仕事に苦しんでいた父と私が選択したこと

日々の棚卸

 

父は高校卒業後、大手の繊維会社に入り、

そこでサラリーマンとして、

この世を去るまで勤め続けました。

 

上司とのことで父は悩んでいたと、

母から聞いたのは

まだ私が小学生の頃のことです。

 

何をしても、

文句を言われる、叱られる、とても辛い、

それが父の訴えだったとのこと。

 

会社を辞めたいという父に母は、

 

「運転免許を持っているんだから、

タクシードライバーをやれば

親子で生きていけるでしょう」

 

そう答えたと言います。

 

それから20年近い時が流れ、

二人が後戻りのきかない状況になると、

母は当時の父の上司の言うことが正しかった、

と嘆くようになりました。

 

父に他の女性の影が出ていたことも

影響していたのでしょう。

 

一方で、

父には父の言い分があったと思います。

 

毎日通った社屋、

毎日顔を合わせる同僚、

毎日こなす業務。

 

それらの中で発生する葛藤が

自らの生き様を色濃く反映して、

 

ではお前はどう生きるのだ、

と問いかけられていることに、

 

苦しんだのだと今ならわかります。

 

仕事の内容も

職場の日との関係も、

自分に与えられた生い立ちの中で

精一杯背伸びして見せようとしたことも

それがうまくいっているように感じられず、

いつも何かに苛まれて落ち着かない感覚も、

 

何よりそれらの感覚に気づいて自らの中に

居場所を与えることができずに、

どこかで自分を責め続けていたことも、

 

父自身を追い詰めていた理由だったと

思います。

 

先に述べた通り、結局父は最後まで

サラリーマンでいました。

 

サラリーマンでいたいわけでは

決してなかったはずですが、

 

父という人物が描く価値観の中では、

当時の父には、それ以外に選択肢が

浮かばなかったのでしょう。

 

そして春のある夜、

とても哀しいことだけれど、

父は自らこの世を去る選択をしました。

 

本当に、他に選択肢はなかったのか、

と思い出すたびに考えるけれど、

それは私の都合です。

 

かと言って、

もちろん父の行為が正しかったわけでも

ないと思いたい。

 

ただ、あれから長い歳月が流れ、

社会の中でもがきながら、

ここまで何とか生きてきて感じるのは、

 

生きることを選択すると決めた上で、

次の3つを実践することの大切さです。

 

・自分ともう一人の誰かとつながり続けること

・それに必要な何かを自らに問うこと

・そして自分として生きられるように祈ること

 

私たちは頭で考えているようでいて、

実際には記憶、それも理屈より、

皮膚感覚的なものを基準に生きています。

 

記憶の中には、

自らがこの世界にあることを肯定してくれる、

愛着感が土台の一つとしてあります。

 

愛着感は、この世界を生きていくエネルギーの

根幹をなしています。

 

肉親や大切な人を失うこと、

 

それも、死ばかりではなくて、

離れてしまったり、

繋がりが感じられなくなってしまったり

 

そういったことがあって、

自らの中にうまくまとまりがつかないと、

 

この世界にぽつんとひとり取り残されたような、

心も体も受け入れてもらえていないような、

単なる心細さとは異なる、

心が荒んだ、荒涼とした感覚に

襲われることがあります。

 

愛着の感覚を自らの内に見失い、

己に共感を許さないほどの絶対的な孤独に

自分を信じられなくなる状態でしょうか。

 

それを振り払えればいいけれど、

それを振り払えるような人は、

最初からそんな経験をしていることは稀です。

 

 

近代化がいきつくところまできて、

人と人とが個として孤立しがちな世界で、

この社会を形作るベースにあった祈りが

いつしか遠い物になっています。

 

理屈に理屈を重ねて

自らを追い詰めてしまう前に

 

生きることを選択すると決めて、

 

・自分ともう一人の誰かとつながり続けること

・それに必要な何かを自らに問うこと

・そして自分として生きられるように祈ること

 

この祈りを日常に片隅においてあげては

いかがでしょうか。

 

ー今回の表紙画像ー

『真夏の川のほとり2』

今年の夏は湿度が異様に高くない?