家族は大切だと思いますか?
こう問われたら、「当然でしょ」と答える人が大多数だと思う。
あまりよくない家に生まれ育ち、肉親を忌み嫌う人なら「別に」と素っ気なくいうかもしれないけど。
あなたは自分オリジナルの感性を持っていますか?
この問いに対してはいかがだろうか。感性には、感情の他、意見、価値観も含むと考えてもいい。日々胸をよぎる情動、目の前の出来事に対する意見、今の状況に対する考え、そんなことだ。
ある仕事をやり終えて、その出来栄えに、
自分はよく頑張ったな、と思ったり、
たったこれだけの成果? と落ち込んだり、
もっと評価してよ、と評価者に憤ったり。
知人からの厳しい言葉に、
なんだあの言い方は、とむかっ腹を立てたり、
これで関係もおわりだな、とさめざめとした気持ちになったり、
なるほどあんな考え方もあるよな、と妙に感心してしまったり、
いちいち腹を立てても仕方ない、と自分に意識を向けることに終始したり。
(実力行使(=殴る、怒鳴る、泣き喚くなど)を付け加えようとしたが、論外なのでやめ)
誰も会う人がいない休日に、
このまま孤独に死んでいくのかな、と絶望したり、
どうせ誰も相手にしてくれないよ、と悲嘆に暮れたり、
こんなときは自分一人でやりたいことやってしまおう、考えを変えたり、
自由だなあ、と嘯いてみたり。
私たちのものの見方、受け止め方、それに対する反応の仕方は、一朝一夕で形成されるものではない。吠え方を学んでいない犬が吠えないように、ある出来事や場面に対して湧き上がる考えや感情さえ、時間軸を含めれば純粋にその人特有のものではない。
というと動物を引き合いに出すな、と怒られそうだが、基本的に同じだと思う。少なくとも自分について言えば、同列だなあ、と感じる。
思考も感情も出処がどうであれ、前向きだったり良い方向へ生きていくためのかじ取りであればいいのだけれど、往々にして、
何でそんな受け止め方するの?
何でそんなに人を悪く見るの?
何でそんなに未来を悲観するの?
といったことを、私たち皆がどこかでやっている。
では、そう反応する自分はどうやって出来上がってきたのだろうか。
体を例にとるとよくわかる。
体を構成するのはそれまでに口にした食べ物だ。もちろん消化吸収の度合いや体こそ個性という養老先生の言葉もある通り個人差があるから一概には言えないが、それでも一人の人が二通りの食生活をしたとしてどういう食事をしてきたかの差は歴然とあらわれるはずだ。食事の量、質、バランス、時期。
最後にあげた「時期」は体にいれるものという観点からは少し毛並みが異なるが、離乳食のようにその年代に適した食物が必要になることは明らかだ。お酒が大好きな大酒のみのごついおじさんはきっと楽しくておいしくて飲んでいるのかもしれないが、生まれて3か月の時にウォッカを一升瓶丸ごと一気飲みすれば・・・・・どうなるんだろう、まず命はないんじゃないかな。なんかすごい例えだな。すいません。。。
少々例が極端だが、半栄養失調状態の子供時代を何とか生き延びて大人になった人がいたとする。そこから栄養満点の食事をするようになっても、子供の頃から適切な食事を得てきたいわゆる普通の人と比較すれば、本来の丈夫な体を得るためには人並み以上に食生活に気を使う必要がある。体の土台を大人になってからも人並み以上にメンテナンスを重ねていかなければならないからだ。その代わり、大人になっても栄養のバランスが悪かったり、行き届かない食事を続けたとしても、普通の人ほど体調の悪さや異変への感度は高くない。
つまり、昨日今日口にした食物のみならず、ずっと昔に摂取してきた、あるいは怠ってきたいくつもの食事は、10年、20年、30年と時間を得た後、自らの体に跳ね返ってくるのだ。
同じことが、心・感情にも言える。
