心の重石と一緒に生きよう4

日々の棚卸

心の重し。

胸の奥にぽっかりとあいた穴

と言う人もいれば、

いつの間にかそこに置かれていた岩

と言う人もいます。

ブラックホールという比喩が

個人的にはぴたりとくる。

そう書きました。

 

原家族の離散とそこに至る両親の葛藤。

そういった親との出来事が無数に降りかかり、

その集積によって出来上がったもの、

それが社会に出て働く中で

仕事や人との関係の軋轢によって

根付いたもの、

そう思っていたこの存在。

何か新しいことを始めようとすると

気持ちが萎えてしまう、

気力が続かない、

やる気がどうしても起きてこない…。

 

仕事がなくなってしまって

飢え死には嫌だ、と

いささか的外れな恐れがあって、

私はそんな状態でも、

ただ生きるためだけに

サラリーマンとして

働いていた時期がありました。

重いなりに体は何とか動き、

鈍いなりに心が反応し続けた

という意味では、

そういう状態に対して

心身が丈夫にできていたのか、

文字通り岩のようになって

外的なダメージを受けにくくなっていたのか

それはわかりません。

勤めていた会社の中では

技術からマーケティングから

何をやってもうまくいかず、

どこかに移ろうとしても

それさえ折り合いが一向につかない。

そんな経験が重なる度、

心の重石はいよいよその嵩を増し、

重さを増し、

硬さを増し、

暗くなっていきました。

 

私の場合に限らず、

現実には、そんな調子のために、

働けなくて生活もままならなかったり、

働いていても苦しくて仕方がなかったり、

新しい職にチャレンジできなかったりして、

何とか日々の生活をしのいでいるのだけど、

合わない仕事や生活に四苦八苦で、

心身を痛めつけてしまっていることも

少なくありません。

 

ともかくも、この心の重石、

いろんな表現の仕方はあるものの、

これをどうにかしないと、

この先へ進めない、

素のままの自分を受け入れるのに支障がある、

と当時の私は漠然と捉えていました。

 

それがどんなに哀しい見方をしていたことか。

ある時そう気づきました。

この重石は自分の一部だ!

ほんとうに繰り返し何度も

自分に向けて言い聞かせたいほど

大切なこと。

当たり前のことだと言って

済ませられるものではありません。

 

この重石が、

例え親から植え付けられたことが

原因でできあがっていたとしても、

恋人との関係の問題であっても、

仕事で支障をきたす存在であっても、

自分の未来の足かせになると

感じるものであったとしても、

まごうことなき自分の一部だからです。

 

自分の一部という意味は、

鍛え上げられた筋肉のことでもなければ、

柔軟なボディのことでもありません。

整形した瞼でもなければ

エステで磨いた肌でもありません。

走り続けて丈夫にした心肺機能でもなければ、

世の中の評価で優秀とされる頭脳でもありません。

芸術的な絵描きでもなければ、

エレガントな小説家でもありません。

 

これは、オギャーと生まれた時から

ずっとそこにいてくれた

骨と同じであり、

心臓と同じであり、

目と同じであり、

耳と同じであり、

魂と同じです。

 

社会に合わせることは必要でしょう。

しかしそれは、

自分がここまで生きてくる中で感じた

自分の愛着や愛情、好きや想い、

そういったものを大切にできるような

生き方、働き方ができてきたからこそ

受け入れられるものではないでしょうか。

自分の大切な何かを無視して、

肉体を文字通り生かすためだけに

明らかに自分の考えや感情、気持ちを曲げて、

学校に行き、働き、生きている、

そんな時間の集積が、

屋根から落ちる水滴が岩に穴を穿つように、

葉の隙間にたまる歯石のように、

つららや鍾乳石のように、

行き場をなくして集まり、

形を成し、あるいは虚空を形成しました。

 

そんな存在に対して、

今の生活、仕事、人の関係の中で

それが苦しく邪魔だからと言って、

無理やり壊そうとしたり、

動かそうとしたすることは、

自分で自分を否定してしまうということ。

自分の命の素に対して

これ以上ないほど失礼な扱いです。

仮にそれがある時イメージした通り

奇形奇怪と感じる部分があるのなら、

それこそは自分にとっての個性です。

本来これ以上ないほど

素のまま受け入れるべき愛しい存在は

他にありようもないと思います。

 

もうこれ以上、何か働きかける必要はありません。

休む、

一人になる、

新しい仕事を探す、

人の輪に加わる、

何十年ぶりに趣味を復活させる、

戯れに興味のあったことを始める、

働き方を自分流にする。

どんなことかは人それぞれ。

ここから伝わってくる意志を

自分の生き方に実践みてはいかがでしょう。

この存在が

哀しんだ時、

苦しんだ時、

気持ちは萎え、

やる気が失せ、

怒り憎しみ、

動けなくなる。

この存在が

喜んだ時、

恋をし、

笑い、

人とつながり、

未来を夢見るようになる。

 

この存在こそは、

自分そのもの。

 

心の重石に向けてこう伝えたい。

そこにいてくれてありがとう。

ボクをボク足らしめてくれてありがとう。

連綿と命を紡いでくれてありがとう。

 

ー今回の表紙画像ー

『町の影絵』

夕方の散歩より。