初めて恋をした日

日々の棚卸

書くかどうか迷いました。

いつも、常識に囚われないように、と

いうようなことを言っている身で、

こんなことを言うのはいかがなものか

と思いますが、

でもやっぱり、躊躇しました。

半世紀生きたおじさんが

話すことではないような気がして。

自意識過剰な戯言かもしれません。

ウルトラチキンのボヤキです。

ここまでの書き出しから、

迷いをお察しください。

 

先日、母から聞いた話として、

私が初めて恋をしたのは

近所に住んでいた

リカちゃんという女の子らしい

という話をさせていただきました。

私が3歳の時で、

相手のリカちゃんは4歳だったとか。

記憶にないことなので、

半分親の勝手な思い込みだったんじゃないか

と思うのですが、

母が他界した今になっては

確認するこ術がなく

迷宮入りです。

まあ、話のネタとしてそんなことがあった、

というだけのことかもしれません。

 

私が意識して

最初に女の子を好きなったのは、

11歳の時でした。

それまでにも、

それなりにかわいいな、

と思うことはあったのですが、

それらは、

一人の男の子として、

女の子を意識して好きになったのか

と言われれば、かなりあやしい。

これに関連して、

以前、大学の先輩から伺った

彼の娘さんの話がこれと微妙にダブって

面白かったのでちょっとふれます。

その娘さんの名前を仮にUちゃんとします。

Uちゃんは小学校に上がってすぐ、

同級生の男の子と仲良くなりました。

お話したり遊んだりするようになった

らしいのですが、

ある時ちょっとした衝突があって、

その時に男の子から

「Uちゃんのこと嫌い」

と言われたそうです。

Uちゃんはその言葉を聞いて

よほどショックだったのか、

「そんなのいやだ」といって

泣き出してしまったとのこと。

横でそれを見ていたUちゃんのお母さん、

この方も私の大学の先輩にあたるのですが、

彼女はいわゆる先進的な女性で、

ウーマンリブとか

フェミニストというのではないものの、

男性に依存する女性像というものを

良しとしていなかったこともあって、

めそめそと泣く娘にがっくり項垂れ、

「男に拒否されたからって泣き出すなんて

情けない」

とこぼしたとか。

それを聞いていたお父さん、

話を聞いた先輩のことですが、

思わず吹き出して笑ってしまったそうです。

「いや、なんかおかしくなっちゃってさ」

先輩は言います。

「だって、あの年齢の子供の好き嫌いなんて、

アイス好き、とか、チョコ好きと

言ってんのと変わらないじゃないか。

それを情けないとかなんてさ」

とのことでした。

話を聞いて私も思わず吹き出しながら、

その解釈に対してなるほど、と

妙に感動したのを覚えています。

 

11歳だった私が

その女の子に惹かれたときには少なくとも、

その一線、

つまりアイスとかチョコという一線は越えた

感情を持っていたな、

と今も覚えています。

 

この後の展開を、

変に期待されると困るので言っておくと、

彼女との間に

特に何があったわけではありません。

家が近所だったので

公園や買い物先で会えばちょっと話をしたり、

近所のお祭りがあったときに

みんなで出かけてその中にいたり、

という程度でした。

結局私が引っ越してしまい、

それで彼女との話自体はおしまいです。

でも、彼女を見たり、話したりしていた時、

とてもときめいていたのは確かです。

いや、お恥ずかしい。

 

その後、ずっとそのことは忘れていました。

女性とは、振ったり振られたりしながら、

時には凹んで、

関係性自体から遠ざかったりしたこともあった

のですが、

自分の大切さ、かけがえのなさを取り戻すと、

そんなことが

馬鹿々々しく思えるようになりました。

まあ、

振られると悲しいし落ち込む

というのはありますが、

それ以降は、

遠ざかるということはありません。

それは、

自分が求めることを素直に受け止めたとき、

怖れに取り込まれることの

無意味さ、

もったいなさ

を身にしみて感じるようになったからです。

 

人を好きなるということは、

誰しもがそれなりに経験する

ことではないかと思います。

その中で、

結婚する人しない人、

離婚する人しない人、

何度も異性を好きになる人ならない人、

何度も同性を好きになる人ならない人、

もう二度と痛い想いをしたくないからと

遠ざかっている人、

しつこくあれこれ手を出し続ける人、

それぞれあると思います。

いずれの状況にあるとしても、

そして結果がどうであれ、

内面が充実していたり、

まあこんなもんだろうと

心底思えているのであれば、

自分の存在自体を疑うほどには

苦しむことはないはずです。

 

しかし、

今の生活、

今の生き方、

今の人の関係、

向かう未来など、

大きなエネルギーを費やすことに対して、

その原動力たるパワーが湧いてこないどころか、

逆に落ち込み続けてしまう、

そしてだんだんと、

生きる力までも感じられなくなってしまう

というほどに、

自分を見失い、

自分を疑い、

これまで生きてきたという事実を

遠く彼方に感じてしまうのであれば、

ある見方のもとに次のことを試してほしい

そう思って、

こんな照れ照れになってしまう話を

しています。

 

それは、

別に、恋の話である必要はありませんが、

時間を遡って、

照れ臭いながらも、

幸せだったことを思い出し、

「あの頃の素敵な時間が今も

自分の中で見守ってくれていた、

確かに自分にはそんな時間と人があった、

恵まれていたんだ、

その勇気を、温かさを

これから生きる自分と

もう一人の人に与えていこう」

そう受け止めることです。

もう一度今の悩みに対峙してみてください。

ほんの少しかもしれません。

光と温もり、

そして力と勇気を

感じられるようになりませんか。

「あの頃はよかった、

でも今の自分は全くダメで…」

という“間違った”解釈は×ですよ。

折に触れて書いているように、

哀しみや苦しみ、不幸な感覚に陥っている

ということは、

そうではない感覚、

つまり

自分にとっての幸せの感覚を知っている

ことに他なりませんから。

https://nakatanihidetaka.com/happiness/

 

もし、ボクには、ワタシには、

そんな恋の思い出はない、

振られようにも好きになったことがない、

という方。

素晴らしい。

実に、すばらしい。

過去に引きずられて

身動きが取れないということがなくなる。

理想の、夢のような関係を描いて

そこに浸ってみてください。

それだって、大切な原動力です。

 

ー今回の表紙画像ー

『なすび畑(昨年)がマンションへ…工事中(現在)』