発狂する列車から降りた

日々の棚卸

 

19世紀のイタリアに

『フニクリフニクラ』という

大衆歌謡曲があります。

 

Wikiによると、イタリアに

ヴェスヴィオ山という火山があって、

その山頂まで観光用にケーブルカーを

敷設していた会社が宣伝曲として作った、

世界最古のコマーシャルソングなのだとか。

 

日本でも戦前に何度か謳われていて、

戦後もYMOの細野晴臣氏がアルバムで

原題のままカバーする前は、

『登山鉄道』というタイトルで

歌われていたそうです。

 

もっとも、

イタリアでは男性から女性への情熱的な

恋愛感情の歌詞だったらしいのですが、

当時の日本での歌詞は、

あくまで登山の内容に徹してしましたね。

 

記憶にはないのですが、私が子供の頃、

歌のお兄さんである田中星児氏が

『鬼のパンツ』と言う、子供向けの替え歌を

歌っていたのだとか。

 

ヨーロッパで利用客を呼ぶ情熱の歌として

作られた作品が日本にきて、子供向けの

替え歌になったのは何だか微笑ましいです。

 

ともかくも、後述の理由で、

子供の頃から記憶に残っている曲です。

 

正確な歌詞とは異なるのですが、

私の中では長い間こんな風に記憶していました。

 

『登山列車に乗って、行こう、行こう

あの火を噴く山へ登ろう、登ろう

行こう、行こう、火の山へ

行こう、行こう、山の上

フニクラフニクラフニクラフニクラ』

 

イメージの中には、

火口に向けて敷かれた線路の上を

ひた走る蒸気機関車、

機関車に引かれた客車に乗って

沈黙したまま窓の外を見つめる私がいます。

 

 

当ブログで何度もお伝えしていますが、

原家族は私が学生の頃に

父母の不和が境界を越え、

父が家を出て家族がバラバラになりました。

 

そこに至るプロセスでは

目を背け、耳を覆いたくなるような

父母の言葉や行動が展開され続け、

とても胸を痛めていたとともに、

 

離れて暮らしてはいたものの、

私自身の生活と心もまたゆっくりと、

しかし確実に蝕まれていきました。

 

当時の私は、何というか、

世の中の評価指標にどっぷりとつかった

文字通り頑張ることしか知らない若造で、

 

それまでに達成してきたと思い込んでいた

自分の立ち位置と置かれた世界と

なぜか人々の集まりの中心にいるという

おかしな錯覚の裏側で、

 

自分のルーツであるはずの家族がおかしくなり、

まだ若いはずの私の心も頭も疲れ果て

得体の知れない不安と苛立ちに苛まれ、

明るいはずの未来を見失っていく…

 

そんな日々の中で、眠りにつくたび

頻繁に夢を見ました。

 

朝起きると、

脂汗ともつかない寝汗をかいていたり、

身体が動かないほど疲労していたりして、

起き上がること自体が苦痛だったことを

よく覚えています。

 

その夢の一つに、先に述べた

フニクリフニクラのメロディと共に、

火口へ向けてひた走る登山列車に乗って

外を見つめる私がいました。

 

 

家族のことを振り返ると、

二つのことが身につまされます。

 

一つは、

親はどうしたところで、

自分が認識する世界の原型を形作る

ルーツであるということ、

 

だから、

 

もし親に端を発する問題を抱えているなら、

単純に切り離そうとしたところで

無理な注文であること、

 

それは影のように私たちと一体となっていて

人生に関わってくるのだから、

その部分にこそ、

折り合いをつける必要があるということです。

 

もう一つは、自分がどうであれ、

自分の感覚というものは

馬鹿にならない、ということ。

 

普段覚える違和感の中には

表層意識が伝える思い込みもありますが、

 

往々にして、

直にコントロールできない無意識や夢などは

自分が解釈できない自分にとっての現実を

象徴的に生々しく伝えてくることがある、

と言うことです。

 

私たちにリアルタイムで起きていることとは、

必ずしも誰かの言動や

自分が置かれた立場ばかりを

意味しているわけではありません。

 

ロジャース氏の言う

『その人にとっての現実とは

幻想のことであり、

幻想とは現実のことである』

という言葉通り、

 

心の奥底で感じ取っている現状が

肌感覚で想起されることがあって、

 

特に、

 

心の中で起こっていること、

うまく言語化できないこと、

意味が解らないことを

 

無意識が何とか伝えようとして

夢を見たり、

人とは大きく異なる解釈をしたり

思い込みの世界に走ったり

しているのだと思います。

 

眠る中で見る夢も、

ある出来事へのオリジナルの解釈も

それ自体が頓珍漢だったり、

現実離れしていたとしても、

 

メタ視線、つまり、

もう一つ階層を上げてみた時、

そこには重大なメッセージが含まれている

と言うことができるのではないでしょうか。

 

 

火山口へ向けて蒸気を上げて突っ走る

機関車に牽引されて揺れる客車の車窓には

草木一つ見えない、

殺風景な暗い岩礁が広がっていました。

 

ひたすら車窓を見つめる私は、

座席から身動き一つすることができず、

視線さえ動かすことができないでいます。

 

何かを言おう、

何とか動こう、としているのですが

何を言うこともすることもできません。

 

当時の私はその夢の風景を、

“沈黙したまま発狂しかけた男がのる列車”

と表現していました。

 

列車を止めなくては。

このままでは列車ごと、火口に落ちてしまう、

そうなったら、皆なすすべもなく死んでしまう、

もうそこには誰もいないのに、

どうしたらいい、助けて、助けて…。

 

誰がなぜ火口めがけて走るための

レールを敷いたのか

それはわかりません。

 

ただ、わかっていることは、

そんな夢を見ている間、

いえ、そのずっと前からの生き方によって、

 

家族は分解し、

その後一人が命を絶ち、

おかしくなっていったということでした。

 

毎夜のように同じ夢を見続けている間、

日常が変えられたわけではありません。

 

幾ばくかの出来事があって、

家族と言うものを心理学の中で学び、

生活を改める中で、

 

自分の身近な人の顔ぶれが変わり、

歪んだ部分を含めた父母の存在の

有難さを感じられるようになり、

 

私は、何かの象徴であったその列車を

降りることにしました。

 

その列車を生み出したのが、

その列車が走るレールを敷いたのが、

その周囲の風景を生み出したのが、

 

最終的には、他ならぬ自分であること、

そこにいる限り、

自分は望まない努力によって、

 

望まない方向へ向けて、

破綻したままの人生を、

継続して生きる羽目になること、

 

生き方を変えるには、

列車を降りるしかないことを

どこかで察知するに至ったのだと思います。

 

それが正しかったかどうかはわかりません。

 

ただ、いつも書いているように、

列車を降りた後、

父母は私の大切な人として

私の心に戻ってきて、

 

自分の感性と、

自分の愛着や慈しみを大切にする気持ちが

自分の中で蘇ってきました。

 

夢の中に列車の風景が現れることは

ほとんどなくなりましたが、

 

ある夜、

 

火口へ向けてひた走る列車と周囲の風景は

柔らかな色の空へと変わっていました。

 

 

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ー今回の表紙画像ー

『曇り空の下の川の風景』

水面に落ちていたギンヤンマを拾って枯草へ。

昔は10月になると昆虫もいなくなっていたけれど、

今はまだトンボも蝶もバッタも、

ばりぶりに飛び交っている。

最近とみに人の足が遠のいた川の

とあるたまりに出向いたら、

そこもトンボ王国になっていた。

でも、産卵を終えてさすがに疲れてしまったのかな。