体も心も良く出来ている

日々の棚卸

 

眠れない夜を経験している方は

少なくないと思います。

 

私の場合で言えば、原家族の影響で、

そのわだかまりが色濃く内面に

影を落としている頃に、

 

眠れぬ夜が続いたことが度々ありました。

 

目が冴えているというわけではなく、

でも意識ははっきりとあって、

 

決して望むわけではない思考が

頭の中を駆け巡りながら、

夜更けに短い眠りに落ちる。

 

仕方がないからという理由でお酒を飲んで

強制ダウンというよろしくない方法も

最初の頃は取ったなあ。

 

心のことを学びながら、

根気よく感情の整理を続け、

 

自分が抱える過去と

今の状態とのつながりの理解、

苦しい時の自分なりの御し方を覚える中で、

 

眠ることについても、

その重要性だけでなく

眠れない原因や対処方法まで、

 

自分なりの理解と対応ができる、

そう思い込んでいました。

 

そして、ある時期、

数週間(1か月以上かな?)眠れない夜を

過ごしたことがありました。

 

いやあ、眠れなかったなあ。

 

それでいて、昼間は眠い。

 

曲がりなりにも過去の自分との和解が進み、

肉親に起きたいくつかの哀しい出来こととも

折り合いがついてた後も、

 

いつも晴れやか、絶好調、などと言うことは

もちろんなくて、

感情の浮き沈みはありました。

 

睡眠もいつもぐっすりというわけではなくて、

ちょっと寝つきが悪い夜も何度もありました。

 

それでも、1か月ずっと眠れなかった、

ということはなくて

 

仕事や人間関係、原家族の哀しい部分を

引きずってないか、など

原因を探してみたのですが、

 

さしたるものは思い浮かびませんでした。

 

運動もそこそこしていて、

働きすぎることもなく、

ストレスのもとも思いつかない。

 

とある日曜の朝、

大好きなカ〇ディのコーヒーを飲みながら

ハタと、その茶色い液体に思い至りました。

 

もともとコーヒーは大好きだったのですが、

その頃は様々なシュルのコーヒーの飲み比べが

プチマイブームだこともあて、

 

朝昼夜と、時間があれば

レギュラーコーヒーを飲み続けていて、

 

多い時には1日20杯くらい飲んでいたことも。。。

 

あれ、こいつか?

 

直感的にそう思い至り、

それからしばらくピタリと

コーヒーとカフェインの入った飲料を

やめたところ、

 

一週間くらいで普通に寝付けるように

なりました。

 

健やかな睡眠を取り戻した後、

身体というのは本当によくできているな

と感心したものです。

 

 

朝起きて会社に行くのが辛い、

人と話すのが苦痛だ、

どうしても今の仕事が手につかない、

 

自らの中にあらわれる“症状”に

戸惑い苦しみ、時には寝込んでしまう人は

今もずいぶんいます。

 

その中には、まさに、

 

今通っている会社が自分に合わずに辛い

今の取り巻きに合わせられずに辛い

今あてがわれている仕事がどうにも面白くない

 

といった、目の前の関係性そのものが

影響しているケースもあって、

 

そんな場合には

 

会社を変わる

取り巻きを変える、一人でいる

業種を変える

 

などで対応できるかもしれません。

 

しかし、そうではなくて、

 

独りでは抱えきれないような、

過去の辛い出来事、哀しいシーンが

投影されて生じた結果の症状であるならば、

 

自分の内面にアプローチして

投影の元となった出来事やシーンと

しっかりと向き合う必要があります。

 

私たち一人一人は、生まれ備わった、

あるいは生育環境で身についた

性癖、気質というものを持っていますが、

 

それを原因として考えるだけでは

どうにも説明がつかない

“症状”というものがあります。

 

その症状を人によっては

甘えと見たり、自分勝手と呼ぶこともあって

意見を批判するつもりはありませんが、

 

当の本人まで「気のせい」と言って

せっかくもう一人の自分とつながる機会を

スルーしてしまったりしています。

 

「気のせい」で済めばいいのですが、

そこで終わらないこともあって、

(たいていはそこでは終わらなくて)

 

倒れかけて医者にかかることになったり、

心の病に発展して安静を言い渡されたり、

 

ということまでになると、

「気のせい」と言う前に

何とかできなかったものかと思ってしまいます。

 

私たちの中に湧きだす感情や

それを介して出てくる症状には、

良きにつけ悪しきにつけ、

 

無意識に感じている自らの存在意義、

セルフイメージに対して、

 

自分が現実に感じ取っていることを

表現している側面があります。

 

いわゆる、

今の生き様に対する

メッセージを伝えてきているんですね。

 

前半で述べた

コーヒーと眠れぬ夜の関係ではありませんが、

 

そういう意味では、

心、そして連動する体もまたよくできていると

言えます。

 

何が良くできているかと言うと、

個々人の傾向にもよりますが、

 

一つの辛い出来事、哀しいシーン、

そこで傷つき、頽れて、一人ぼっちで

無力感を抱えていた自分を

 

感じないようにしたまま

放置したまま生きてくると、

 

そのシーンとその自分とが、

場所を変え、人を変え、シーンを変えて

追いかけてくるのです。

 

そして、“もう一度”、

怒りや苛立ち、抑鬱や無力感となって

あなたを行き詰らせることによって

 

人生をも立ち止まらせ、

「ねえ、この時のボク、ワタシを何とかしてよ」

と訴えかけてくるんですね。

 

怖いでしょうか。

不安でしょうか。

苛立つでしょうか。

 

そんなことないですよね。

なんと愛しいあなたでしょうか。

 

そういう意味では、心というのは

もしかすると体と同等以上に

緻密な構成なのかもしれません。

 

情動と、それが通常ならざる症状として

あらわれるメッセージ、

 

それらを軽んじることなくしっ、

かりと向き合って自分が何をすべきか、

 

自分の何を確実かつ安全に守り、

自分の何を保証のない冒険に向かわせるのか、

 

そういったことを一つひとつ

自分で決めていきましょう。

 

だって、あなたの人生なのですから。

 

ー今回の表紙画像ー

『メロン』