新しい服を着よう

書評

 

突然ですが、

0から1を生み出すことは

とても難しいと言われます。

 

いわゆる最初の一歩ですね。

よく耳にします。

 

実際には、純粋な0も1も

そうそうないとも思います。

 

仮に自分が取り組んだことなら、

 

0.01だったり、0.1だったりとかから、

0.7とか0.8とかを目指すことを

意味するのでしょう。

 

0.1から0.7にできれば、

何某かの良い感覚を得られる、

ということです。

 

…。

 

何の話をしてるんだ、

そう思われたかもしれません。

 

確かに、何の話なんでしょうね。

よろしければ、続きを読んてみてください。

 

 

私たちは日々、

他者と接して暮らしています。

 

会いたい人、会いたくない人、

それぞれいるでしょう。

 

大好きな人、愛する人だけなら

いいのですが、

 

社会人になれば、

そういうわけにもいきません。

 

働く中で、苦手な人や、

時にはどうにもそりが合わない人と

接することが避けられないこともあります。

 

感情の衝突が起こったり、

仕事がうまくいかなかったり、

仲違いしたり、と、

 

ともかく様々な理由で

“落ちる”

ことがあります。

 

“落ちる”とは、

 

短期的に抑鬱になったり、

怒りが収まらなかったり、

自信を喪失したりして、

苦しむことがあるわけです。

 

それらの中には、文字通り、

交通事故的な結果生じたことも

あるかもしれません。

 

ですが、往々にして、

個々人が背負った過去に

起因することが少なくないと

私は感じています。

 

この拙ブログでよく、

次のことを主張しています。

 

それは、

 

自分自身の生い立ちを振り返り、

見失った自分を一体化することの

大切さとその方法についてです。

 

これは本当に大切なことで、

これからの人生を

自分を主人公として歩むためには、

 

取り組むべきことであるのは

言うまでもないと考えています。

 

しかしその一方、

そういった取り組みが効果を発揮するまで

ちょっとした時間がかかるのも、

また揺るぎようのない事実。

 

その間にも繰り返し辛い時間は続くし、

心がやられてしまえば、

先に挙げたようなこと、

 

短期的に抑鬱になったり、

怒りが収まらなかったり、

自信を喪失したり、

 

といったことに対して

ますます深みにはまって

抜け出せなくなってしまうこともあります。

 

長くそんな心持ちで生きてきたのだから

ある意味仕方がないのかもしれませんが、

 

自分を一体化していないが故に

苦しんでいるからと言って、

そのまま放置してよいわけでもありません。

 

 

拙ブログの目的の一つは

別のページにも書きましたが、

 

自分を見失わないために、

あるいは見失った自分を取り戻すために、

日々の棚卸を行うとともに、

その重要性を感じていただくことです。

 

自分の来し方を振り返ること、

今の生き方、働き方、人との接し方を

振り返ること、

 

それらは全て自分自身との接し方を

振り返ることに他ならないのですが、

 

その無理、無茶、不要、勘違いを感じ取り、

変えるべきところを変えていくための

示唆、気付きを得ることです。

 

その間には、小さなガス抜き、気分転換も

できるに越したことはありません。

 

ガス抜きとか気分転換という言葉は

抱えている問題や苦痛に苛まれている

当人からすれば、軽すぎる言葉と

受け取られるかも知れません。

 

しかし、どう呼ぼうと、

実際には単なるガス抜きを超えて、

外側から自分を導く力にもなるはずです。

 

心、感情という内面を見つめて、

内側から自分を認めて動き出す原動力を

創り出すためには、

幾ばくかの時間はどうしても必要です。

 

ですが、その時間をかけた醸成は、

確実に自らを内面から動かす力を

得られることは間違いありません。

 

同時に、外側からもまた、

その力を引っ張り出すように、

働きかけることもできるはずです。

 

それは自身の内側の変化を予測して、

無理のない範囲で笑顔を見せたり、

会話に入っていったり、

エクササイズしたり、

趣味を試してみたり、

することと似ています。

 

そう、つまり、

最初に書いたように、

 

新しい服を着てみましょう、

 

そう申し上げたいのです。

 

新しい服は、決して世の中の評判とか

人がどう言うから、というもので

決める必要はありません。

 

派手な服でなくてよいし、

目立つ服である必要もない。

 

あなた自身がそうであるだろう、

求めてやまない内面と密に繋がった、

 

でもそれが自分を貶めようとしたり、

苛立ちをのぞかせたりするのではない、

 

周囲に迎合したり、

こうあるべきとか世の中的に格好いいとか

そういった意味での服ではなくて、

 

かけがえのない自分が

未来にそうであるはずの、

気持ちのいい服です。

 

似て非なる服には、

 

先に挙げた、

ある種の鬱病や他の疾患の予備軍が

自らに対してその兆候を隠すために

騒ぎまくったり荒れた行動をとったり

する類のものがあります。

 

テレンスリアルが言っている、

隠れた鬱病者と同様の服です。

 

そうではなくて、

あなた自身が今感じる、

あなたらしい服を着ましょう。

 

あなたの中に芽生えつつある、

繋がりを持ったあなたのための

服を着ましょう。

 

内面に求めて宿りつつある自分が

外に出やすい服を着ましょう。

 

次の日、その服を着て出かけたら、

見上げた空がいつもと違って

見えるかもしれません。

 

高くて、

青くて、

美しくて、

果てしなくて、

 

無限の可能性を秘めているような

そんな空があなた自身を映していると

言えるのかもしれませんね。

 

 

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ー今回の表紙画像ー

『大倉山記念館入口』