心の重石と一緒に生きよう2

日々の棚卸

心の重石。

前回、ブラックホールと表現して、それが私にはしっくりくると言ったけど、とりあえずここではそのまま心の重石として表現して続けよう。

心の重石のもとは、喜び、楽しさ、充足感、希望、安心、好奇心、大好き、そういった子供の頃には誰もが素直に感じていた、あなた自身のことだ。もちろん、癇癪を起して、泣きじゃくって、腹を立てて、拗ねて、落ち込んで、地団駄踏んで悔しがって、そういったことも含んでいる。

どう表現しても、つまりは本来あなた自身を生きてきた証のことだ。

 

それが有効に機能しなくなって、麻痺して、自分の感覚の一部として感じられなくなって、おかしいからどうにかしなきゃ、と、すっかり響かなくなった“重石”を腫れもの扱いにしても、事態はよくならない。

本来体の中にとけこんでいるはずの感覚が遊離してきた感じがするのは心配かもしれない。

でもね、繰り返すけれどそれは本来素敵なあなたそのものだ。

今は信じられないかもしれない。

でも、それはかけがえのないあなたのことなんだ。

そうならざるを得ないような道を“選択して”歩んできてしまった。そこにはほんとにあなた特有のいろんな事情があったのだと思う。

 

でも、

腹を立てる相手が違う。

腹を立てなければいけないことがあるとしたら、そうやって自分を含めた誰か、何かを憎むことばかりやって、果ては自分の一番大切な自分自身が“醜い”と勘違いしてしまって遠ざけてしまったことじゃないだろうか。

そうなるまでのこと。

ほんとに大変だったと思う。

耐えること

勝ち取ること

満足させること。

それを自分に課して、最後はどうなった?

 

そのごつごつとした抵抗するような肌触りも、奥底が見えない暗闇も、みな、あなたを守るために出来上がった“結果の砦”だ。何年、時にはもっと長くかかってできたのだから、急には変わらないかもしれない。

 

ただ、重石は“想い”だと気づこう。

 

そして一緒に生きると決めよう。一緒どころか、あなたが気づいて認めることを繰り返していくと、それはまた皮膚感覚の一部にとけこみ戻る。その時には、あなたはもっとしなやかでパワフルに生きられるようになっている。なぜって、一度は重石になったあなたの一部があなた自身ともう一度融合したのだもの。それまでに起こったことを全部血肉に変えて生きることができるようになっているんだ。

 

自分を蔑んだり、馬鹿にしたりしないでね。

人間ってほんとによくできている。

体も心も、少しでも生きられるように、生命が長い年月をかけてそういうふうに作り上げてきているのだと思う。あなたも、私も、そうやってできてきて、時に混乱して、麻痺して、何も感じなくなってしまった時があった。それもまた、自分を守ってくれている結果であって、ただそれはいつかやめるときが必要なものでもある。

心の重石と一緒に生きていこう。