心のベースキャンプ

日々の棚卸

 

登山や冒険で、

目標に向けて準備をしたり、

根拠地とする基地を

ベースキャンプといいます。

その目標の大きさに応じて用意します。

エベレスト登頂だろうと

1万メートルの海溝探索だろうと、

ちょっとしたハイキングだろうと、

その規模は異なっても、

確固たる基地としての機能として

用意する場所です。

ハイキングまで例に挙げてしまいましたが、

車で山の麓まで行って、

そこでナップザックに水筒や

ちょっとした食べ物とタオルを

詰め込んで出かけるのなら、

そこがベースキャンプですね。

 

心理の世界、カウンセリングの世界は、

私にとってある種のベースキャンプ地のような

役割を果たしてくれています。

 

心理に関する世界は、

混乱していた頃の私に限らず、

多くの人にとって

どこか胡散臭さを感じることがあるようです。

『混乱していた頃の私に限らず』

と書いたように、

心の拠り所がないと感じる人にとって、

「その方面」についての知識も経験もなく、

社会的な認知度や受け入れ度も低い、

そんなところは当然ながら、

どこか眉唾的な感じがするもので、

それは仕方がないかもしれません。

スピリチュアリティしかり、

ある種の宗教しかり、

果ては精神医療の世界まで。

 

実際、これらの領域の知識を学んだり、

専門的な治療を受けたから、

あなたの悩みは速攻で解決します、

ということには

なかなかならないものです。

 

にもかかわらず、

一度これらの世界を知ると、

どこかに何か

自分に必要なものがあるように感じて、

以降注目するようになると思います。

 

自分に必要なもの…。

それは何か。

 

混乱や怒りやパニックなど、

とにかく

生き物として、

人間として、

自分として、

間違ってもそうでありたくない状態

そうであり続けることが自分を蝕んでしまう状態を、

まず最初に何とかしなければならない。

感情が拒否しても、

さらに心の奥底で

すでに悲鳴を上げている自分を感じていると

何とかしないと、

身も心もばらばらに砕けてしまいそうになったり、

文字通り心や体が痛くなったりして、

恢復とか、

納得する人生を追うとか、

大切な人を守るとか、

自分のかけがえのなさを認識するとか、

そんなところまではとても行きつけない

と感じます。

 

そんな状態の私たちが、

自分が求める人生を生きるために、

最低限の感覚というか、

気づきを得るきっかけ・拠り所を

どこかに用意する必要があります。

 

例えば、

やたら怒り続けたり、

愚痴を垂れ流したりすることの

あほらしさとムダさ、

加えて実は

自分を攻撃してるに過ぎないことへの理解。

自分は哀しい過去を生きて、

ほんとは心の奥底で

そんな生き方は嫌だと思っていたけど

それは認識できていなかった、

といった洞察する時間や空間。

 

そういったことを

少しずつ自分の中に言葉として

内在化していきます。

すると、もう自分は十分であるとわかるんです。

“ここ”こそは、

自分を生きる足場となり、

迷った自分の寄る辺となり、

これからをどう生きていくか作戦を立てるための

ベースキャンプとなるところです。

自分の中に内在化する拠り所であり、

自分が自分であることを確認する基地です。

 

何かがあっても、

ここに戻ってくることができると、

さて、次は何をどうしようか、

どう生きていこうか、

どんな楽しいことが待っているだろうか、

となるんです。

 

十分に機能させてきたかはともかく、

自分の中に、そんな空間を

ほんとは誰もが持っています。

だってここまで生きてきたんだもの。

 

早くそれに気づいて、

その空間を

もっと有効に

もっと頻繁に

もっと意識して

使っていきましょう。

自分の中に寄る辺があるというのは

自分を生きる上で、

ホントに心強いものです。

 

ー今回の表紙画像ー

『道端のお花』

夕方のお散歩より。