世の中は私たちの必要な情報であふれている

日々の棚卸

 

よく母親から、

昔は貧しくて勉強することができなかった、

と聞かされました。

理屈だけなら、そんなことはないと

言えるかもしれませんが、

私自身は、確かにそうだろうな、

と受け止めている口です。

貧しくても、

やり方、心構え、他者への働きかけなど、

やりようはあるものだ、と言ったところで、

貧すれば鈍する、ではありませんが、

もうとにかく、

その地位、その生活、その環境が、

意欲を減退させてしまう、

そんなことは多々あったのではないか

と思うのです。

あの頃は誰もが同じ境遇で、

できている人はできていた、

と言うことは簡単ですが、

今よりモノも情報もなく、

人の動きも限定的だった頃に、

自分だったら口で言うほどできていたか、

と問われれば、

はっきり首を縦に振る自信は

ワタシにはありません。

様々な自分自身を受け入れるほどに

そんな感覚を持つようになりました。

 

母はその後、大手企業に勤める

サラリーマンの父と結婚して、

定収入を得るようになり、

私と妹を育ててくれました。

両親の関係がおかしくなりだした頃

- 衝突ではなく、後戻りがきかないほど

相手にダメージを与え続けるように

なってしまったこと -から、

母は自分の不遇と世の中の冷たさを

嘆くようになりました。

もともとその気はあったのですが、

彼女が発する言動の全てが

そう変わってしまったということです。

 

今の私はそんな母に対しても

批判する気持ちが湧いてきません。

私自身がその時々の自分の限界を知り、

受け入れ続け、

その中で生きる術を体得した頃から

あの頃の母の限界と

彼女なりに描いてきた世界観の中で

私を生かし、

私と接してくれたわけで、

しかもそんな私を好きでいてくれた母は、

ただただ感謝の対象でしかありません。

 

インターネットが生活の隅々まで行き渡り、

テレビやラジオのような受け身ではなく、

必要な情報を電子の世界を介して

取得できるようになって久しいですが、

では誰もが本心から欲している情報を

入手出来ているかと言えば、

残念ながらそうではありません。

必要な情報、欲しい情報は、

それが明確にではなくても、

当人の中で望んでいるものとして

与えられるもので、

そこに蓋をしていたり、

虚勢を張っていたり、

自分の中のある領域を無視したり

していると、

必要な情報は入ってきません。

入ってこないという表現のとおり、

存在しない、のではなく、

見当たらない、のでもなく、

認識、できないのです。

 

これが意味することは、

外的なことにかまけて

自分に焦点をあてて必要なことを

探していない、

ということです。

 

私は晩年の母に何かと接して、

彼女が少しずつ

変化していく様子を見ていました。

若い頃は自分のことばかり嘆いて

勝手な人だと思ったこともありましたが、

専門家の端くれになってから、

自分の母として振り返って感じたことは、

いくつになっても人は変わることができる、

ただその一点です。

歳をとり、老いるほどに、

周囲の批判を受け付けなくなり、

価値観が凝り固まりがちな中で、

彼女自身が抱えていた生き方を

よりよくするために

モノの見方、受け止め方を変え、

自分を変えようとしていたことに、

頭が下がります。

望むらくは、壊れた夫婦関係や

家族のことを嘆くことがあったとしても、

もっと自分のことに焦点をあてて、

もっと自分本位で生きてほしかった、

ということでしょうか。

そして、そこまでをもっと早く

伝えることができていたら、と、

今も時思います。

 

私が自分を再構築する過程で出会った、

心理や、精神医療や、スピリチュアリティ

といった知識のこと、

再会した友人や新しく知り合った人の関係、

魚釣りや料理のように再開した趣味や、

ダイビングやスキーのように新しく始めた趣味、

こうやって皆様に発信させていただく

ブログやHPに掲載した知見など、

どれもが自分がその時々のできる範囲で

自分が行きたい方向を感じて

望んでいたことが

少しのタイムラグをおいて、

何らかの形で目の前に現れてきたものです。

突然かかってくる電話や届く手紙、

人づての話、

時にはほんとに偶然に

町でばったり人と出会ったことが

きっかけとなったこともありました。

 

誰かや何かに怒りを向けたりすることなく、

自分に焦点を当てて、

自分が本心から望み、

日々目の前のことに没頭して生きていると、

自然の流れの中で、

必要なものが目の前に提示されるようになります。

もちろん急激に変化するようなことはなく、

多少のタイムラグはあるでしょう。

普通のサラリーマンが

心から大金持ちになることを望んでいたとして、

いきなりそれに必要な情報が

与えられることはありえません。

先述のとおり、

与えられたところで気づかないか、

解釈できないでしょう。

ただ、そのきっかけとなることは

間違いなく目の前に出てくるものです。

 

そういう意味では、

本当にこの世の中は

必要な情報であふれています。

私たちはただ自然体で

等身大の自分としてそれらを感じ取り、

実践していくことに尽きると思います。

結果もまた、少しのタイムラグをおいて

あらわれるはずです。

 

 

ー今回の表紙画像ー

『雲と家並み』

当たり前なのですが、こうやって写真で見ると、雲も空も大きいですね。私たちの暮らす家がちっこく見える。こんなこと考えるのは私くらいかな。