望む未来って何だろう

日々の棚卸

先日、早めの墓参りをした。盆は叔母の都合がつかなかったからだ。叔母は癌を押してでも顔を出したいらしく、まだメンタルが十分でない妹のことも考え、車を出した。墓は2時間に一本しかバスが通らないような僻地にある。母が半ば縁が切れていたはずの自死した父のために建てたものだ。以前にも述べたが、ずっと母と疎遠だった私が墓の場所を知ったのは母と再会する少し前のことだった。

 

墓参りに行くと、かつての自分と出会う。そして、あの頃の家族と暮らした時間に戻る。混乱していた頃には考えられなかった、自分の一部を構成する貴重な時間と場所だ。自分なりに動いて、少しずつ日常に納得できるようになり、それと並行して日々の出来事に気持ちのよさを感じ、今進めているチャレンジに次はどう動こうと企てたりしていると、つい忘れがちになる。

父を、母を、呪った時があって、

彼らの不毛さに嫌気がさした時があって、

彼らのことはもうどうでもいい、と強制的に遠ざけた時があって、

それでも自分を大切にするために彼らとつながり直すことを試みだした頃から、この人たちは何を望んでいたのだろうと考えるようになった。

母は比較的わかりやすい人だったと思う。彼らの世代の大多数の日本人がそうであったように、父母は第二次大戦の影響で豊かとは言えない幼少期を送った。田舎の極貧に近いと叔母から聞いていたので、あの頃の各家の中でもそれなりに厳しい部類に入る生活だったのだろう。母はその形態はともかくサラリーマンの夫(私の父)をつかまえ、夫婦生活はいろいろあったものの、子供が巣立った後は夫の稼いだ金と退職金、年金で世界一周旅行がしたいと(本当にできるかどうかは知らないが)公然と言い放っていた。翻って父とはそもそもそんな話自体をした記憶がない。

何か夢があったのか。

何か達成したいことがあったのか。

何か思い描く未来があったのか。

あるいは、何か諦念のような世界観でも有していたのか。

何度も自分と向き合い、時間を費やし、長い時間の経過の末に母と再会し、顔を合わせる時間が長くなるにつれ、私の中の母に、そして父に対するわだかまりはゆっくりと解消されていった。それと入れ違いになるようにして繰り返し湧き上がってきたのが、先の問いだった。父は、母は、どんな未来を望んでいたのだろう、と。

今も答えは出ていない。土台、親という他者の内面を知ろうとするのは意味がないことなのかもしれない。彼らが常に吐き出していた不平不満を満足に変えたら満たされた人生になるのだろうかと考えたこともあったが、それをやって効果がなかったことを子供の頃からの自分の活動と結果が証明していると気づくと、考えようとする余力も霧散した。

 

では、自分が望んだ未来は?

振り返ってみると、その時々で自分がなりたいものは変わっていた。小学生、中学生、高校生と、多分に夢想的ではあるものの明確になりたいものがあった。メディアや、何かのスポーツで頂点を極めるようなことを夢想していて想い起こすと気恥ずかしい。随分能天気な夢だったが、そんなところに希望を持見出していたことが当時の家族の状況と関係なくはなかったと思う。

学生時代、父母のことがあって混乱に陥るとそれを思い描くこともできなくなった。当然と言えば当然で、夢を描くにはある種の固定的な世界観が必要だが、混乱は、そして行きすぎた不安定な心情は、そういった目指したい特定の基準や土台、フレームといったものを消してしまう。

某精神科医が言った言葉が彼の言葉か借用したものかはわからないが、症状を訴える患者の言葉をして、「主訴は嘘」という。

「患者は嘘をつきます」とある時の講義で口にしていた。もちろん明示的な嘘ではなく、患者もまた自分が何で困っていて今の状態にあるのかわかっていないという意味をそう表現していたものだ。

私たちがその時々で描く夢という名の疑似的な希望もまた同じような気がしている。もちろん、決して否定する必要はないし、信じられるならしっかりと持ち続けてほしいものだ。

ただ、先の主訴と夢は両方とも突き詰めれば、(方向は正反対であるが)一時的な高揚感のなせる業だと思える。一時的と言ってもそれなりのスパン続くものではあるけれど。それを永遠に固定化しようとした時、本来流動的な人生の中でいろいろと面倒が起きることがある。

繰り返すが、否定・批判ではない。ことに、いかなる理由があったとしても夢を思い描けるのは一つの能力だ。それが思い描けるかどうかと焦燥感の有無とが、今の自分の状態を知る一つの指標になると申し上げているだけだ。

私たちが夢のある未来を望むのは、それが自分の幸せと感じるからだろう。良く言われるように、幸せとは振り返ったときに感じるものだとして、今ここを充実させて生きることで達成されるものだとして、夢のある未来を描けることが経験的にそれらを大きく担保してくれると思えるのかもしれない。

 

20年ぶりに学生時代の友人たちと再会して、素敵な時間を過ごしたときのことだ。二十歳前後の若造の頃、一緒になって馬鹿をやって飲んで衝突もして落ち込めば慰めて、私が離れていかなければずっとつき合い続けていたはずの人たちだ。

皆とても立派になっていて、山手線の内側に3階建ての家を建てて暮らしていたり、某地に億ションを持っていたりと、このご時世に随分裕福な暮らしをしている。何より、彼ら自身があの頃と変わらない、しなやかで屈託のない雰囲気を醸していた。私が暗いトンネルを抜けてきたからそう見えるのか、額面通りに受け止めてよいほど幸福に生きているからなのかはわからないが、一つ感じたことは彼らは具体的で形のある目標とかゴールというものを描いているようには見えなかったことだ。彼らの言葉を借りれば、日々やることがありすぎて先のことまで考えてられない、ということらしい。ある時一緒に過ごしたメンツなんだから時々会ってこうやって飲めればいい、と中の一人が言っていた。朧げな未来は見据えるにしても結果として今やることをこなしていくことをずっと続けてきた者たちからすれば、おそらく本音で、それ以上でもそれ以下でもないのだろう。

 

昔から言われることだけど、生きるということは寂しさと向き合うことだ。亡くなった宇宙物理学者のカールセーガンも『コンタクト』の中で異星人との遭遇にそんな意味の言葉を使っている。

 

未来に夢があるなら素敵だと思う。

夢を描けなくても幸せな人々がいるのも事実だ。

自分を拒まず、変化を許容し、今ここなどと意識することなく、生きていけるといいと思う。自分の中にあるいくつもの自分とつながり、大切な過去や人々とつながり、それらが生み出す生きる力によって目指したい未来が見えてくるなら、素敵だと思う。

もし、運よくそんな未来が思い描けたとして、そうやって生きていると、いろんなものがついてくるし、それに付随して起こることもいろいろとある。多くは出会いで、それが次のステップを用意してくれる。私はスピリチュアルが結構好きだけど、これはそんな抽象的な話ではない。ごくごく身近な皆の人生に当たり前に生じることだ。

私たちは、そこから必要なものに手を伸ばせばいい。