生き方を振り返ってみるときがきている

日々の棚卸

 

生き方を振り返っているでしょうか。

 

日々の仕事や生活に追われて、

振り返る余裕がないのであれば、

それはそれで幸せかもしれません。

 

でも、

追い詰められていたり、

ここにいてはいけないと思い込んでいたり、

生きる価値がないと感じていたり、

そんなことが恒常的に続いているなら、

それは危険信号。

 

生き方を振り返るときではないでしょうか。

 

会社で上司につるし上げられて、

理不尽な怒りをぶつけられた末に、

自分は無能だと思ってしまう。

 

妻(夫)が憎くて仕方がない。

親近感が全く感じられない。

感情のない赤の他人のようだ。

 

年齢を重ねるうちに

親しい人が一人減り、二人減り、

今は誰ともつながった感じがない。

 

何かの目標のために組み立てた日々が、

今の生活と、自分の個体を維持することに

なり果てている。

 

拠り所、拠る術、拠る価値観がなく、

機械のように毎日を繰り返している。

 

痛みや苦しみさえ感じなくなれれば

まだましなのだけど、

それだけが決まったかのように

いつも襲ってくる。

 

そんな日々を繰り返すうち、

何をする気も起きなくなって、

躰の調子までおかしくなってしまった。

 

私にはそんな時期がありました。

きつかったなあ~。

 

ここで無理に自分を叱咤したところで、

心も躰も動かなくなっていることが多い。

 

どこかで今の生活を放棄して、

良くなるまでの休息を取れればいいけれど、

規定のレールを外れるのは、あまりに怖い。

 

もしあなたがそんなところまで来ているなら。。。

 

明らかに立ち止まって、

自らを振り返るフェーズにきています。

 

間違っても、年齢や生い立ちや他の誰かや

そしてここが忘れがちですが、

自分の責任という問題に

『変換』してしまわないでください。

 

今のその追い詰められた状態で感じる

痛み、苦しみ、悩みは、

自分自身を受け入れたとき、

変化の〝基準”になります。

 

それがあなたの個性。

それがあなたが背負うべき時間の重さ。

それがあなたが慈しむべき恵みです。

 

それを個性や恵みとは感じたくない、

そう思うかもしれません。

 

ですが、

それこそが変化の基準なんです。

次に向かう道標なんです。

 

これ以上の自身の人生に根差した

基準はあり得ません。

 

外に敵を感じるとき、

内に受け入れていない自分がいます。

 

それが、外に形となって表れる。

 

職場で上司との間に軋轢がある時、

そこには理由がありますよね。

 

それは、

その上司との関係のためだったり、

その部署や仕事を選択したためだったり、

正社員に価値をた働き方だったり。

 

この時、

自分を押しつぶすように振り返っても

何もいいことはありません。

 

今の追い詰められた位置に、

今の追い詰められた関係に、

今の追い詰められた生活に、

 

なぜ自分があるのか、

何が組み合わさってそうなっているか、

それを考えてみましょう。

 

私たちは選択する力を持っている、とは

古くから使われている言葉です。

 

『この世で一番の奇跡』の著者である

オグマンディーノ氏は、

選択の力を肉体的な機能と同じように

私たちに備わった力とみなしています。

 

あなたはいくつもの選択を続け、

今ここにいます。

 

紛れもない事実です。

 

そしてそこから変化したいなら、

自分を責めることなく、

他の誰かのせいにすることなく、

自分を導くもう一人の自分となって

冷静に振り返ってみてください。

 

その仕事は、

その働き方は、

その場所は、

その関係は、

その収入は、

 

そして今の自分は、

 

どんな基準による

どんな選択の上に

できてきたのか、

 

そして、

本音から望む生活、

本心から願う人生、

満たされた生き方、

それらを実践、実現する上で、

本当に必要なことなのか。

 

ほんの少しの時間でいい。

1人静かに、自分と対話し、

生き方を振り返ってみませんか。

 

ー今回の表紙画像ー

『梅雨の晴れ間の公園の木々』

もう夏ですねぇ。