動けないことは
いつでも、誰にでも、
起こりえます。
どんな状況下でも、
どんな好調の時でも、
ありえます。
ただ、やり慣れたことをするときに
生じることはそうそうなくて、
たいていは、
新しいことを始める時です。
勝手なことを言えば、
動き出せないことに対しては
サラリーパーソンが一番
感度が鈍っているかもしれません。
会社に通い続けていれば、
とりあえず給料はもらえて、
居場所もあって、
ただし、
居づらい現実が日々続く。
サラリーパーソンといってしまいましたが、
動き出せない、には変化を嫌う、と
言うこともできて、
そういう意味では、
私たちは誰もが変化を嫌います。
不思議なことに、
どれほど苦しくても他の世界を知らない、
それ故に変化を恐れます。
でも、そこに限界が見えてくる。
動かざるを得ないと感じる時が
やってきます。
なぜかと言うと、
もう、この暮らしは、
成り立たないと感じるから。
稼ぎ(収入)、
安定した生活、
自分の時間、
そして何より自分を支える心、
それらがどうにも破綻して
感じられるから。
そんなのは
甘えているからだと言われ、
頑張れと励まされ、
続けるんだと指南されて、
でもその集積の果てに
人生を終えると考えると、
あるいはそう言っている人たちの
現実を見てみると、
どうにも苦しくなって仕方ない。
良い未来が描けない。
結局、大切な誰かは
幸せにすることができるのだろうか。
親は、兄弟姉妹は、伴侶は、
大切な子供たちは
それによって幸せになるのだろうか。
そういった不透明な未来に対して、
感情がシンクロできず、
うまくいかなかった例は枚挙に暇がない。
もしかすると、
それが動こうとしたにもかかわらず、
動けなかった最初の理由かもしれません。
★
何をしよう、どうやろうと考え、
使命感を見つける、
好きなことをやる、
などと言うのがあるけれど、
何となく大仰に感じたり、
尻込みしたり、
求めていることと繋がらなかったりして、
うまくとっかかれない。
本当は気づいたらやっている、
というのがいいのですが、
それって何があるだろう、
職場と自宅を往復して、
後は友人と騒ぐくらいのことしか
してこなかった自分に、
何ができるだろうと訝しんでしまう。
ここの0から1に至るハードルが
一番高いことは誰もが知っているけれど、
その理由は実は案外知られてしない
ようにも思えます。
つまり、
やる、やらない、の中には、
その先の可能性を見越して、
ここでこうなっても
その先の自分の幸せが見出せないから、
ではないでしょうか。
これをやって、こうなったら、
自分はこんな感じになっている、
といった『思い込みのシミュレーション』
が想像の中に働いているから。
こんな忙しい状態が続くのはちょっと、
とか、
これそんなに面白くないと感じる、
とか、
結局このままでは自分の時間なんてない、
とか
ホントはわかるはずのない先のことにまで
想像を働かせてしまい、
やっぱり自分にはなじめない、
と結論を出してしまう。
ただ、繰り返しになりますが、
だからこそ気づいたらやっている、
というくらい、
自分にあったことを洗い出します。
洗い出すことは、
部屋にこもって悶々としてても
わからないので、
外に出て、学び、
新しい人生に踏み出そうとします。
そこでヒントを見つけ、
次のステップに進もうとして、
…また躓くかもしれません。
正確に言うと、
躊躇し、躊躇い、動きが止まる。
そしてなぜだろうと悩みます。
やっぱり自分には
無理なのではないだろうかと。
ここでもやはり、
ヒントは自分の感情なんです。
燃えるとか激情とかではなく、
これを“少し”やってみよう、
楽しいかどうかはわからないけど、
生計を立てるところまでいかないけど、
このままだと負荷が大きくて
続けられるかどうか自信はないけど、
でもまず
1人に対して、
1つのことについて、
1度でいいから
途中で辞めることなくやってみよう、
それが、動く最初になるんですね。
これがいわゆる0が1になる
ステップです。
自分の内側を見つめ直すために、
カウンセリングを受けることもあれば、
自助グループでシェアしたり、
もう一度セミナーに通ったりして、
自分の本当の本音を引出します。
そこには意外なほど
見てこなかった自分が存在していて、
人生を変えるために動き出すのを
待っていたりすることもあります。
過去の処理されないまま
放置された傷や、
見ないようにしていた自分と出会う中で、
こう生きてみようという示唆を
得ることもあるでしょう。
その時にはもう、
それまでの日常生活の中に
新しい自分を生きるための時間が
見事に組み込まれていて、
時間を確保し、
動いているようになるでしょう。
0から1に行った後、
必ずしもとんとん拍子に
行くとは限りませんが、
最も困難なハードルを越えたことで
動いていることを
実感できるようになります。
胸のつっかえ、感情的なしこりは
相変わらずあるかもしれません。
ただしそれらは、
それは大切な自分の一部です。
うまくいくことばかりに力を入れて、
本来の目的、自分を見失わないための
もう一人の自分として仲良くすべきです。
そうやって見てくると、
動けるようになることは
私たちにとっての成長そのものかも
しれませんね。
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ー今回の表紙画像ー
『黄桃』
普通の桃より甘く感じるのは錯覚?
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