動くと変わる、効果は後からついてくる

日々の棚卸

 

動くと変わる。

これまでの習慣と違うことをすると変わる。

 

真実です。

 

確かに、

速攻で結果が出るとは

限りません。

 

ですが、

今までそうだったから、動いても仕方がない、

なんてことはありません。

 

理屈で考えれば当然の話なのですが、

感情の動物である私たちは、

辛いことが続くと、

自分の判断と能力に関する自信を失い、

何をしても良くなりはしないと、

行動が停滞してしまいがちです。

 

だから、“試しに”動きましょう。

 

そんなこと無理、

今はまだそんな時期じゃない、

などとして

今まで行動しようとしていなかったことを

実行するんです。

 

かつて家族の混乱に巻き込まれていた頃、

私は会社から3週間の有休をとって、

薄給の身ながら、

当時の有り金をはたいて

海外に行きました…。

 

行き先は、

ソ連崩壊から数年しかたってない時代の、

今と違って、

とてもマイナーな存在だったフィンランド。

 

静かで、

日本人がいなくて、

北にあって、

それなりの都市で、

昔から興味があって、

どこか逃避的になることができる、

そんな場所。

 

近所の〇トー〇カド―内にあった

J〇Bの店長に聞いても、

渡航方法その他、

まともに答えが返ってこない。

 

それほど当時は、

その存在を知られていませんでした。

 

店長は最初、80万円くらいの旅費を提示し、

それから、あ、こんなのもありますね、

などと他のプランが出てくる始末。

 

今なら冬であれば往復で

10万円を切るチケットがあるのに。

 

彼の名誉のために言えば、

とても繁盛していた支店で、

お客への対応も決して悪くはありませんでした。

 

そんな中で、

とりあえず行ってしまおうと決めて

渡航しました。

 

20代の若造が、初めての海外旅行を

そうやって経験したわけです。

 

3週間の滞在が終わろうとする頃には、

また親との関係が再開することを想像して

帰りたくなくて、

それでも帰国して

またしばらく、元の生活に戻りました。

 

3週間ほど海を越えて、

不慣れな、でも何だか楽しい時間を過ごして、

おまけに真冬だったので、

思い切り風邪をひいて帰ってきたら、

不思議なことに一時的ではあれ、

混乱と行き詰まり感が軽減されていました。

 

で、結局それが何?

 

結果を求めるなら、

そういう問いが出ても不思議じゃない。

 

ただ、行きたかったのは事実。

 

「いきたかった」と打ったら

『生きたかった』と変換されましたが

ほんとはそれが本音なのかな。

 

当時、私の心の中は、

父母の混乱を置き去りにして逃げたという

罪悪感が色濃く渦巻いていました。

 

同時に、

自分の世界観を作り上げていた、

原家族の崩壊に直面して、

魂が死にかけていました。

 

決して変わろうとしない他者の苦痛を

自らのこととして背負ってしまうとき、

人はどうしようもなくなります。

 

例え肉親だろうと愛する人だろうと、

自分さえ変化させるのは難しいのに、

他者の世界を自らの一部として背負うことは

とても無理があるからです。

 

その過程で、

選択した行動でした。

 

この話は、

息抜きができました、

ということよりも、

数年後にこの話をして、

ある方から言われた言葉に

その意味をかみしめたところにあります。

 

「それ、逃げたんじゃないよ。

親と一緒に崩れてしまわないように、

自分を保つためにその時出来る方法で

対処したんだよ」

 

あのまま、くぐもって生活しているだけで、

どこまで自分を保つことができたかは、

わかりません。

 

もしかしたらそのまま

何とかやり過ごせたかもしれないし、

ある時点で心が折れて、

どうにかなっていたかもしれません。

 

その日、

直感に導かれるように、

何かを感じ取った感覚が、

ちょっとした行動を選択して、

しばらくそこに身を置いた。

 

結果、

大切な人たちは変えられなかったけれど、

今から振り返れば、

何とか自分はそうやって生き延びた。

 

そういうことです。

 

行動を変えてみてください。

たかがそんなこと、

でいいと思います。

 

行動の変化は、後になって効果をもたらします。

計算するひつようはありません。

試してみてください。

 

ー今回の表紙画像ー

『手乗りヤンマ』