向かう場所は決めきれなくても、その感覚だけは整えたい

日々の棚卸

 

私たちの国は自由民主主義社会です。

 

何を言っても許されるわけではないけれど、

戦争真っ最中のどこかの大陸国や、

領土拡張中のどこかの独裁国とは異なり、

 

政治権力者に公然と文句を言ったり、

批判をしたりしても、

 

誹謗中傷の度合いが行き過ぎたり、

公序良俗に違反しない限り、

 

逮捕されたり、罰せられたりすることは

まずありません。

 

そんなこともあってかどうか、

今日も誰かがこれでもかと言わんばかりに

政党や政治家への批判を行っています。

 

そんな行為自体を批判するつもりは

私には毛頭ありません。

 

国家の中枢が国民にもたらす影響が

絶大であることは、

 

リーディングにより国家の状況ががらりと

変わることを、歴史が示しているからです。

 

私個人はと言えば、

よほど憤らない限り、

政治に文句を言うことはありません。

 

あまり関心がないこともありますが、

それよりも次の理由が大きいと思ってます。

 

曲がりなりにも民主社会で選ばれた人へ

必要以上の批判を行うことは、

 

直接ではなくとも国民の選択、というか

見識、文化そのものを批判することに

他ならないと考えているからです。

 

自分が、ポカ、怠け、勘違い、

その他諸々のミスをおかしてばかりの

人生だったこともあってか、

 

そこまで言わなくてもいいじゃないかな、

という力が働いてしまうんですね。

 

選挙もあるんだし、

もっと他にやることがあるような

気がするんです。

 

ともかくも、

 

そこまで言う?、と感じるほど

凄まじいバッシングというか、

ほとんど批判を超えている人たちの中には、

 

自分が自身へダメ出しする、

容赦のない批判・非難の嵐を見ないように

するためではないかなと思ったりもします。

 

 

政治の話から始めてしまいましたが、

 

政治家に浴びせる罵詈雑言以上の

容赦のない批判というものは

この世の中にいくらでもあって、

 

それが自分自身に向けられている人は

実際のところ、少なくありません。

 

誤魔化している例を先にあげましたが、

誤魔化していないからハッピーかと言えば、

もちろんそんなことはなくて、

 

自分への容赦ない批判をしている人は、

 

ある例を普遍化してダメだ駄目だと

自らの生き方・生き様自体をとことん

否定するばかり。

 

これでは生きること自体が苦しくて、

毎日が不安の闇に包まれていても

不思議ではありません。

 

もし、あなたがそんな一人なら、

お伝えしたいことがあります。

 

それははっきり言って、ナンセンス!

無意味です。

 

ひたすらに、そのダメな世界に

あなた自身を固定化するばかりです。

 

そして、そんなあなたを誰も

助けてはくれません。

 

そこにいることを嘆くことによって、

自分の存在を位置付けようと

しているように見えるから。

 

そのまま底をつくまでそこにいるのも

一つの手ですが、

そうするには人生はあまりに短いです。

 

そこで、もしよかったら、

時間を確保して、

次のことを試してみてください。

 

1.最初に、ダメなことを言葉にして

稚拙とかくだらないと思わずに

できるだけ詳細に書き出してみてください。

 

2.次にそれは『いつのどんな感覚、気持ち、

状態』と比べてダメなのか、

同じように詳細に書き出してみてください。

 

3.続いて、『いつのどんな感覚、気持ち、状態』を

それをもたらしたシーンを含めて、

詳細に書き出してみてください。

 

4.それから、最初に書いたダメなことが

どこまでが事実で、どこからが想像か、

どんな悪影響をもたらすかを詳細に書いてください。

 

5.最後に、ダメとした部分について、

『いつのどんな感覚、気持ち、状態』に則って、

どうなることを欲するかを詳細に書いてください。

 

全て、詳細に書くことがポイントです。

声にするでも結構です。

その場合は録音して確認できるようにしてください。

 

これをやったから即ハッピーになる、

というわけではありません。

 

ただ、ダメだ駄目だと言いながら、

その場当たり的な対応を繰り返し、

またダメだ駄目だと繰り返すばかりでは、

 

あなたが描くあきらめきれない幸せを、

不定形で抽象的な

ムービングゴールにしたまま、

 

今日も決まった場所を彷徨いながら、

疲弊するばかりの日常になってしまいます。

 

あちこちで言われる、

実現したい現実というものが

実はなかなか描けない中で、

 

この生き方はきついでしょう。

 

 

あなたも私も、今が辛いと思うほどに、

かつて守られていたことを意識せずに

生きていた頃があります。

 

実際にはそれほど

守られていたわけではないにしても、

そう思い込めていたという意味です。

 

そして世の中の価値観や親の期待、

一般的に良い、成功と受け止められる

流行りの何かを追い求めるようになり、

 

あるいは、半ば無理やり

追い求めさせられるようになり、

 

いつの間にか自分自身の皮膚感覚と直感を

信じて歩むことを

忘れてしまいました。

 

自分自身を満たす力の延長上で、

他のもう一人を幸せにする何かを

世の中に生み出すことによってこそ、

 

あなたも私も他の誰かも、ほんの少しの

幸せを得られるようになると、

私は思っています。

 

とは言っても、追い求めた方法が何であれ、

それまでの生き方の故にたどり着いた

今の場所は今の場所として、

 

やるべきことや考えるべきことは

多々あるであろうことも

容易に想像できます。

 

だからこそ、ぼんやりとでもいいから、

あなたの皮膚感覚を通して、

 

ほんの少し輪郭が明確になる、

望む場所、望む未来、望む世界を

リアルに感じ続けることで、

 

無意識が少しずつそちらに向かう行動と

自らへの働きかけを

行ってくれるようにしていきたい。

 

先に挙げた5つのステップは、

自らへ働きかけるための

ささやかな試みの一つです。

 

無意識もまたあなた自身。

それもおそらく、最も心の血肉が具現化し、

総体化したあなたそのものです。

 

“余計な”雑音であることが、

最初は頭でわかり、

その雑音が今を苦しめているのなら、

 

今度は、それを打破する方法を

いろいろと実践してみること。

 

向かう場所が明瞭に描けなくても、

どんな方向に向かいたいかは

感覚的に描けると思います。

 

合わせるところは周囲に合わせつつも、

今一度、あなた自身の感覚を信じて、

歩みなおしてみませんか。

 

ー今回の表紙画像ー

『夏の終わり?の空』

温度は下がらないけれど、湿度は少し下がってきました。早く秋がきてほしい。

今シーズン初物のサンマを買いました。いや、小さい、小さい。