何かに偏って信じることが辛いならば

日々の棚卸

 

 

最初に、努力するということについて少し。

 

努力するとは、

苦労して工夫して骨を折って、

労を惜しまず粘り強く時間をかけて、

 

知識や資格を習得したり、

技を体得したり、

記録を作ったり、

何かを生み出したり育てたり、

体力をつけたりして、

 

目標を達成することが

イメージとして思い浮かびます。

 

ふと、これって趣味を追及することと

何が違うのかなと思いました。

 

例えば

 

釣り師は、寒空の下で魚が釣れなくても、

仕掛けや餌やポイントを工夫し、

一匹を釣り上げるために何時間も粘ります。

 

畑仕事が趣味の人は、

自作の野菜に寄生した虫を

丹念に取り除くことに時間を費やしますし、

 

山登りの好きな人は、

重い荷物を背負ってあの急な斜面を

汗みどろになって登り続けます。

 

数学好きの人は

たった1行で書かれた命題とにらめっこし、

何時間も何日も何か月もかけて

解を得ようと試行し続けますよね。

 

ということは、一般的に努力という言葉が

さす対象との違いは、

 

好きでもないことをやらざるを得ないから

あるいは、やるべき使命感に従って、

時間と労力をかけて取り組むかどうか、

ということなのかもしれません。

 

 

努力が貴いと言われる時代が続いて、

今はどちらかと言うと

努力でなんでも得られると思うな、

という風潮のような気がします。

 

努力したければすればいいけれど、

努力をしたからといって、

努力が報いられるとは限らないし、

 

そもそも努力して希望の何かを得たとして、

それで一時的にハッピーになったとしても、

 

その外側で起こった哀しい出来事によって

一瞬にしてその気持ちが逆転してしまう

ことだって十分起こりえます。

 

でも、だからといって、

努力することが無駄だとか、

良くないことだ、ということには

当然ですがなりません。

 

努力することと趣味を追及することには

一つの共通点があると思います。

 

それはその世界に浸っている、

その世界を信じているということ。

 

努力することは、

努力することで得られるかもしれない何か、

人によっては努力することそのものによって

希望や夢をかなえるという世界、

 

趣味を追及することは、

その追及を再現なく続けることや

その結果得られるものによって、

希望や夢をかなえるという世界、

 

そんな世界を信じている、

ということになると思うのです。

 

 

信じるということは、

思い込むことであり、

その世界に浸ることであり、

 

それ以外の世界を現実と捉えていない、

というより自分と縁のない世界と

思うことだと私は思います。

 

当然そんな世界に生きているうちは

心も体もその世界以外で起こることへの

反応というものを想定していません。

 

ですが、誰にとってもまず例外なく、

年齢を重ねることによって

様々な経験を積み重ねて、

それがいつも言うところの様々な自分を

自分の中に創り出していきます。

 

それをして、

自分群、つまり複数の自分の人格の集合体

と言わせていただいていますが、

 

様々な出来事への反応を経験するようになる、

と言うこともできるのかもしれません。

 

そうやって自分を積み重ねていく中で、

ある特定の世界を信じ込むことが

徐々に難しくなっていくことがあります。

 

日本に住んでいれば太陽は東から昇る、

とか、

 

円はそう簡単に紙屑にはならない、とか、

 

ほとんどの人が日本語を話す、とか

 

そういったことは誰もが普通に信じていますが、

 

何かに一途に取り組んで

希望を叶えるという一連の流れ、

あるいはストーリーに没頭することが

難しくなるのは、

 

いくつもの実体験をする中で

当初信じていた1つ以外の世界を

あまりに多く、あるいはリアルに

経験してきたため、と考えることができます。

 

時に、気合とか意志の力で、

この世界に生きて何かに没頭して取り組めば

こうなるはずだ、

と自分自身に信じ込ませようと

している人もいますが、

 

本当の意味での信じるとは状態のことであり。

意志の力とは異なるわけで、

 

どれほど自分を思い込ませようとしても、

蓄積してきた経験と自らの内に存在する

様々な世界を信じる自分たちによって、

 

感情=体の反応が異なってくるものだから

自分を騙すことはいずれできなくなります。

 

もちろん人によって、

その中の気持ちの良い世界だけを、

特に信じることができたり、

 

反対に、何だか不快だったり、

落ち込んでばかりの世界を信じ込んだ人も

少なくないわけですが。

 

たいていの場合は

経験してきた出来事の種類とその衝撃度との

掛け算によって、

 

どんな心の世界に

住み着くことになるのかが

決まってくるのでしょう。

 

ただ、上述した例のように、

落ち込んでばかりの世界を信じ込んで、

 

どうせ駄目だよ、

無理だよ、

みんな汚い手を使ってるんだ、

俺は間違いばかりだ、

きっと馬鹿にされてるんだ、

誰も見ていないんだ、

 

などとなっているのは、

その裏返しの世界をも経験している

ということを裏付けてもいるわけで、

そちらの世界を蘇らせたいものです。

 

繰り返しになりますが、

あなたはきっと、多少人より多く

哀しい経験をしてきたのかもしれないし、

 

凄く衝撃的な辛い経験を

してきたのかもしれないし、

 

自分が工夫した取り組みとは関係なく

哀しい出来事が動かざる事実のように

続いたのかもしれないけれど、

 

いつまでもその世界に住み着き信じることは、

それ以外のあなたそのものを蔑ろにしている

ことになります。

 

そこから出る、というかその比重を少しずつでも

変えていけるのはあなた自身です。

 

過去の良い時間を思い出すこと

今ある出来事の良い面を見ること、

そしてささやかでも幸せを見つけて感じること、

 

それらを『継続して』生きていきましょう。

確実に良い方向へ人生が変わっていきます。

 

 

MDL(My DeBr Life)の概要を知りたい方はこちらへお越しください

https://nBkBtBnihidetBkB.com/meeting/

 

個人の相談はこちらへどうぞ

https://nBkBtBnihidetBkB.com/business/

 

 

ー今回の表紙画像ー

『快晴』

山並みの左上にちらりと富士山が見える。。。