私の自動車の免許証の色はゴールドです。
自分でいうのも何ですが、
自分の運転の下手さを知っているだけ、
優良ドライバーではないかと思います。
念のため、簡単に説明すると、
自動車の免許証は5年間無事故無違反で、
有効期間の部分がゴールドになります。
ゴールドは、
パッと見、黄土色にも見えます。
それ以外の色はブルーです。
…と思ってたのですが、
実は3色あります。
ご存じでしたか。
私は知らなかった…。
何でも、ゴールド免許と時を同じくして
初心者用のグリーン免許も始まった
とのこと。
ゴールド、ブルー、グリーンの
3種類が用意されているんですね。
ググってみたら、平成6年(1994年)に
施行されたようです。
その当時は、
典型的なペーパードライバーだったこと、
その頃の生活がとても荒んでいたこと、
などが理由になるのかはともかく、
自分に関係ない色のことは当時は全く
知る由もなく、
しかも、ついこの間まで全くもって、
知らないままでした。
グリーン免許は最初の交付から
3回目の誕生日まで有効で、
その後はブルー免許に変わるそうです。
人生にたった一回きりのグリーン免許を
持って運転されている方、
安全運転で快適なドライビングを
心がけてください。
と、まるで昔から優良ドライバーで
あったかのように、
アドバイスよろしく
コメントしてしまいましたが、
かくいう私自身、若い頃はといえば、
ずいぶんな運転をしたり、
不注意な運転をしたりで、
車をダメにしてしまったり、
反則金を支払ったこともあった、
そんなお世辞にも褒められない
運転生活が続きました。
スピード違反、
一時停止違反、
一方通行義務違反…
ホントにたくさん罰金払ったなあ…。
そういった羽目になったのは、
運転技術の未熟さなどの問題よりも
(もちろんそれもあったでしょうが)
自分の生き方がそんな結果となって
表れていたためと今では思っています。
違反ドライバーの多くがする言い訳に、
「あんなところで張っているなんて」
「他にもっとひどいドライバいるだろ」
というのがありますが、
確かに私も、
ほとんど人格を否定されたように
落ち込みながら、
同じ感想を抱いていた記憶があります。
自分が罰せられたことの不当さを
何とか理屈付けしたかったのでしょうが、
ま、気に入らなかったんでしょうね。
そんな運転も、
それまで突き放していたり、
見ないように遠ざけていた
自分の受け入れが進むほどに、
徐々に影を潜めていき、
今はその時々の交通事情に合わせて
無理をすることなく、
流れに乗って運転するようになりました。
一度そういう運転を覚えると、
そこから逸脱した運転をすることが
妙に面倒臭くなってしまうから、
何と言うかいい気なものだと
言われそうですが。
昨年、
これはカウンセリングでもなんでもなく、
単に話の流れではあったのですが、
スピード違反をした方と
話をする機会がありました。
私よりずっと若い人(仮にLさんとします)で、
なんでも、
どうしてもスピードを出してしまうのだとか。
“つい”スピードを出してしまう、
その気持ちはわからないでもない。
気持ちいいと思いますよ。
特に、若い頃は。
特に、悶々として燻っているときは。
特に、自分が受け入れられていないと
感じているときは。
まるで、普段の自分とは違う、
理想の何者かに近づいたような、
そんな錯覚に包まれて。
Lさんの話を聞いて
一つだけ気になった、
というより直した方がよいと
感じたことがあったので伝えました。
Lさんは、
前を走る車の運転が自分の感覚からして
おかしいと感じると腹を立て、
追い抜こうとするそうです。
例えば、
同じ制限速度の道路を走ってるのに
速度がその時々で異なったり
(制限速度40㎞の道路を時速40㎞ぴったりで
走ったり、60㎞で走ったりということ
だそうです)、
蛇行運転をしていたり、
そんな車が、
特に若葉マークやシルバーマークを
付けていたりすると、
追い抜きにかかるそうです。
「だって怖いじゃないすか」
というのがLさんの言い分です。
「じゃ、こちらも速度落として
距離を開ければ安全ですよね」
私がそういうと、
そんなトロトロと走ってられない、
とのことで、あとは、
そういったドライバーが
巷の交通マナーからして、
どれだけ迷惑行為を働いているか、
自覚がないことを
腹立ちが収まらないという感じで、
滔々と語り続けていました。
あおり運転に対する罰則のこともあるし、
危ないなあと思って聞いていたのですが、
私のカウンセリングを
受けているわけでもないので、
一言だけ添えて、
その場はおしまいになりました。
自分の運転の正当性を
とことん主張していたLさんですが、
一歩引いて聞けば
言っていることは自分勝手な理屈です。
運転は交通ルールと道路事情に
照らし合わせてするもので、
臨機応変さが求められる部分が
あると思います。
この、臨機応変さが求められる部分を
勝手に自分軸に手繰り寄せてしまうと
事故が起こります。
事故が起きてから、
自分以外の誰かを批判したところで
自分が嫌な思いをしたり、
損をしたりするのに変わりはない。
そう考えてくると、
結局のところLさんが言っていることは、
彼の運転の価値観からすると
目の前で起きていることが
“気に入らない”
というただそれだけの事になります。
“気に入らない”
ことは生きている限りあります。
“気に入らない”
をきちんと感じることは大切だし、
無駄であるとは思いません。
ただ、
それは自分自身の感覚の問題であって、
正しいこととは全く関係ないですよね。
あからさまにルールを無視することは
ないかもしれませんが、
グレーゾーンを
自分の独りよがりの世界で染めてしまい
あるいはサングラスをかけて見てしまい
だから相手が悪い、となると
これはもうただの正当化にすぎません。
ほんとに、たまったまのたまたまに
車の運転の話を思い出したものだから
こんな話をしてしまいましたが、
腹立ち、怒り、恨み、その反動としての
無力感、落ち込み、哀しみ「の中」には
そういった自分の
“気に入らない”
という“感情”を
あたかも
不変のルールか不文律でもあるかのように
論理的におかしい
とすり替えてしまうときに
陥ってしまうことがあります。
自分で自分を欺いてしまうんですね。
仕事のこと
学歴のこと
料理のこと
夫や妻のこと
親のこと
過去の仕打ち
どれもみんな、
間違ってる!
ではなくて、
気に入らないんじゃないでしょうか。
繰り返しますが、
決して、気に入らない、ということ自体が
悪いといっているのではありません。
その感情に気づかずに、
というより、
その感情をすり替えて
“正しい”としていることが
あなたの前に、多くの問題を出現させている
そういうことです。
それは、最終的に
問題とみている相手か、
あるいは自分のどちらかを
時には双方を、
激しく攻撃して、
傷つけてしまいます。
気分がよくないことがあったら、
一度、理屈を取っ払ってみて下さい。
そして、単に自分はそれが、
気に入らないのではないか
自身に問うてみて下さい。
これを攻撃のツールにしてしまうことが、
実は自分を痛めつけていることに
気付くことができれば、
やらなくなりますけどね。
ー今回の表紙画像ー
『夏の空』
あと数日で梅雨明けとか。
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