が
来ているのではないでしょうか。
シンプルですが、明確でしょう?
試してみてください。
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ー今回の表紙画像ー
『枝垂桜』

急激にあたたかくなってきて、
あちこちでお花が咲き始めましたね。
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