慶び・夢中・没頭・幸せの予感

日々の棚卸

 

日本の労働人口に対する

サラリーパーソンの比率は

80~90%だと言います。

 

私たちのほとんどは食べていくために、

何某かの労働をして糧を得るわけですが、

 

サラリーパーソンの比率が80~90%、

ということは

 

雇用されることを選択する人の割合が

10人中8人から9人という意味ですね。

 

サラリーパーソン以外の

働き方としては、

 

自営業、フリーター、作家、俳優、

スポーツ選手、実業家、漁師や農家、

フリーのアナウンサー、個人タクシー、

 

……

 

挙げればきりがありませんが、

いずれも個人で稼いでいる人たちであって、

 

組織を利用し、

そこに所属することはあっても、

 

決まった時間に出社して、

固定給をもらって働いているのではなく、

 

いわゆる個人の総合的な力量によって

歩合的、年某、その都度に糧を得る

働き方を選択している人たちのことです。

 

どちらがいいということはもちろんなく、

どちらが幸せになりやすいかも

もちろん関係ありません。

 

幸せな人は、

雇用されていても幸せだし、

独立していても幸せで、

 

仕事がうまくいっていても、

うまくいっていなくても

幸せです。

 

不幸な人は、

雇用されていても不幸だし、

独立していても不幸です。

 

仕事がうまくいっていても、

うまくいっていなくても

やっぱり不幸です。

 

ただ、世の中に出回っている情報は

サラリーパーソンという被雇用者を対象に、

何某かのメッセージを発していることが

圧倒的に多く、

 

苦しみや哀しみ、怒りや不安の対象が

サラリーパーソンであることが多いため、

 

それらの話を見聞きする場合が多いと

自らの行き詰まりや生きづらさと

重ね合わせてしまい、

 

サラリーパーソン=被雇用者は

不自由で不幸だ

という公式を導きがちです。

 

ただ、ここで述べる話は

何をして働いているか、

どんな雇用形態か、

雇用か独立かなどは関係ありません。

 

標題に書いた言葉たち、

 

慶び・夢中・没頭・幸せの予感

 

これらは誰もが欲する感覚であると同時に、

感情、感覚の表層をなでることはあっても、

 

年を取るほどに、

感じたり、入り込んだりすることが

なくなっていく感覚です。

 

それは働く中で徐々に見失っていくことが

あり得る感覚であると同時に、

ある人にとっては働く中で

何度も出会える感覚でもありえるものです。

 

 

私たちはよく、“ふり”をします。

何かのふりをする、というあの“ふり”です。

 

死んだふり、

寝たふり、

泣いているふり、

 

の、あの“ふり”です。

 

アルコールを始めとする依存症者が

回復を目指す時、

“ふり”をすることの必要性を

説かれることがあります。

 

完全にそういう人になってから

良い振る舞いをすることを待っていると、

とてもではないけど時間がないからです。

 

何が言いたいかと言うと、

“ふり”をするというのはとても大切なことだ

ということです。

 

“ふり”をしているうちに、

それが新しい自分になる、ということは

往々にしてあることで、

 

先の依存症者の恢復の取り組みも

その方法を使用しているわけです。

 

 

“ふり”を続けている限り、

自分の本音と出会えないことも

少なくありません。

 

慶びの感覚も

夢中や没頭の感覚も

幸せの予感も

 

私たちの表側にはないからです。

 

表側にあるものが関係ないわけでは

ありませんが、

 

表側にあるもの、

五感で感じ取られるもの、

それらを内在化したときに出来上がるもの、

 

そういった意味で、

基本的には私たちの内側に

存在します。

 

とある起業家の方が、

成功の絶対条件として

次のように言っています。

 

成功の大前提は、

言葉と行動と思考と感情が

一致していること。

 

そうでなくては、

ビジネスに意志と力を集中して

誰かのためになることができないから

ということだそうです。

 

結局のところ、これもまた

慶び、夢中、没頭、幸せの予感の

世界に入っていけないから

と言えるのかもしれません。

 

同じようなことは、

時々他の場所でも目にすることがあります。

 

これは表の世界と自分の内側を

余計なひねりを加えることなく繋いで、

 

自分の本来のパワーや動きが

変に損なわれないようにしよう

ということとも解釈できます。

 

個人的には、

感情と思考が一致するという以前に

もう一つ奥にあるものこそが

その感情・感覚のもとになっている

考えています。

 

自分自身への見えない賛歌とでも

言えばいいでしょうか。

 

見えない、という表現はおかしいですが、

つまり、あからさまな感動とかではなく、

 

あまりに当然に、

疑いの欠片さえ微塵もなく、

そこにある透明な賛美の感覚です。

 

往々にして見失いがちな感覚で、

 

長く生きる中で周囲に合わせすぎたり、

世の中の評価を勝ち取ることばかりに

躍起になって、

 

心の感動の補給線が伸びきったまま

長い時間を過ごし、

千切れる寸前まで来た時、

 

どこかに消えてしまい、

感じられなくなるものです。

 

“安定した”収入の裏に

“不安定になる“感情が生まれ、

 

“信用ある”仕事をしようとして、

“不信になる”感情が芽生える

 

自分が生きていくために、

自分が食べていくために、

本当に必要なことをやっているのか、

 

そう振り返ってみることが

私にはよくあります。

 

 

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ー今回の表紙画像ー

『この冬初のリアル影絵2』

歩いているうちに徐々に暗くなっていく風景もまた良い。