与えられてるんだ

日々の棚卸

 

ルールはみんな苦手。

漠然とそう考えていたのですが、

どうもそんな人ばかりでもないようです。

皆さんはいかがでしょう。

ルールとは人の行動を束縛すること。

何となくそう考えていたのですが、

自分が自分に由る術を獲得するにつれ、

そんなマイナスの意味ばかりではない、

そんな気がするようにもなっています。

恩恵なんじゃないかな、

ということです。

 

ルールが嫌いな人、苦手な人は、

私を含めて、

その束縛性によって

自分が欲するものが除外されてしまう、

自分の手が届く範囲が限定されてしまう、

自分が得られる自由が制限されてしまう、

そう感じるのだと思います。

服装、食べ物、掃除、使う順番、税金…。

会社の地位、親の役割、町会の仕事、

家族内の決まり事、手伝いの順番…。

公式のルールから暗黙の決まり事まで、

身の回りには、

ともすれば私たちを束縛するルールが

あちこちに用意されています。

そんなルールを無視して、

自分の思うままに振る舞うことができれば、

これほど楽で自由を感じられることはない、

そう感じる人は

実は結構いるのではないでしょうか。

 

逆に言えば、

そんなルールに縛られている限り、

楽しくて自由で幸福を目いっぱい

享受することは不可能だと

感じていたりするかもしれません。

ルールを嫌い、

ルールを盾に、

ルールに追われて、

どうもうまくいかないな、

そう思い込まれている、

とういことですね。

 

このルール、

学校や会社や隣近所や役場や路上や、

そういった外出時の

公共の場にある公式のものだけではなく、

家庭内や友人間、恋人や趣味仲間などの中で、

自然の流れや、

関係者だけの決め事、約束事によって

敷かれているものもあります。

公的なものを中心に、

面倒臭いな、

かったるいな、

ほんとにここまでやる意味あんのかいな、

といった気持ちを持ちつつ、

守ることが多いのですが、

中には、

特に暗黙のルールは守らない、

というかほとんど無視する強者もいます。

 

いつもお話しする、

原家族がおかしくなった頃の私は、

その傾向が最も顕著で、

前回の運転の話もそうですが、

スピード違反したり、

当時の上司と対立したり、

何かにつけて我先にと行動したり、

とかく自分中心に動いていました。

きっと、

世の中のルール違反には、

これよりかわいいものから、

私の行為がかわいく見えてしまうものまで

ほんとうに様々かと思いますが、

共通しているのは、

満たされていない感覚、

不平不満の感覚に包まれている人が

重大な違反を起こす場合が多い、

ということだと思います。

 

窃盗壁、性的逸脱をする

ティーンエージャーの一部に、

家の中でぞんざいに扱われていたり、

ひどいときには父親や母親によって

性的に虐待されていたりすることがあります。

これは、かなりひどい例ですが、

人はそれほど変わるものではなくて、

生まれ育ってきた中で

身に着けた感覚を通して

世の中と接するのだから

誰もが何かのきっかけによって、

違反、逸脱をする側に回る、

そんな可能性はあるわけです。

少なくとも、私自身はその考え方を

無下に否定することができません。

 

いじめられて生きてきた人は

世の中を自分がいじめられる場として

受け止めるだろうし、

ルールもまた、そのためにあると感じる。

そんな捉え方では、

確かにルールを守ることが

ばからしく感じるどころか、

自分を単に不自由にするばかりか、

自分をひどい目に合わせ、

自尊心さえ奪い取りかねないところまで

追い込む危険な枠組みと

感じてしまうでしょう。

 

古くからの言い伝え、風習が今現在

どんなものが残っているのか、

私は調べたことがないのでわかりません。

ただ、人の自尊心を奪うような

ひどいルールは、

少なくとも公的にはないと思いたいですが、

人の集まりの中で、にわか醸成される

暗黙の決まりごとの中には、

時にとんでもないものが出現したり

することがあるのは確かです。

良くある話としては、

近隣の人との関係が乏しく

機能していない家族内のでの虐待とか、

いわゆるブラックと呼ばれる企業で

ひどい扱いを受けたり

なんかですね。

 

ルールに出来不出来があるのはその通り。

もうちょっといい具合に作れんのかいな、

なんて思うのもある意味正しい時がある。

それらを踏まえた上で、

あえて言います。

私たち一般の人にとって、

公式のルールは大方が、

あなたを縛っているんじゃない。

あなたを追い込んでいるんじゃない。

あなたを貶めているんじゃない。

あなたをいじめているんじゃない。

その枠組みは、

あなたの大切な想いや自由、幸せを

実現することを、

守ってくれているのだと思うのです。

 

それがあるから、

人とのかかわり方が規定出来て、

自分の振る舞いが安定して、

自分が自分でいられる時間や空間を

人に気兼ねすることなく持つことができる。

 

わかりますよね。

みんな与えられてるんです。

何より、多くの人が生きる社会の中で、

誰もが、これが一番妥当なあり方だ、と

“正義”を主張することが

どれほど厄介か、

それを考えると、

ルールはとても便利だとも思います。

 

ルールが束縛しているなんて、

そんなところに気を使うのは

時間がもったいないですよ。

必要なものは、

自由や楽しみ、幸せも、

みんな自分次第で与えられているのだから

それを感じ取ることの方に

もっともっと注意を向けましょう。

 

ー今回の表紙画像ー

『部屋の窓から一景』

昔住んでた部屋からは、山並みがよく見えました。今はあられもないビルが立ち並んでしまったけれど。