私たちは、幼いころから身近な大人や年上の人たちの見方、考え方をフィルタとして、自分を取り巻く世界を学ぶ。子供の頃にその大枠を形成し、後はそれを強化するように解釈し、出会い、受け止め方を磨いていく。通常はもちろん父母を主とする家族だが、学校の先生や友人、隣近所の大人たちやメディアの影響まで色濃く受けている。
思い出してほしい。
隣近所の友達とやった草野球やモバイルゲーム、家族そろって出かけた買い物、夏休みの宿題を始めようとした朝の涼しい時間に付けっぱなしのテレビから流れてくる高校野球の応援の声、とりとめのない話をしながら友達と帰った学校からの帰り道、取っ組み合いの兄弟げんか、夢中になって見続けたアニメ、冬の木枯らしが木々を揺らす音、父親と釣りに出かけたこと、母親の笑い声・・・。
あえて良い(悪くない)思い出を羅列してみた。裏を返せば、大人とは思えない父母の泥仕合のような罵り合い、友達からのしかとやいじめ、先生からの叱責とげんこつ(最近はないか)、お金がないと言って家族から誕生日を祝ってもらえなかった、母親が泣きじゃくっていた・・・、などは普通にあっても不思議ではない。
これらの出来事の一部を担ったり、見たりする一つ一つに情動が宿り、その無数の1コマ1コマが集積して私たちの心・感情を形成している。思い出して気持ちのいいことも、そうでないことも、全て私たちの中に息づいた風景だ。
大人になって地元を離れた私がたっぷりおじさんになった後、久方に地元の中学時代の友人と集まったときのことだ。学校ではいつも休み時間にばか話をして笑いあっていた一人の友達のことに話が及んだ。恰幅のよい体躯でひょうきんで人を笑わすためにいるような、愉快な男だった。たまには会いたいな、都合がつかなかったのかと思って事情を知る連中に話を聞くと、「自殺した」とぼそりと答えが返ってきた。自殺、という言葉に父のことが重なり敏感なのは仕方ないが、それ以前に彼が若くしてこの世からいなくなってしまったという現実に、胸の中の塊の一部 - それはきっとそこにいる仲間たちと自分との間に形作られていた自分を形成する心象風景の一部なのだろう - が、鈍い涙の感覚とともにぼろりと欠け落ちた感じがした。心象風景と書いたが、胸がうずくといったもっと感覚的なもの、と受け止っていただいてよい。同じ時代に同じ空間を共にして生きてきた者同士は家族だ、という意見をどこかで聞いたことがあるが、同じ感情を共有した者同士というのは、互いの中で文字通り心の血肉と化している。彼の存在はささやかながら、会わなくなったずっと後まで私の感情・情動の一部を形作ってくれていたのだ。
ご理解いただきたいのは、私たちの中に積み重なってきた無数の体験とそこに付帯した情動は、意識しないと気づかないだけで、終わったものは何一つない、ということだ。今の自分の感じ方、考え方を形作る無数の一要素として、いつも私たちのそばにある。
人は一人で生きているわけではない、という中には、こういった時間を超えて体の中に記憶された情動が働きかけてくる、という意味が、巷にささやかれる意味以上に大きい。かけがえのない自分を生きるために必要なこと、自分を大切にするということは、この時間を超えて私たちの中に埋め込まれた情動といかに付き合うかということともいえる。
そう考えてくると、両親が不幸な人生を歩んでいて、子供が幸せを感じたり楽しそうに人生を歩んでいるケースは稀である理由が理解できる。引きこもりの子供を持つ両親の不仲の割合は、そうでないケースより圧倒的に多いという。引きこもりの子供の世話に明け暮れることで、親は自分たちの問題から目をそらせていることになる。
これは、親が大切な子供のことで胸を痛め、社会に出られるように世話を続けることで、かけがえのない自分を生きていないほんの一例だ。かつての私のようにその反対、つまり親の問題にかまけ、というかそれさえ気づかず、自らのかけがえのなさを放棄している例もある。大切な人の中には先に挙げたように、過去の時間と感情を共有した人々が入る。その長さ、深さによって、血のつながりはなくとも、自らの心の形成にかかわる人は多い。
