嫌なものは嫌だ。
そう感じられる自分の感覚を、
見くびらないでください。
それは、かけがえのない自分をもとに
納得する人生を生きる上で、
とても、ほんとにとても大切なものです。
学校に通っているうちから私たちは、
我慢のための我慢を学び、
手段の目的化と化した指示を受け、
予定調和の未来を想定し、
そうして出来上がったカリキュラムに沿って、
素朴な疑問を封じ、
生理的に受け付けないことを、
マストで実行するための教育を受けてきました。
それを全否定するつもりはありません。
やっぱり
やらなければいけないことは、きっと、
やらなければいけないという考え方も
あるのでしょう。
でもそこに、
何としてもうまくできるように、
とか、
何としても成績を上げて、
といった力が
自分の意志や嗜好、能力と関係なく、
外側から強制され続けた結果、
それが自分にはどう感じるのか、
といった自らの感覚の根っこを
麻痺させてしまうケースがあります。
このプロセスは
社会人として適合しようとするうち、
それは無意識に強化され、
時には「嫌だ」と感じることそのものを
意識の奥底にしまい込んで、
気がつくと自分の望みとは無縁の毎日を
過ごすようにさえ、なってしまったりします。
実際、少なくない方が
そういった人生を歩んでいるものです。
そんなことが何度も繰り返されるうち、
口をついて出てくる好きも嫌いも、
単に世の中の価値観に沿ったものに
なってしまうんですよね…。
嫌なものは嫌だというのが、
例えば、納豆のことなら、
ダメージは少ないかもしれません。
食卓に乗せなければよいだけだから。
例えば、
スノーボードが苦手でやりたくないなら、
行かなければいいだけ。
例えば、
読書が苦手で本を読みたくないなら、
別のことをすればいいだけ。
どれも『嫌なものは嫌』の実行は
難しくないと思います。
(ちなみに私は↑全て好きです)
でも、ことが生活、家計、居場所に
影響を与えることとなると、
話は変わってきます。
好きで入ったはずの会社の仕事だけど、
どうにも手につかない、理解できない。
イメージと現実のギャップを今さら知ってしまった。
今の上司・同僚がどうにも苦手で
毎朝の出勤が苦痛だ。
ここ数年の夫(妻)の言動が陰鬱に感じられて哀しい、
相手を信じられない、顔を合わせたくない。
そして、一緒にいることが苦痛だ。
通いなれて自分の居場所だったサークルが
新しく入ったメンバーによって、
とても居づらくなった。
いかがでしょう。
それぞれのケースは、
自らの中に明確に自覚して、
行きつくところまで行きつかない限り、
なかなか動き出せないものかもしれません。
どうしても気が乗らない、
やりたくない、
その感覚をしっかり感じることは
ある種とても辛いことです。
だからついそう感じることを、
なかったことにしていたりします。
前述した通り、意識の奥底に
しまい込んでしまうんですよね。
その手のことは私たちの得意技だからです。
これも先述のとおり、
育つ中で身に着けてきた、
義務なるものを実施するための処方箋だったから。
でも、そうやっている限り、
今のままの人生が続きます。
だから、
追い詰められて苦しい、
行き詰って辛いなら、
どこかで踏ん切りをつけて、
方向転換することが必要です。
そうは言っても、
すぐには無理かもしれません。
ですから、
拒否したいものは拒否する、
少なくとも、
そうしたい自分がいる、
そうはっきりと自覚すること、
声に出すこと、
紙に書くこと、
信頼できる人に打ち明けること、
それが最初です。
その感覚を無視しないことです。
これは大切な自分の魂を見失わないための
感情の適切な扱い方そのものですね。
感じることと表現することは分ける。
まず感じること。
いつどこで実行するかは別途自分と相談すればいい。
そうしたい、そうできるようになる人生を
求める最初の一歩です。
これまで自分を支えてくれた
社会、共同体、会社、友人、家族に
つい自分の感覚をなかったことにして
合わせてしまうことで、
多少なりとも幸せを感じられるならいいけれど、
そうではないですよね?
自分の内側から湧き上がるものよりも
頭で考えた解釈が先に来て、
結果として自分を雁字搦めにしているなら、
まずは本音を明確にしてみてはいかがでしょう。
それをも難しいと言うなら、
そう言う人生を少なくとも今は選択している、
そのことを意識してください。
今から急には変えられないかもしれないけど、
今から変えると決めることは出来ます。
思い立ったら吉日。
決めないことには、変わらない。
決めて、変わる。
当たり前そうに思えて、
出来そうに思えて、
でもなかなか実行しないこと。
継続しないこと。
でもやっぱり、
決めて、躓いて、
少し修正して決めて、
また躓いて、
でもあきらめずに決めて、
少しずつ、
望む方向へ変わっていきましょう。
ー今回の表紙画像ー
『花粉舞う河川敷』
いい天気でした。花粉は写らんからなあ。
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