メディアの虜になっている?

日々の棚卸

これは多分に、自分に向けた

戒めの話でもあるのだけど、

文章を含めたメディアによる表現は、

それが啓蒙だったり

メッセージだったりといった

目的を持っている場合、

それだけで、

その目的やメッセージを完結できる

ことはないものです。

行動が大事と言われる所以ですね。

 

私は、文章を書いている分には、

それが他者にとって駄文か鬱陶しいか、

もしかすると時には

受け入れたくない内容かもしれませんが、

そういった意見はともかくとして、

いくらでも書き続けることができます。

努力して、というわけではなく、

大好きな内容に限らず、

よほど嫌なテーマでなければ、

日がな一日、

書き続けていて楽しい。

そのくらい、文章による表現というものに、

限りない魅力と愛着を感じているし、

このツールが古来、

文字というものが表れた時から

人々をつなげてきたことに思いを馳せると、

そこに眠る果てしない可能性も感じます。

 

これだけのことを

自分が行っている行為に対して

感じてしまうと、

ある種の中毒ではありませんが、

そんな状態の自分を続けていたくなるし、

誤解を恐れず言えば、

快楽にさえなってしまいます。

現実には、やらなくてはいけないことや

他のやりたいこともあるので、

一日中書いてばかりということは

そうそうありませんが、

まれにそんな日もあって、

それはそれで結構気に入った

過ごし方だったりします。

 

えっ、こんな文章が?

えっ、こんな拙い表現が?

えっ、こんな低能な内容が?

 

…………ほっとけっつうの。

 

ま、そんな批判や驚きの声も

時には必要だと思うし、

おそらくは発信している以上は、

自分の中にある声こそが

最大の批判者ではあるのですが、

そんな自分がいてさえも、

書くことはやっぱり楽しいものです。

 

ただ、楽しいことが個人で閉じている時、

自分の心の糧となって

新しい自分や人生を生み出すことに、

つながらないケースはままあることで、

それが高じて、

ある種の社会的な引きこもりに

なってしまわないようにしてもいます。

 

人と会うんですね。

街を歩く不特定の誰か、ではなく、

何かの集まりだったり、

何かの関係だったり、

そういったコミュニティに赴いて、

人と会うことです。

人と会わなければならない、

ではないですよ。

人と会わずにひたすら自分の世界に没頭して

ちゃんと生きている人だっている。

ただ、現実と遊離して、

独りよがりになったり、

心身を痛めつけたり、

人をコントロールしようとしたり、

そんな恐れがあるようなら、

人と会うことがよい、

と言う意味です。

楽しいこと、充実していることが

人と会う中にある人は、

それで十分だと思いますし、

人と会わなくても十分楽しく生きています、

と言う人もそれはそれでいいと思います。

 

よく、

行動の大切さを述べることがありますが、

行動の中でも

人と会うことの意味合いは重要です。

行動には、

考えたり書いたり読んだりという

個人で閉じた活動もあるのですが、

人と会うということは

それらとは異なった自分とつながる

感覚の共有が発生することです。

人と会うことは、時には、

自分の望む感覚が共有されないと

感じたりするものですが、

自分の内側にある自分自身の感覚・感じ方を

全て自分で完全に知ることはとても難しく、

しかもその知ることができない

自分の中にこそ、

自分が求める

新しい自分、

新しい人生

のヒント足りうるものがあったりします。

繰り返しますが、

必ず他者と会わなければならない、

とは思いません。

ただ、表層的なメリットではなく、

自分が求めることを

自分で導き出すためには、

他所で人と会うということで、

そこに自分の隠れた感覚を引き出す

ヒントを刺激してくれる可能性を

破棄してしまわないようにすることが

とても望ましいことは確かです。

 

トラウマを抱えていたり

自分を批判する声が大きすぎたり

育った環境が残酷だったりすると、

どうしても、

『他者』から遠ざかろうとします。

そうでなくても、

私たちは批判される可能性を

出来るだけ減らしたい生き物で、

そのためにできる簡単なことは

自分個人の楽しみを追求しながら

他者とかかわることを避けることです。

ですが、

それは自分が望む新しい自分の可能性を

自ら放棄しかねない場合があります。

 

文章に限らず、メディアの中に浸ることは、

時に快楽で、

時に麻薬で、

時に友人の言葉である一方で、

時に自分を孤独にします。

絵、漫画、音楽、映画、など

メディアの虜というのは、

そういう意味を含んでいます。

 

虜になってはいけない、

ということではないんです。

虜になるなんて、

素晴らしいと思います。

そんな思い入れができるのだから

充実しますよね。

溺れることだって、

本気で肯定できるのなら、

ほんとに素晴らしい。

 

ただ、大切なことは

他者との関係の中に眠っているあなた

という存在が

あなたが必要とするあなたである、

そんなことがあるものです。

メディアの虜になることが、

それを妨げてしまうのであれば、

それに真摯に向き合うこと、

決して誤魔化されないこと。

それが最初です。

 

メディアはあくまでヒントです。

 

ー今回の表紙画像ー

『ウナギ釣り』

この画像見ただけで分かった人は通。蝙蝠が画面に入っていた(水色枠内)。