原家族がおかしくなり、いわゆる両親と子供からなる家族が形を成さなくなって随分たった。その後、母が癌になり、父が自死、妹もその後を追おうとして一命はとりとめたが、心の病を患い、入退院を繰り返している。そして母もまたこの世を去った。逝き方を除けば、万人が経験することを同年代よりずっと早く経験しただけだ、ともいえる。
私がかつて抱えていたある種の情動 - 怒り、恨み、悲嘆、無力感 - そういったできれば感じたくない感情は、今はそのルーツとともに私の中で過去のある時期の出来事に戻り、私の心を構成する大切な要素として位置付けられている。それは、自分が背負うことを無意識に拒んでいたことを自覚し、全力で棚卸し、一つ一つを体を構成する細胞のごとく見つめ直し、慈しみ、適切な感情に置き換えて自分に問うことを繰り返した結果だ。そうやって自分の一体感を取り戻すにつれ、多くの楽しみや美しさ、幸福感をもまた一緒に生きてきた人たちによって与えられてきたのだ、と理屈抜きに感じた。これまでの人生を俯瞰して、自分が生きてきた過去とその時々の自分自身に共感する自分が遅まきながら育っていた。
自分は自由なのだ、と実感した瞬間だった。
同時に、それら過去の出来事をもとにしたドライブフォース、つまり(引きこもったり無気力になることも含めて)何かをしようとする原動力が消えてしまったようにも感じた。正確に言うと、原動力がこれからの生き様の捉え方に依拠するようになった、ということか。結局、いつどんな時も自分の中に感じる自分自身と向き合って、自分の中に存在する新しい力を見出すことがようやく必要と言えるようになったのかもしれない。
理屈は後回しだ。あるいは明後日の方に飛んでいかないための補助線だ。決して自分らしく生きていくためのコアでもなければエンジンでもない。かけがえのない自分を構成する体と感情、それをサポートするための一つのツールに過ぎないのだ。このように感じられ、今を生きられている自分に感謝している。感謝しているが、それで終わりとも思っていない。
この感覚をもっと少し早く体得することができていたら・・・。
家族をバラバラにさせなかったのに。
父に死を選択させなかったのに。
せめて妹を追い詰めなかったのに。
母をすくうことだってできたのに。
今もまだ、そんなことを想像して後悔する誘惑にかられることがある。私の中に息づく子供の私自身が、まだ十分に受け止めてくれていないと訴えてくるためだろう。どこかにまだ、寂しさから逃げて、自分の意志で人を制御できるという勘違いに逃げ込んでいるのかもしれない。
今のような心持は原家族を失うまで体得できなかったものなのだろうか。
答えはもちろんNoだ。
知っている人は中学生でも知っている。意識しないだけで、言葉にしないだけで、言葉にする必要がないだけで、理屈抜きに感覚的に理解している。それを一体感と言うだろうし、
私はそれを体得するのがずっと遅かった、ということだ。
そして、その展望さえ見えなかった頃には自分を卑下し、見下していた。
それが変わったのは、自分が背負う人生を受け入れた時だ。それが変えられないものを受け入れる、ということだ。
体の構成が変わるわけではない。ただ、この世界を歩んでいく土台が“普通”と言われる人々より不安定で、あるいは低くて、それを適切に固める作業が必要だった。それを恨んだり、他責にしようとしている限り、泥の海を泳ぎながら、大海を悠然と航行する客船を羨み続けるだけだ。
人生は短い。
自分の時間は短い。
自分の心の一部となった多くの人々は望むと望まざるとにかかわらず、もう一人の自分だ。ならば、自分にかかわるすべてはかけがえのない存在だ。
そう思った方が、生きることが面白くなる。そして自由度が増す。
何より、自分の力と可能性を限りなく高めることができる。
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