例えあなたがいくつであっても、心の重石と一緒に生きよう

日々の棚卸

 

心の重石と一緒に生きよう。

 

そう題して、何度も書いてきました。

 

心の重石は、

私自身はブラックホールという比喩が

しっくりくるけれど、

 

どう感じるかは人それぞれで、

岩でも鋼鉄の塊でも空洞でも何でもよくて、

 

ただ言えることは、

その無機質に感じる領域には

あなたの最も大切な感覚があるということ。

 

そして、心の重石は、

幸せな時間を知らない人には

生じない症状だということ。

 

幸せとは、

ラッキーとかブラボーとかいう感じのものも

あるかもしれないけれど、

 

いつも言う通り、もっとベーシックな、

“自分であることが当たり前である”

ことが当たり前である時間のことだと

 

私は思います。

 

そこには、自分の存在そのものを

受け入れている自分がいて、

 

周囲も社会も世界も、

自分である自分を受け入れてくれると、

何の疑いもなく思っていて、

 

それを基準に生きているから、

何かを見たりやったりしても、

人と接しても、

 

そして、

仮にちょっとくらい衝突が起きても、

 

過ぎてしまえば、

それなりの出来事になっている。

 

そして衝突が痛かったら、

そうならないように、

 

でも自分の小さな欲求に沿って

日常を続けられるように、

 

試行錯誤しながら、

少しずつこの厄介な世界を歩んでいく。

 

実際にそうできているかはともかく、

そうなっていることを疑わなかった日々が

あったはず。

 

ところが、時に、

 

仕事だったり、

人との付き合いだったり、

家の中で起こることだったり、

 

当たり前と思っていたものを失うような、

キャパをオーバーフローしてしまうような、

出来事が積み重なるうち、

 

時に周囲に腹を立てながら、

自分が自分であること、居られることを

疑うようになります。

 

そうしないと、

 

この世界にとどまれないと感じるから。

この世界に居場所がなくなると思うから。

この世界の存在自体を消したくなるから。

 

そうやって、

自分らしく生きるための指針となるような

自分が自分であるという幾つもの感覚を

無意識のうちに一つ一つ凍らせていって

 

気がついたら、

自分が何者であるかわからなくなってしまった。。。

 

そして、それに呼応するかのように、

心の中に何かの塊とも空隙とも知れない

心の重石が生じて、

 

それが何者かもわからないまま、

自分の行動の意欲どころか

欲求そのものを見失ってしまった。

 

後には、

理由を見いだせないまま、

与えられた環境で何とか生きようともがく

自分がいるだけ。

 

別のどこかに、

 

楽になるとか、

幸せになるとか、

人から認められるとか、

 

そんな場所や時間を求めながら、

今この時も空回りしている。

 

そうではないでしょうか。

 

 

心の重石が出来上がるメカニズムと、

その結果出来上がった日常を理解したとき、

 

何をしたらよいかが見えてきます。

 

もし日常を変えたいならば、

心の重石を切り捨てようとするのではなく、

 

そこに集約され、隠れ、凍ってしまった

幾つもの大切なあなた自身を

もう一度取り出すこと、

 

そして取り出したあなた自身が

もう一度生き生きと生きられるように

配慮すること、

 

何よりもそんなあなた自身が大切であり、

自分で守りたい、一緒に生きたい、

そう感じること、

 

その、静かで、でも確固たる想いが

心の重石の中から、

あなたが生きる原動力をもたらします。

 

 

ただ、

心の重石があなた自身であって、

それを持ち続けて生きようと言われても、

 

人によってはその重石が重すぎて、

とても動きづらい、

 

そして日常が苦しい理由ではないかと思って、

やっぱり、

その重石を切り離そうとしたりすることもある。

 

でもね、

ちょっとだけ待ってください、

 

それを切り離したら、

あなたはあなたじゃなくなって

何を基準に生きればいいかさえ見失います、

 

と言っているんです。

 

そして、毎回のように、

 

あなたが見失ったり、切り離してしまった

あなた自身と邂逅してほしい、

そしてあなた自身に統合してほしい、と。

 

それを理解してくれる方もいるようですが、

同時に先読みにも長けておられるようで、

 

そうやってこの重石を大切に扱い、

それが融けてきたり、

分解されてきたりすると、

 

また、あの凄まじい強烈な

寂しさと直面しなければならない。

 

耐えがたくて、のたうち回るような、

切なさとかそんな次元とは異なる、

身動きすら出来なくなるような、

 

そんな想いと、

もう一度直面しなければならない。

 

だからつい、もとの塊のままにしている。

 

あなたもそうなのかもしれません。

 

それは、

 

何も感じない、何も繋がらない、

ただ記憶が通り過ぎた事実として

存在しているだけの世界ですよね。

 

あなたが今、

18歳なのか、38歳なのか、

58歳なのか、78歳なのか、

 

私にはわかりません。

 

その年齢だけにしか分からない

時代の波に翻弄されたことが

あるのかもしれないし、

 

あなたの家族計特有の

怨嗟やしきたりに

苦しんだのかもしれません。

 

でも、こうやって私たちは繋がりました。

 

だから、かつての私に向けたように、

一言だけ伝えたいのです。

 

あなたが例え何歳であっても、

心の重石があるのなら、

その重石と一緒に生きてほしい。

 

そして、そこにいる、

耐えがたい寂しさに苦しむが故に

何も感じなくしてしまった

 

もう一人のあなたと直面することを

試みてほしい。

 

そこから、新しいステージが始まるんです。

 

最初はきっと、

 

戸惑うだろうと思います。

痛いだろうと思います。

苦しいだろうと思います。

 

何度か辛い思いをして、

かつての寂しさと重ね合わせる愚も

犯すことだってあるかもしれません。

 

でも、もうその時のあなたは、

かつての無力な、

そして“無垢なだけ”の存在ではありません。

 

のれっきとした

意志も希望も蘇らせた

新しいあなたになっています。

 

どうか、諦めることなく

繰り返し試してみてください。

 

あなたが一人旅立つと、

また仲間が増えます。

 

人生を自らの手に取り戻した仲間です。

 

ー今回の表紙画像ー

『鳥の編隊』

青空を見上げたら鳥の群れが。。。

何か空に落書きしたようにしか見えないな。。。